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私にとって酒を飲む意義&祖父への敬愛

 名曲アルバム「行進曲“威風堂々” 第1番」 【コラム】久しぶりにエルガー作曲の「威風堂々」のリンクである。「威風堂々」はイギリスの第二国歌と言われるだけあって格調高い曲である。個人個人の人格を重んずるという意味において、イギリスは我が国をはるかに凌いでいる。それはけして先の大戦の戦勝国ということだけでない。かつて、イギリスは日の沈まぬ国と言われただけあり、今でもその威厳を十分に感ずるものがある。私... 続きを読む

石巻市住吉神社近況 その2

本日は去る11月15日(月)に訪ねた石巻市の住吉神社(正式には大島神社)の近況をお伝えしたい。郷里石巻市には、8日前の11月7日(日)とは別件での訪問である。工事は宮城県内に本社がある建設会社が請け負っている。ホームページリンクhttp://www.maruka-cons.co.jp/住吉神社の整備は護岸工事とセットとなっている。境内を始めとした周囲の土地を大量の土砂でかさ上げするのがメインの土木工事である。この道路は住所は... 続きを読む

祖父との今生の別れ、五十数年前の金華山への旅と宿泊施設の判明

  【4k】宮城 牡鹿半島~金華山 空の旅. by DJI Mavic Pro.  リンク動画についてYOU TUBEサイト・ゆでゆでゆでこ様からのリンクである。4K画像はドローンからの撮影と思われるが高画質で、後にテレビ局から放送させて欲しいという依頼もあったという。実は先日石巻を訪れたユーチューバーの大川原明氏が、牡鹿半島東端のホテルニューさか井に宿泊したスレッドを見て、いろいろと調べて行くうちに、偶然にこの動画を見つけ、そ... 続きを読む

横町利郎を名乗って一年

横町利郎を名乗ってそろそろ一年になる。横町利郎の前のペンネームはミック○○(丸の中は本名)である。歴史ものを主としている以上、カタカナの入ったペンネームはどんなものか?と悟ったのが理由だが、横町利郎というペンネームの構想は三四年前から既に持っており、数人のブロ友様に胸のうちを明かした記憶がある。横町(宮城県石巻市)は私が生を受けた町の名(今は千石町)で尊敬する祖父母を語る上で欠かせない地名である。利... 続きを読む
[タグ] 横町利郎

大街道騒擾事件と我がルーツ

大川家の帰農と大街道入植(※大川家は横町利郎の祖父方ルーツである)戊辰戦争に破れ、石高を半分以下とされた我が仙台藩にとって、明治は試練の時期と言える。大川家もその激動の中で喘いでいた。冬になると掘立て小屋には容赦なく隙間風が吹き込んでくる。食糧事情も劣悪で皆が生きるのに必至だった。そんな時に県による士族授産が行われることになった。1880年(明治13年)門脇村の牡鹿原に(現宮城県石巻市大街道地区)... 続きを読む

川村孫兵衛菩提寺を訪ねて

世に「思い立ったら吉日」という言葉がある。本日の私の行動は正にこの言葉に裏づけされたものとなった。私は朝7時前に家を出て電車に乗り込んだ。目的は祖父方ルーツが世話になった仙台藩士・川村孫兵衛重吉の菩提寺である石巻市普誓寺に行く為である。出来たばかりの仙石線石巻あゆみ野駅で降り、最初に向かったのは青葉神社である。青葉神社訪問は2014年11月30日以来である。この時は遠田郡在住の知人Kさんと待ち合わ... 続きを読む

生家周りの明治時代地図

先日、石巻千石船の会のH会長にみちのく春秋を送り、現在蛇田町(現:旭町)の町割りを調べていると伝えたところ、このような興味深い資料が送られてきた。明治時代の蛇田町の地図である。我が故郷石巻には墨廼江という銘酒があるが、墨廼江はこの濠の名前(別名:蛇田かいこほり)から取ったものらしい。このように建物一つ一つの名称がわかるのは大変有り難い。この界隈に妓楼(遊郭)が多いというのは以前から聞いていたが、そ... 続きを読む

