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私と指向が良く似た一人の先賢

先日仙台市図書館からこのような図書を借りてきた。「きたかみ」と題打った随筆だが、本日はこの作品について述べさせて頂きたい。著者は石巻出身ではないものの。北上川河口の港町・石巻に思い入れの強いかたである。この本が出版されたのは昭和45年(1970年)ゆえ、今からおよそ半世紀前になる。著者は小学校の教員を勤められた(執筆時は現役と思われる)だけあって文学的な指向の強いかたである。冒頭に登場する徳田秋声... 続きを読む
[タグ] 須藤良吉

永井荷風とカツ丼

130320京成八幡・永井荷風の散歩道(1)「大黒屋のカツ丼」https://www.youtube.com/watch?v=AwcG7q6b8kAリンク動画について皆さんはカツ丼は好きだろうか?カツ丼は私の大好物の一つである。本日はカツ丼をこよなく愛した一人の作家を紹介したい。作家の名は永井荷風である。彼は晩年に千葉県市川市の八幡に住んだ。彼が毎日のように通ったのが食道・大黒屋である。永井荷風が好んだカツ丼と日本酒のセットは8分頃から登場する... 続きを読む

街道をゆくシリーズの再放送

 街道をゆく OP https://www.youtube.com/watch?v=JCRi0-CIbJMリンク動画について私は司馬遼太郎(1923~1996)の笑顔が好きである。彼は日本が誇る歴史の大家であり、時空の旅人とも言われる。それでも彼はけして東北を冷めた眼差しで見なかった。それどころか東北贔屓と言っていい視点を持っていた。彼は王道を歩んだ者よりも、弱者やマイナーなものに脚光を浴びせる傾向があった。今の自分もそうである。歴史を俯瞰... 続きを読む

司馬遼太郎街道をゆく「河内みち」

 街道をゆく「河内みち」 https://www.youtube.com/watch?v=mY9CqkZirig昨日、仙台市図書館の視聴覚コーナーで久しぶりにビデオを見た。司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」の「河内みち」である。司馬遼太郎が昭和39年に東大阪市に居を構える前に、彼は道頓堀とさほど遠くないところに住んでいた。番組の冒頭の「大阪の雑踏や喧騒さが好きだ」とい言葉に彼の限りない郷土への愛着を感じる。ところで、NHKの製作したこの番組は... 続きを読む

司馬遼太郎の英国紀行

 The Beatles - Penny Lane https://www.youtube.com/watch?v=S-rB0pHI9fUリンク曲についてビートルズのペニー・レインは非常に軽快なリズムの曲である。ペニーレインはビートルズのメンバーの出身地である。この曲には彼らのリバプールへの郷土愛を強く感じるとともに、正統派として王道を行く、音楽的な才能を改めて感ずる気がする。※リバプールの街中に立つビートルズの銅像(インターネットより)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※司馬遼... 続きを読む

街道をゆく「横浜散歩」読後感想

街道をゆく「横浜散歩」https://www.youtube.com/watch?v=0gIMHECJB-w街道をゆく「横浜散歩」読後感想司馬遼太郎が横浜を訪れたのは1982年(昭和57年)のことだった。「横浜散歩」が書かれたいきさつについて週刊朝日MOOK「司馬遼太郎の街道2」によると同年に発刊された「神戸散歩」と対であったという。往時の横浜を案内したのは涌井昭治氏(故人・当時の週刊朝日新聞出版局長)である。涌井氏は所謂ハマっ子で「生粋の関... 続きを読む

菊池寛「仇討三態」と私の接点

つい先日、菊池寛の「仇討三態」を読んだ。歴史小説というより時代小説の要素の強い作品だが、史実が全く含まれてないこともない。三態のうちの一話に、宮城県の石巻(往時は牡鹿郡渡波)で起きた新発田藩士・久米幸太郎による実話も登場する。本日は「仇討三態」の粗筋を記すとともに、自分にとっての「仇討ち」とが一体何なのかについて考えてみたい。その一主人公は二十二歳から父の敵討ちを果たす為、六十余州を訪ね歩く。国を... 続きを読む

史跡「石巻城跡」を訪ねて

端書き本日、書庫に「紫桃正隆の研究」を追加した。既に二つの記事を移したが、これから自分が葛西氏、大崎氏のことを研究するに当たり、郷土の先賢史家である彼の著作の数々は避けて通れないと思ったからである。奥州葛西氏については既にヤフーブログに末永能登守14611514氏が多くのことを書いておられる。彼とは過去に二回ほどお会いしたが、執筆を続ける上でこれからも様々な接点が出てくるものと考えている。 ここで私が... 続きを読む

