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東街道をゆく 岩沼編その7

本日は昨日訪れた岩沼市長谷地区の長谷城と長谷一族について述べたい。参考にした資料は郷土史家故紫桃正隆著『仙台領内古城・館 第四巻』と長谷家百々(どうどう)地区調査チーム制作『長谷氏と古城』である。武石氏と亘理氏はけして別系の家譜ではない。千葉常胤という武将が奥州伏原征伐で源頼朝から恩賞として広い領地を得て、息子たちに分け与えた。武石氏の祖となった武石胤盛は千葉常胤の三男であった。その流れをくむのが... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その6

本日私は久しぶりに岩沼に向かった。理由は二つの城跡の取材である。文芸誌「みちのく春秋」に連載中の『東街道をゆく』の「その3」を書くためである。前回は金蛇水神社のことをブログに書いたが、これだけでは何か物足りないものを感じたのである。宮城県(一部は岩手県南部)の城や館の跡を巡るとき、参考になるのが郷土史家・紫桃正隆氏の書いた『仙台領内古城・館』(全5巻)である。本書は1400箇所近い城や館を取材した... 続きを読む

五月闇の中で我が人生を振り返るポタリング

 Boz Scaggs - We're All Alone (Unplugged Version) リンク曲についてボズ・スラッグスいつの間にかこのような穏やかな曲を好むようになった自分が居る。かつてはこのような曲はけしてリンクしなかったわけだが、セカンドライフを迎えて人間が丸くなったのかも知れない。自分がこの境地に至るには様々な紆余曲折があった。それでも現実から目を離したことはなかった。あることがきっかけで、これがトラウマになり人間不信に陥っ... 続きを読む

粟野氏の栄枯盛衰と沖野城

本日は中世豪族粟野氏と沖野城の関わりについて、昨日撮影した現地写真を掲載の上述べたい。先ずはこの地図をご覧頂きたい。データは今昔マップからの引用である。左が明治40年に測図した沖野館である。沖野館という呼び名から、この地に要害があったことが歴然とする。右は現在の地図に遺構の位置を落としたものである。(遺構の位置は「仙台市史 資料編7 城館」を参考にして私が描いた)曲がり角に注目、何の変哲もないL型... 続きを読む

史跡「石巻城跡」を訪ねて

端書き本日、書庫に「紫桃正隆の研究」を追加した。既に二つの記事を移したが、これから自分が葛西氏、大崎氏のことを研究するに当たり、郷土の先賢史家である彼の著作の数々は避けて通れないと思ったからである。奥州葛西氏については既にヤフーブログに末永能登守14611514氏が多くのことを書いておられる。彼とは過去に二回ほどお会いしたが、執筆を続ける上でこれからも様々な接点が出てくるものと考えている。 ここで私が... 続きを読む

歴史エッセイ『忠義か因果か?佐藤為信の生涯』

横町挨拶この作品は三年前に東北福祉大学教授である岡田清一氏の歴史講座「戦国後期における伊達と相馬」を受けたことをきっかけに、その後様々な文献を参考にし、数度に渡る現地取材を経て創作に及んだ歴史エッセイである。史実には忠実に書いたつもりだが、資料をすべて読んだわけでなく自信はない。また、一部には私の私見を加えた部分もあることを始めにお断りしたい。いずれにしても佐藤為信という一人の相馬の武将の寝返りが... 続きを読む

伊具の泥濘に沈んだ伊達武者の無念

泥濘地にはまって首を刈られた伊達武者たち昨日の7月26日、相馬野馬追を見物した私は帰りがてらに宮城県の丸森町に立ち寄った。その動機となったのは一冊の書籍紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」である。時は1576年8月末である。伊達と相馬が激しく争っていたころである。ちなみにこの時政宗はまだ9歳で元服前で出陣していない。恐らくこの日はきょうのように猛暑に見舞われたのでないだろうか?文中に「細道や... 続きを読む