横町界隈の製図

本日は昨日に引き続き、生家横町周辺の製図を行った。先ずは基本情報をGoogle航空写真地図に落としてみた。町名や最寄の寺の記入が済んでいなかった為である。紫桃正隆氏の描いた図面と異なるのは水路や道路の角度が必ずしも直角になっていないということである。こうなると一筋縄では行かない。もっとわかりやすくする為にGoogle3D立体画像に通のや濠、主要な屋敷の名称を落とし込んでみた。立体画像で見ると屋敷の広さも想定で... 続きを読む

江戸期~大正期の生家の地図公開します

本日は江戸時代~大正期にかけて描かれた自分の生家位置が特定できたので発表したい。石巻の鋳銭場(硬貨を造った場所)は1728年(享保13年)に造られている。この鳥瞰図には鋳銭場の表示があるので、少なくとも江戸時代中期以降に描かれたものと見られる。各町の名称を落としてみた。私の生家を赤い点で示してみた。「横町」と書かれた文字の左傍にあるところである。生家の近くを流れていた堀(水色で表示)は今ではなくな... 続きを読む

『江戸の極楽とんぼ』石巻編

本日は最近読んだ織田久著『江戸の極楽とんぼ』についての感想などについて語りたい。この本は幕末の浄瑠璃芸人の富本繁太夫の東北漫遊記『筆満可勢』について書かれたものである。繁太夫は江戸の深川に住んでいた芸人で生年も本名も不詳である。江戸浄瑠璃の一派で富本節の芸人ゆえ、富本繁太夫を名乗ったようである。三味線引きの弥惣次、内弟子の松の二人を連れての男三人旅であった。著者の織田久氏は繁太夫の実家は小間物問屋... 続きを読む

曾祖母の代の横町想定図

本日『みやぎ北上川今昔』(みやぎ北上川の会発行)という著物に掲載された北上川実測図を見て、生家の横町の近くにあったとされる堀の位置がよくわかった。実測図が描かれた時代は明治30年(1897年)頃のものと思われる。(同書P160より引用)水色が堀のあったところ(現在は埋め立てられたり、暗渠となって堀としては殆ど残っていない)である。赤は私の生家のあった場所である。これは郷土史家の故・紫桃正隆氏(19... 続きを読む

藩政時代の石巻の花街を偲ぶ本

昨日図書館で興味深い著物を借りてきた。伊藤孝博著・無明舎出版『江戸「東北旅日記」案内』である。本書は江戸時代の東北地方を描いた紀行文の案内で、全20景から成る名著である。この第12景に富本繁太夫『筆満可勢』という旅日記が紹介されている。繁太夫は江戸の深川に住んでいた芸人で生年も本名も不詳である。江戸浄瑠璃の一派で富本節の芸人ゆえ、富本繁太夫を名乗ったようである。仕事に欠かせぬ三味線引きを連れての旅... 続きを読む

自分の祖父方はやはり士族?

大川家は士族か?現在私は歴史小説「我がルーツと大河北上」を執筆中だが、或る資料に出合い、自分の思い違いが判明した。それは野谷地(遊水地)の開拓に携わった人足(私のルーツ)は農民(例え下級武士であっても、士族が掘削や農地開拓などをするわけがない…)とばかり思っていたのだが、みやぎ北上川の会発行「みやぎ北上川今昔」P57によると、これを行ったのは年貢を課せられた農民ではなく、家臣、陪臣(家臣の家臣、又家... 続きを読む

我がルーツと大河北上 第二章その一

第二章「大川家の生き残り」その一大川家の祖私の祖父方のルーツである大川家は古くは現岩手県南部に住み葛西家の下級武士として代々仕えたが、戦国の世の末を向かえ、既に勢力の衰え始めた葛西に見切りをつけて帰農していた。この頃の一族の生活は貧しく、やませ(北日本の太平洋側で春から夏にかけ冷気に見舞われる現象。低い雲や霧がかかり農作物に深刻な影響をもたらす)による土地柄と深刻な飢饉の影響で衣食住もままならず、... 続きを読む

