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紫桃正隆歴史作品『五月闇』に描かれた或る武将の悲哀

いよいよ五月も今日で最後である。五月晴れ、薫風と清々しい語感を漂わせる五月だが、必ずしもそうでないイメージがある。五月闇とは五月にも関わらず、気温が上がらず日照に乏しく小雨や霧に見舞われた暗くて肌寒い日を指すということだが、自分はここに東北のやませ(東北の太平洋沿岸部の農作物に冷害をもたらす冷たい風)を重ねるのである。それはさておき、著者の紫桃正隆氏(1921~2008)の略歴を紹介したい。彼は石... 続きを読む

中世豪族の留守氏と国分氏、小鶴城で激突

初めに 私は去る7月末に宮城野区に位置する小鶴城跡を訪ねたが、本日は中世の頃、この城で行われた豪族同士の合戦について述べたい。参考にした資料は平成5年発行の紫桃正隆著、鈴木久光発行の『みやぎの戦国時代 合戦と群雄』と平成元年仙台市発行の『「新」目で見る仙台の歴史』である。 伊達氏が君臨する以前の仙台平野の支配者 伊達政宗が君臨する以前(中世の頃)の仙台平野の支配者は一時期、国分氏(中世豪族)に... 続きを読む

仙台市宮城野区:小鶴城址を訪ねて

本日の午後、私は宮城野区の史跡の探訪に向かった。目的地は国分氏の家臣である逸見丹波が1394年頃居住したとされる小鶴城跡である。すぐ近くを東街道が通っていることから、現在執筆に取り組んでいる歴史作品『東街道をゆく』の一拠点として、この城跡を外すことができないと踏んだからである。参考にした資料は郷土史家の紫桃正隆(1921~2008)著『仙台領内古城・館 第三巻』(宮城県中央部)である。私はこれまで... 続きを読む

名取市の東街道周辺高館地区の探訪

本日は週の中休みを利して、名取市内の東街道にちなんだ高館地区の史跡を訪ねた。こういう時は小回りの利くバイクが便利である。土地の古老にお会いしたときのことを考えてヘルメットはジェット式(顔を出すタイプ)をチョイスした。ローカルな場所でフルフェイスを被ってうろつくわけにはいかないので当然の選択である。おおよその位置をヤフー地図で確認して頂きたい。名取市でもかなり北部のほうである。史跡の詳細は後日の記事... 続きを読む

名取市の史跡植松城跡を訪ねて

本日は去る十日前の3月11日に訪ねた名取市の植松城跡(満仲館跡)を紹介したい。と言ってもこの名称は極めて知名度が低く、一般的には雷神山古墳の小塚と言う名称で呼ばれることが圧倒的に多い。自分も小塚のことは知っていたが、ここに古城(館)があったとは知らなかった。古墳時代に造られた古墳の上に館が造られるのはそう珍しくはないが、この植松城跡に関しては地元のかたにとってもマイナーな存在と捉えている。駐車場に... 続きを読む

過去の記事を読んで頂いた読者様に深く感謝します

本日は大変嬉しいことがあり、週の中休みの前に美味い酒を飲んでいる。それは郷里石巻の老舗ラーメン店の大華楼さんの店主のお孫さんから過去の記事にコメントを頂いたことである。ブログをやっていてよかったと感じるのは、何と言っても過去の記事にコメントを頂くことである。これはブロガー冥利に尽きることであり、自分がこれまでブログで目指してきた方向性がけして過ちでなかったのを実感するものである。自分は現役の頃の最... 続きを読む

令和2年9月ブログ棚卸公開します!

本日は月末なので恒例の棚卸を公開したい。ブログの棚卸を履行しているのは拙ブログのみであるが、最近ブロ友様のboubouさんhttps://wdwwq181fc2.blog.fc2.com/がGoogleアナリティクスを使って、どんな記事が読まれたかを分析しておられる。これは自分のブログを客観する上で、極めて意義のあることと私は考えている。逆に言えばどんな記事を書けば読者に読まれるかが見えてくるからである。トップブロガーなどは常にこのことを頭... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その7

