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【仮説】笊川の戦いは三回行われた

笊川の戦いに対しての研究も佳境に入ってきた。本日は本日調べ上げた成果を基に、笊川の戦いに関する仮説を立ててみた。尚、今回参考にさせて頂いた文献(飽くまでも本日までのもの、敬称略)を羅列する。順序は不同である。史実については、信憑性が定かでないと思われたものを割愛し、信用に値すると思われるものを選りすぐって採用した。①紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」②八本松連合町内会、郡山地区連合町内会他「... 続きを読む

旧笊川で警戒レベル3

前線の影響で仙台市太白区の旧笊川の氾濫警戒レベル3(高齢者は避難)となった。笊川はその名が示す通り、大雨が降ると笊のごとく、ざあざあ漏れになる様を示している。私は今、戦国期の仙台平野で伊達と相馬との間に展開された「笊川の戦い」についていろいろと調べているが、治水もままならなかった中世の頃は、この辺り一帯が湿地帯だったのを肌で感じている。本日19時39分時点の旧笊川の水位の画像(旧奥州街道に架かる北... 続きを読む

笊川の戦い その2

先月の9月26日、私は仙台市太白区郡山の北目地区と旧笊川地区を訪ねた。旧笊川は去る10月12日から13日にかけての台風襲来により氾濫に晒されたとニュースで知った。笊川の命名の由来については先日も触れたが、普段は堀のような水量でありながら、ひとたび大雨に見舞われる都度氾濫を繰り返す様子から来ていると言われる。笊川(座留川とも)の戦いが行われた戦国期に関しては、恐らく治水もままならず、一帯は荒れるがま... 続きを読む

戦国末期に行われた笊川の戦いとは?

はしがき歴史はマイナーなものほどはまる傾向にある。それは誰も踏み入れたことがない、もしくは踏み入れても足跡が殆ど見当たらないものに遭遇した際、自分が魁となることへの感動であり、自分が死ぬ前に果すべき使命とも考えている所以である。今回新たに取り組むことを決意したのは戦国時代末期に笊川(名取川の支流)で行われた「笊川の戦い」である。最初に執筆に当たって参考にさせて頂いた文献(飽くまでも本日までのもの、... 続きを読む

笊川東部の探訪と偉大な郷土史家への恩返し

昨日は去る9月26日に回り損ねた旧笊川(ざるかわ)を再訪した。弘治3年(1557年)伊達晴宗(伊達政宗の祖父・伊達家15代当主)と相馬盛胤(相馬15代当主)が戦った笊川の戦い(笊川の合戦とも)が行われた場所が、この辺という確信に至ったからである。前回、時間の関係で回れなかった旧笊川の範囲は、東北新幹線立体交差地点より東側手前三百メートルほど上流側だったので、ここから再開して一度上流側を確認した上で... 続きを読む

旧笊川の散策

本日は休みを利して太白区の旧笊川沿いの散策を楽しんだ。旧ということは新もあるということであるが、本日の本当の目的は歴史散歩の取材であったので旧笊川に絞ることにした。但し今回笊川にまつわる歴史を書くと様々なしがらみが出てくるので、今回はさわりの部分だけに留めたい。笊川の流路と近辺の地図は後でご覧頂くことにして、先ずはバイクをこの橋の傍に止めた。上流側、河口側とも柵があって遊歩道となっている。仙台市内... 続きを読む