江戸期石巻住吉本穀御蔵初公開

本日は藩政時代に描かれたと思われる仙台藩石巻湊の住吉本穀御蔵絵図(千石船で江戸に出荷する米などを一時的に貯蔵した蔵)を紹介したい。その前に現在の航空写真(Google航空写真)で住吉本穀御蔵のあった位置をご覧願いたい。アンドリューム相澤と石巻市立住吉小学校の二つのセクションである。住吉小学校には低学年の三年間在籍したことがあり、半世紀以上を経た今でも大変思い入れの深い場所である。これが住吉本穀御蔵絵図(... 続きを読む

北上川河口「藤巻ノ渡」を訪ねて

昨日、週の中休みを利用して再び石巻市の北上川下流域を訪ねた。この場所まで仙台からは高速バスで2時間近く(徒歩に要した時間を含む)掛かった。ここは5月12日にも訪ねた袋谷地地区である。石巻大橋から上流部を望んだ。今回のターゲットは右側の岸が出張った辺りである。実はここには昔、船の渡し(藤巻ノ渡)があった。今昔マップで藤巻ノ渡をご覧願いたい。※右側航空写真赤:高速バスルート(下車は宮城バス営業所停留所... 続きを読む

我がルーツと大河北上 その1 

我がルーツと大河北上 その1三つ子の魂百までも父方祖父について、今になって思えば、軍人あがりの昔気質で頑固な性格となろうが、幼い私にはその片鱗すら感じさせなかった。菊の花と酒をこよなく愛した祖父に溺愛された私は、祖父のそのような本質を見通せなかったのである。祖父は時としてあぐらをかいて机に向かうことがあった。恐らく祖父は遠方に住む叔父や北海道に嫁いだ叔母に手紙を書く事があったのだろう。祖父の机の引... 続きを読む

旧北上川河口~住吉町散歩

旧北上川河口~住吉町散歩自分のルーツを知りたいという願望は多くのかたが持っておられるものと察している。しかしながら、仕事や家事をこなさねばならない現役時代には、なかなかその時間さえ取れない。これは数年前に自分が感じていたことであった。そんな自分にようやく好機が訪れた。定年退職を機会に郷里石巻の祖父方の原戸籍を調べたのは昨年二月のことだった。但し、これと菩提寺の過去帳を駆使しても知りうることには限界... 続きを読む

石巻市袋谷地を訪ねて

私が石巻市袋谷地を訪ねたのはちょうど一週間前の5月12日(土)のことである。今は住宅地となっているこの地区は、その昔葦の生い茂る湿地帯であった。これは安政年間の石巻絵図である。時期的にはちょうど袋谷地(絵図の←部分のコブ状になった所)で農地開拓が進められた頃である。私の実家は横町(黄色:現千石町)だが、既に市街地と化しているのが確認できる。私の父方曾祖母のMは1855年(安政2年)生まれなので、この... 続きを読む

日高見神社を訪ねて

私は去る5月12日に車で北上川河口から北上川に沿って上流に遡った。親戚のA氏から聞いたルーツ(祖父方先祖は岩手県から北上川伝いに南下してきた)のルートをたどる為である。石巻市の袋谷地地区~飯野川を経て着いたのは北上川の呼び名の起源とされる日高見(ひだかみ)神社である。この神社はけして大きくはないが、蒼枯な趣を感じる神社である。鳥居を潜ると本殿まで二百メートルほどの参道が続いている。Google航空写真で... 続きを読む

我がルーツ・北上川流路を辿る旅

ルーツ調べに取り組んでそろそろ5年経つ。当初は北上川河口である石巻にばかり着目していたが、親戚のA氏から驚くべきことを知らされた。それは祖父方のルーツは岩手県から北上川に沿って南下し、石巻に根付いたということである。しかも伊達政宗の命令で、北上川の大改修工事についた川村孫兵衛重吉(旧毛利家臣ながら、関ヶ原の戦いで浪人となり、伊達政宗に抱えられた技術者)の下で実際の工事に携わったというのである。この... 続きを読む