司馬遼太郎・街道シリーズ「神田界隈」

街道をゆく「神田界隈」https://www.youtube.com/watch?v=7SfM5By32lEはし書き昨日の3月17日、久しぶりに市民図書館(仙台メディアテーク)で司馬遼太郎の街道をゆくのNHK放送版(VHSビデオ)を鑑賞した。本日はその概要と感想などを述べたい。司馬遼太郎が東京都千代田区神田界隈を訪ねたのは平成2年のことだった。探訪は一ツ橋に始まり、湯島聖堂、ニコライ堂の坂、神保町から神田駿河台と続いた。放送(VHSビデオ)では原作... 続きを読む

私が敬愛して止まない紫桃正隆氏

本日は私が敬愛して止まない宮城県の郷土史家・紫桃正隆氏のことを紹介し、彼の遺した功績を改めて、振り返ってみたい。なぜ私が彼の著物に惹かれたかを明かせば、自分の祖が伊達氏と葛西氏(岩手県南部~宮城県北部を支配した戦国大名ながら秀吉の奥州仕置きで滅亡)に深く関わったと思われるからである。紫桃氏の遺作は40にも及ぶが、特に葛西氏を研究した実績が高く評価されている。しかも彼は教師と郷土史家(作家)という二... 続きを読む

街道をゆく「甲州街道」鑑賞

「街道をゆく 甲州街道」https://www.youtube.com/watch?v=dT2hDRhWAh4「街道をゆく 甲州街道」昨日の12月13日(水)、私は例によって図書館で司馬遼太郎の「街道をゆく」をビデオで鑑賞した。鑑賞したのは新シリーズの「甲州街道」編である。本日はその概要について箇条書きで述べたい。但し概要を述べるだけでは余りにも能がないので、処々に自分の所見を加えながら、この記事へのオリジナリティを高めて行きたい。甲州街... 続きを読む

司馬遼太郎『街道をゆく神戸散歩』ビデオ鑑賞

 街道を行く 神戸散歩 https://www.youtube.com/watch?v=y8nTceDrQy8司馬遼太郎『街道をゆく 神戸散歩』本日の午前中、私は若林図書館を訪ねた。目的は現在借りている本の更新と視聴覚コーナーで司馬遼太郎の「街道をゆく」のビデオを見ることである。今回もいつもと同様に、ビデオと著物の双方を見て、内容をまとめ、自分なりの考察を加えてみた。1、神戸人が大阪人に対して抱く優越感とは?大阪湾は単に国内貿易のみでなく... 続きを読む

街道をゆく「芸備の道」ビデオ鑑賞

街道をゆく版芸備の道https://www.youtube.com/watch?v=Bndel7-MY2I本日は「勤労感謝日」だが、私にとっては「文化の日」の第二弾のような印象がある。立冬をとうに過ぎだいぶ寒くなってきたが、文芸に励む気持ちは「芸術の秋」と少しも変わっていないのである。私は10時半ころ、若林図書館を訪れた。入り口を前に、私は今日も文芸にどっぷりと浸かってやろうという思いを深めた。図書館で三冊の本を借りた後で2階の視聴覚室に... 続きを読む

筆力トレーニングの再開

 司馬遼太郎 感動人生 リンク動画について私は司馬遼太郎のファンである。但し、彼の作品が私の歴史に関する感心を誘ったのではない。郷土史に傾注することで、日本史全般に興味が広がったのがあくまで最初である。その後「街道をゆく」シリーズなどに親しむうちに、彼の真摯な姿勢に畏敬の念を抱くようになったのである。仰ぎ見るような高い処に居る彼だが、井上ひさし氏の言うようにに膨大な資料に目を通し、また現地取材にも... 続きを読む

私が老境になってから目指すべき人物

神様にあいたい(志賀直哉76歳時NHKインタビュー)本日は久しぶりに志賀直哉の登場である。初めのほうの動画は昭和34年に収録されたもので、直哉が76歳の時のものである。この笑顔を見て頂きたい。親友の武者小路実篤とともに仏文学者の河盛好蔵のインタビューを受ける直哉は温厚そのもので、若い頃のギスギスした印象はすっかり影を潜め、それどころか好好爺と言っても良い印象さえ受ける。自分が76歳になった時のことは... 続きを読む

次に読みたい本

次に読みたい本着々と断捨離を行い読書環境を整えつつある私だが、本日は次に読みたい本を紹介したい。本日AM雑誌類の断捨離を進めていたところ、このような雑誌が私の目に止まった。2000年のサライ深秋特大号である。この雑誌は広告にしても内容にしても中高年にピッタリといった感じがする。40代の頃はやや背伸びして読んでいたこの雑誌が、今の私の感性にピッタリとはまるのは、何か不思議な気がする。井伏鱒二が58歳... 続きを読む

「街道をゆく」南伊予・西土佐編動画鑑賞

「街道をゆく」南伊予・西土佐編編動画鑑賞について前書き定年を間近に控え、幸いにも今の私には自由な時間が相当ある。時として図書館に足を運び、文献に接することも多いが、こればかりだと滅入ることもある。そんな折によくしているのがDVDやVHSなどによる動画鑑賞である。最近は古い映画の他、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズなどを市立図書館で見ている。本日紹介する南伊予・西土佐編は一昨日の12月20日に見たもので... 続きを読む