本日は昨日訪れた岩沼市長谷地区の長谷城と長谷一族について述べたい。参考にした資料は郷土史家故紫桃正隆著『仙台領内古城・館 第四巻』と長谷家百々(どうどう)地区調査チーム制作『長谷氏と古城』である。武石氏と亘理氏はけして別系の家譜ではない。千葉常胤という武将が奥州伏原征伐で源頼朝から恩賞として広い領地を得て、息子たちに分け与えた。武石氏の祖となった武石胤盛は千葉常胤の三男であった。その流れをくむのが... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その6

本日私は久しぶりに岩沼に向かった。理由は二つの城跡の取材である。文芸誌「みちのく春秋」に連載中の『東街道をゆく』の「その3」を書くためである。前回は金蛇水神社のことをブログに書いたが、これだけでは何か物足りないものを感じたのである。宮城県(一部は岩手県南部)の城や館の跡を巡るとき、参考になるのが郷土史家・紫桃正隆氏の書いた『仙台領内古城・館』(全5巻)である。本書は1400箇所近い城や館を取材した... 続きを読む

五月闇の中で我が人生を振り返るポタリング

 Boz Scaggs - We're All Alone (Unplugged Version) リンク曲についてボズ・スラッグスいつの間にかこのような穏やかな曲を好むようになった自分が居る。かつてはこのような曲はけしてリンクしなかったわけだが、セカンドライフを迎えて人間が丸くなったのかも知れない。自分がこの境地に至るには様々な紆余曲折があった。それでも現実から目を離したことはなかった。あることがきっかけで、これがトラウマになり人間不信に陥っ... 続きを読む

粟野氏の栄枯盛衰と沖野城

本日は中世豪族粟野氏と沖野城の関わりについて、昨日撮影した現地写真を掲載の上述べたい。先ずはこの地図をご覧頂きたい。データは今昔マップからの引用である。左が明治40年に測図した沖野館である。沖野館という呼び名から、この地に要害があったことが歴然とする。右は現在の地図に遺構の位置を落としたものである。(遺構の位置は「仙台市史 資料編7 城館」を参考にして私が描いた)曲がり角に注目、何の変哲もないL型... 続きを読む

曾祖母の代の横町想定図

本日『みやぎ北上川今昔』(みやぎ北上川の会発行)という著物に掲載された北上川実測図を見て、生家の横町の近くにあったとされる堀の位置がよくわかった。実測図が描かれた時代は明治30年(1897年)頃のものと思われる。(同書P160より引用)水色が堀のあったところ(現在は埋め立てられたり、暗渠となって堀としては殆ど残っていない)である。赤は私の生家のあった場所である。これは郷土史家の故・紫桃正隆氏(19... 続きを読む

史跡「石巻城跡」を訪ねて

端書き本日、書庫に「紫桃正隆の研究」を追加した。既に二つの記事を移したが、これから自分が葛西氏、大崎氏のことを研究するに当たり、郷土の先賢史家である彼の著作の数々は避けて通れないと思ったからである。奥州葛西氏については既に末永能登守氏(LIVEDDOORブログ)が多くのことを書いておられる。彼とは過去に二回ほどお会いしたが、執筆を続ける上でこれからも様々な接点が出てくるものと考えている。 ここで私が葛... 続きを読む

歴史エッセイ『忠義か因果か?佐藤為信の生涯』

横町挨拶この作品は三年前に東北福祉大学教授である岡田清一氏の歴史講座「戦国後期における伊達と相馬」を受けたことをきっかけに、その後様々な文献を参考にし、数度に渡る現地取材を経て創作に及んだ歴史エッセイである。史実には忠実に書いたつもりだが、資料をすべて読んだわけでなく自信はない。また、一部には私の私見を加えた部分もあることを始めにお断りしたい。いずれにしても佐藤為信という一人の相馬の武将の寝返りが... 続きを読む

伊具の泥濘に沈んだ伊達武者の無念

泥濘地にはまって首を刈られた伊達武者たち昨日の7月26日、相馬野馬追を見物した私は帰りがてらに宮城県の丸森町に立ち寄った。その動機となったのは一冊の書籍紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」である。時は1576年8月末である。伊達と相馬が激しく争っていたころである。ちなみにこの時政宗はまだ9歳で元服前で出陣していない。恐らくこの日はきょうのように猛暑に見舞われたのでないだろうか?文中に「細道や... 続きを読む