我がルーツへの考察

 その時歴史が動いた 「伊達政宗 百万石への挑戦」 (2001年) https://www.youtube.com/watch?v=Y2LjouUypGkリンク動画についてそろそろ自分が書きたいことが煮詰まってきた。それは自分のルーツが北上川という大河に深く関わってきたということである。但し、自分の先祖はけして勝ち組ではない。多くの家が栄枯盛衰を繰り返したという事実に背くことなく、我が先祖も生きるために、数限りないほどの苦渋を味わってきたのであ... 続きを読む

石巻の千石船の想像図

藩政時代の石巻港には多くの千石船が浮かんで盛況を呈していた。1689年に石巻を訪ねた松尾芭蕉は、奥の細道で石巻の往時の様を「数百の廻し船入江につどい、人家地を争いて、かまどの煙立つ続けたり」と綴っている。恐らく石巻を訪れた芭蕉の目の前には多くの千石船が忙しく往来していたのではないだろうか?その往時の千石船を偲ばせる想像図など、貴重な資料が掲載された歴史書を見つけた。図説「宮城県の歴史」(河出書房新... 続きを読む

北上川の流路変遷

これは現在の石巻市に於ける北上川河口近くの様子である。※2018年3月21日、石巻市日和山より上流部に向かって撮影。今の新北上川(辻堂~稲井~石巻河口)については江戸時代の初期に伊達政宗の行った流路改修工事で拡幅整備された区間である。但し郷土史研究家の紫桃正隆氏によると、中世以前の北上川流路を推定する古文書はほとんどないという。実は彼の著作である「葛西氏と山内首藤一族」の中に慶長年間以前の北上川の... 続きを読む

五十数年前の祖父の晩酌を偲んで

昨日、私は所用があって郷里の石巻に向かった。用が済んだのは16時半くらい。仙台に戻ると遅くなるので宿泊することにした。ここは石巻の名前の由来となった巻石のある住吉公園である。私は生家から程近いビジネスホテルに宿泊することにした。私が宿泊したのはこの緑色の建物の2階の部屋である。特段豪華という印象はないが、小奇麗なホテルで、三つの窓からは全てこの丘をが見え、瞑想にふけるには相応しい部屋であった。私が... 続きを読む

西暦千七百年代生まれの6世祖父の名前判明

西暦千七百年代生まれの6世祖父の名前判明本日は去る2月24日に石巻市役所市民課で取得した原戸籍を基に、新たに訂正した家系図を紹介したい。これは祖父方(ライトブルー色)の血の繋がり上でのルーツである。紫が父方祖父、一番上の群青色の人物が1700年代後半に生誕したと思われる私の6世祖父(6代前の人物・生年、没年不詳)である。その下の薄青色が1810年(文化7年)生まれの5世祖父である。その下の高祖父は... 続きを読む

郷里石巻へ向かった訳

郷里石巻へ向かった訳本日、私は或る目的ため、電車に乗って郷里石巻に向かった。少し早いので、石巻駅の二つ前の駅である蛇田駅で降りて散策することにした。今日の石巻は朝のうちは小雪がちらつくような寒い一日であった。これは貞山運河と言って伊達政宗公の遺産と言ってもいい藩政時に於ける貴重な水路である。私は政宗公の死後380年を経て、改めて彼の先見性を思い知った気がした。この後、高台にある羽黒神社に立ち寄った... 続きを読む

臼井吉見著「石巻」粗筋、読後感想

臼井吉見著「石巻」粗筋、読後感想つい最近、私は郷里石巻に関する或る随筆を読んだ。昭和32年初版臼井吉見氏著「石巻」である。この随筆は仙台市図書館(メディアテーク)で借りた「ふるさと文学館第五巻」(宮城県版)に掲載されている。この作品は5000字ほどの短編だが、往時の石巻のことがよく書かれている。本日はふるさと文学館第五巻(宮城県版)の見出しと臼井氏(故人)紹介の傍ら、この作品の粗筋と読後感想につい... 続きを読む

祖父方ルーツの究明

祖父方ルーツの究明本日は私の先祖調べで、昨日の石巻図書館でわかったことをお伝えしたい。現在の先祖調べについては大きく分けて二つの流れがある。私の祖父は養子に入った人物(祖母はそこに嫁に入った)ゆえ、祖父方の「血の繋がり」でたどるルーツ血の繋がりを無視してあくまで「家」でたどるルーツ全部お伝えすると相当長くなるので、本日はに絞ってお伝えしたい。この家系図をご覧頂きたい。私の祖父方の血の繋がりをたどっ... 続きを読む

エッセイ「在りし日の親父への回想」

 Pet Shop Boys-It's a Sin-Live リンク曲についてPet Shop Boysを代表するこの曲は80年代後半から90年代前半に大ヒットし、夜の街に行くと、クラブやキャバレーなどでよく耳にしたものであった。前奏のパイプオルガンによる演奏はまるで賛美歌を思わせるような宗教音楽を彷彿させる。しかしながら、1分過ぎに曲調が豹変し、ディスコミュージックの本性を現す。私はこの曲調の変化に自分がたどった人生航路の暗喩を感じ... 続きを読む

新作歴史エッセイ「大川家の牡鹿原入植」

私は二年前の2014年12月23日、戊辰戦争時に仙台藩隠密として活躍した細谷十太夫に関する歴史エッセイ「石巻を救ったからす組隊長細谷十太夫」を書いた。※歴史エッセイ「石巻を救ったからす組隊長細谷十太夫」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33192809.html仙台藩士・細谷十太夫は今まで数作の歴史小説と映画「吶喊」(1975年岡田裕介製作)にその波乱万丈な生き様を描かれた人物である。彼は新政府軍から... 続きを読む

謎に満ちた我が曾祖母Mの生涯

謎に満ちた我が曾祖母Mの生涯私の父方曾祖母が亡くなって91年が経つ。本日は謎に満ちた曾祖母の生涯にスポットを当てたい。私はここ数年前から先祖調べを行い、不完全ながら家系図を作成している。先ず家系図を基に私と曾祖母の関係を説明したい。曾祖母は1855年(安政元年)の幕末の生まれである。私が相当の推察を加えたことを最初にお断りしたい。曾祖母の伴侶が養蚕業に携わっていたという既成事実から、旦那である或る... 続きを読む

息子との石巻探訪

 息子との墓参り昨日息子と墓参りに行った。私のルーツは石巻である。車で菩提寺がある門ノ脇地区を訪ね、彼岸には少し早かったが、先祖には息子の大学進学を報告した。志を新たにする息子にはあらゆる努力を惜しまずに、尽力したいと思っている。私はそれが幼少時に祖父母から受けた深い恩愛に応えるすべと受け止めている。ここは老舗の醤油製造工場の「山形屋」である。息子と墓参りに行ったのは一昨年の盆以来となる。その間に... 続きを読む

フェニックスと言われた港町石巻

榎本武揚と石巻                                      榎本武揚(1836~1908)以下国立国会図書館「近代日本人の肖像」より引用し横町が編集1836年、幕府御家人下級武士の次男として生まれる。1856年長崎海軍伝習所に入所。文久1862年から4年間に渡りオランダに留学する。明治元年(1868年)海軍副総... 続きを読む

私のルーツ石巻市横町界隈の藩政期

私のルーツ石巻市横町界隈の藩政期ここは震災前の2010年5月に撮影した私の生家のあった宮城県石巻市横町(現:千石町)である。(北側に向かって撮影)私の曾祖母Mがこの町に住んだのは明治初期~大正後期のことと推測される。子供の居ない曾祖母の養子に入ったのが私の祖父である。ここで興味深いことはこの横町に昔は水運用の堀があったという話である。私が生まれたころには埋め立てられ、往時を偲ぶ面影さえなかったので... 続きを読む

祖父の五十回忌を偲んで

Hino National de Portugal※祖父の供養の記事にこの曲(Hino National de Porutugal(ポルトガル国歌))をリンクした理由は何卒下記の歌詞を参照して頂きたいと思う。私はつまらない人物であるが、先祖だけは誇れるものがある。その最たるものが私の祖父である。今の私の不屈の精神はここから生まれると言っても言い過ぎでない。私にとっての偉大なる先祖とは祖父に他ならないのである。本日は祖父への限りない畏敬を込めてこの曲... 続きを読む

愛する息子との相馬小旅

Helmut Lotti Santa Luciahttp://www.youtube.com/embed/GvtIvvPTPwQプロローグ私は北上川河口の石巻市に生を受けた。幼い頃父の仕事のため、仙台に住まいを変えたが、その原点は石巻にあると考えている。この曲(サンタルチア)は小学校3年生まで在籍した石巻市立住吉小学校の下校時にチャイムとして聞いたメロディーゆえ、ことの他想い入れの深い曲である。今回は真っ直ぐに育ってくれた息子に感謝の気持ちを込め、またこれから... 続きを読む

相馬市初音旅館跡地への再訪

相馬市初音旅館跡地への再訪去る5月17日(日曜日)私は相馬市袋町のAさん宅を訪ねた。今回で二回目の訪問である。目的は親父が役人だった五十数年前に宿泊したの初音旅館の写真を送って頂いたことに対しての御礼である。Aさん夫婦との出逢いは劇的であった。一ヶ月前の日曜日、相馬市役所のかたから初音旅館のおおよその位置を聞いた私がどうしても初音旅館跡地を見つけ切れないため、たまたま庭仕事をしていた奥様に声を掛けた... 続きを読む

父が五十数年前に宿泊した初音旅館を訪ねて

相馬市初音旅館で五十数年前の父を偲ぶ小旅去る3月19日掲載した記事で父が五十数年前に出張先の福島県相馬市から仙台の自宅で留守をする母と私に宛てた葉書を紹介した。折しも4月から相馬勤務となった私は休日を利用し、その差し出し先と思われる初音旅館を訪ねることにした。尚、今回の訪問の大きな動機となったのがブロ友様であるスミチカさんから寄せられた情報「現在営業しているかまでは分かりませんが、葉書の内容にある... 続きを読む

五十数年前の父の葉書き

家族思いで几帳面な父の性格を知り得る一通の葉書き本書庫では過去に於いて①祖父が私に宛てた葉書き②祖母の葉書き(同)③独身の叔父が親父に宛てた葉書きを紹介してきた。(興味のあるかたはブログのバックナンバー機能でご覧頂けます)本日紹介するのは五十数年前に親父が出張先(宿泊先)である福島県相馬市の初音旅館から宛てた葉書きである。水色には私の本名が記してある。往時一家は川べりに住んでおり、... 続きを読む

独身の頃の叔父が父に宛てた一通の葉書

両親と父を労わる叔父の気持ちが滲み出た一通の葉書きこれは今は亡き叔父が昭和三十年代前半の頃、私の父に書いた葉書きである。この文面から非常に興味深いことが読み取れる。葉書きを出した時の叔父は研修医としての駆け出し時代と思われる。下痢気味の兄貴(私の父)に対して医師としての気遣いを感じるとともに、文中に「若の花」という部分が気になる。恐らく大相撲の夏巡業が来ていた頃と思われるが、ここでいう「若の花」と... 続きを読む

祖母から受けた恩愛

 未熟だったゆえ、生前返せなかった祖母の恩愛これは私が小学校高学年のとき、祖母からもらった葉書きである。この頃は7円で葉書きが出せる時代であった。実家石巻の祖母はどんな気持ちでこの葉書きを書いたのだろう?折しも祖母は数ヶ月前に祖父を亡くしたばかりで寂しく一人暮らしをしていた頃と察している。仙台の小学校に在籍していた時、偶然にも半年前の遠足は石巻であった。場所は日和山であったが、この時祖父母が逢... 続きを読む

律儀に生きる理由

 私が律儀に生きる理由(わけ)これは生前の父方祖父の写真である。祖父は私の自叙伝などに何度か登場しているが、半農半士(下級武士)と思しき父(私から見れば曽祖父)や祖父(私から見れば高祖父)を祖とした軍人あがりの人物であった。祖父は子供を早く亡くした曽祖母(私とは血の繋がってない人物)の養子に入り、そこで嫁を娶った。その人物こそが私の祖母である。)この祖父から私は性格(頑固で実直で律儀)を引き継ぎ、... 続きを読む

ようやく果たした祖父との晩酌

 平井堅 大きな古時計本日12月12日は父方祖父の命日である。祖父が亡くなってからもうすぐ半世紀になる。然るに私の性格、人格の多くは尊敬する祖父から受け継いだものである。私は迷うことなく有給休暇を取って高速バスを使って郷里石巻へと向かった。菩提寺のある門ノ脇に向かう途中、北上川河口を歩いた。向こう岸の造船所のドックにはご覧のように船が入っていた。震災の津波で壊滅的な被害を受けた石巻市であるが、よう... 続きを読む

未知なる曽祖父を知る!家系図作りへ大きな一歩を刻む

  本格的な家系図の作成へ三連休初日となった昨日、私は朝早い列車に乗り、郷里石巻へと向かった。目的は①祖母の命日への弔い②家系図を作成するのに大きな鍵を握る親戚A氏と逢うためである。JR仙石線陸前山下駅で下車した私はこのような真っ直ぐな道をひたすら南東へと向かった。花壇のカラフルな花を見て歩くのはなんとも心地よい。ところでここは石巻育ちの私も生まれて初めて歩く道である。歩ってきた道を振り返... 続きを読む

ミック家のルーツに迫る

 私は一体どこから来たのか?私が家系図の作成に取り組んでから数年経つ。その動機は祖父母への深い敬愛と郷土愛である。菩提寺の過去帳からわかったのはミック家の先祖がある側室(妾)を祖としていることである。一体誰の側室であったのかは定かでない。ただ言えるのは屋敷のあった場所は当時石巻では商業に適した利便性に富んだ要衝の地(辻)であった。そして子共が居なかったこの女性(私の曾祖母)の養子に入った人物こそが... 続きを読む

息子との墓参り

 十年ぶりの息子との心の触れ合い今日から盆の九連休に入った。実は私には数年来の心配事があった。それは息子との関係である。2005年秋に転勤が決まった私は或る事情により精神的な不調に陥ってしまったのである。大変不本意ながらその後の息子との関係は以前のものとまったく違ったものになってしまった。彼の身上を思えば無理もないことなのかも知れない。だがこのことが私の人生に陰を落とすものとなったことを否めないの... 続きを読む

祖母の23回忌を偲ぶ小旅

   亡き祖母の面影を偲ぶ供養の旅いよいよ10月の3連休が始まった。初日のきょうは郷里石巻を訪ねた。目的は二つ、①祖母の23回忌を偲ぶ②慶長使節団出航四百周年記念パーティーチケットの買い取りである。私は以前全線開通してない仙石線(高木~陸前小野間はJR代行バス)に乗り、早朝8時半前に石巻に到着した。駅前から目抜き通りの立町に出るとこの通り、震災で被害を受けたと見られる鉄筋コンクリートの建物... 続きを読む

半世紀前に死んだ親父を心に刻む石巻への旅

  在りし日の親父の面影を偲んで昨日7月27日(土)のことだった。私はちょうど50年前に亡くなった親父を偲び早朝の電車で郷里石巻に向かった。JR仙石線は相変わらず全線開通しておらず、途中の松島海岸~矢本の間はJRバスでの乗り換え運行になる。(松島海岸駅にて)石巻に着いた。この日はこれまでのルートとはまったく異なるルートで自分の菩提寺に向かってみた。その主旨は親父が生前学生だったころ、どんな道を歩いたの... 続きを読む

半世紀前の我が人生を振り返る小旅

半世紀前、私が生活した某所への小旅 本ブログでは昨年の11月15日、私が半世紀前に住んでいた仙台市青葉区梅田町地区を訪ねた記事を紹介するとともに、亡き父の勤務していた役所跡地も皆さんにお伝えした。本日はその第2弾とも言えるものである。 ※半世紀前の父の面影を偲ぶ小旅へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29744943.html  実は当時は親父の仕事の転勤で非常に引っ越しが多く、仙台においても一... 続きを読む