司馬遼太郎『桃太郎の末裔たちの国』読後感想

司馬遼太郎『桃太郎の末裔たちの国』読後感想司馬遼太郎は時空の旅人と呼ばれる。その様は、客観の域を離れ彼が取り上げようとする時代に時空を超えて自らタイムスリップしようとするが如し。彼の「街道をゆく」シリーズにはそのような魅力を感じている。最初にお断りしておくが、私は生まれてこのかた関西に足を運んだことがない。従ってもちろん岡山には行ったことがない。それだけに、東北生まれ、東北育ちの私にとって、温暖で... 続きを読む

司馬遼太郎『加賀百万石の長いねむり』読後感想

【日時指定投稿】前書き今回、本著の読書欲に繋がったのは私の大切なブロ友様であられるともたん様の影響である。ともたん様は北陸の金沢にお住まいの主婦のかたである。既に子育てを終えられ、ご主人とお二人でボランティアをされ、家庭菜園を営まれるなど、悠々自適の生活をしておられる。また料理が大変お上手で良妻賢母の鏡のようなおかたである。この本を読むことがともたん様への誼に繋がる。そういう気持ちが私の活字を追う... 続きを読む

司馬遼太郎『竜馬と酒と黒潮と』読後感想

司馬遼太郎『竜馬と酒と黒潮と』読後感想前書き今回、本著の読書欲に繋がったのは土佐出身のA氏と知り合って日の浅いブロ友様のだっき~さんの存在である。A氏は戦国時代に土佐を統治した長曾我部元親の弟・香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)に仕えた重臣の末裔とのことである。詳しくお知りになりたいかたは2014年9月27日更新の拙ブログ「或る土佐武将末裔との宴」をご覧願いたい。http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/3... 続きを読む

司馬遼太郎『重庵の転々』読後感想

「重庵の転々」荒筋土佐出身の医者・山田重庵は南伊予の山中で医者を営んでいた。この地は古くは愛比売(現在は愛媛)とも言われ、温暖な気候や豊後水道に面した穏やかな風土は伊予の人々の温和な人柄を重ねるに相応しい土地柄であった。そんな中にあって土佐出身というだけで土地の人は重庵に対して猛々しいものを感じていた。しかし彼は往診もこなし、徐々に土地の人々に受け入れられ、尊敬を集めていった。※舞台となった愛媛県... 続きを読む

1976年に司馬遼太郎が見た山形羽州街道

新規書庫◆司馬遼太郎の研究◆増設について先日、司馬遼太郎の作品「有隣は悪形にて」、「街道をゆく」について触れたが、実は拙ブログに於ける司馬遼太郎に関する記事は過去にも存在している。それは2年前の11月8日に更新したエッセイ「郷里石巻の今昔」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33102757.htmlである。このエッセイを書くのに大いに役立ったのが街道をゆくシリーズの「仙台・石巻編」である。今回紹介するのは同シリ... 続きを読む

司馬遼太郎『有隣は悪形にて』読書感想

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」第5話富永有隣の登場するシーンは①11分17秒~②19分16秒~である。※NHKのリンク動画はいずれリンク無効になります。読者様に於かれましては、このことをお含みの上、ご覧くださいますようお願い致します。司馬遼太郎著『有隣は悪形にて』読書感想はしがき私は今年の6月16日、自分のブログに富永有隣に関するエッセイを書いた。長州出身の幕末時の儒学者・富永有隣については作家の... 続きを読む

随筆「昨今の私の歴史志向」

随筆「昨今の私の歴史志向」ブログを運営していると様々なブロ友様から読書に対しての啓発を頂戴することがある。私の触手が動くカテゴリーは主として、文学・歴史・啓発本・エッセイの類である。私にとっての読書は自分自身の筆力向上のためである。私は常日頃から短編でもいいので歴史小説を書きたいと感じている。その動機が歴史への探求心に直結しているのである。歴史エッセイは概ね書きやすいのだが、歴史小説を書くのはなか... 続きを読む

俊英・秋山真之が用いたT時戦法とは?

その時歴史が動いた「秋山真之が日本海海戦で用いた作戦」秋山真之が用いたT時戦法とは?最近、NHKで過去に放送された「その時歴史が動いた」に接することが多くなってきた。これによって、以前は近世が中心だった私の歴史指向が徐々に他の時代に広がってきた。本日紹介するのは近代の日露戦争にまつわる英傑・秋山真之の活躍である。20世紀初頭の帝政ロシアの南下政策は我が国にとって大きな脅威であった。清国の北部を支配下... 続きを読む

吾輩は小説家である

NHK歴史ヒストリア「漱石先生と妻と猫」リンク動画解説(時間のないかたは30分過ぎの黒猫の登場するシーンからご覧ください。)YOU TUBE版のNHK放送のリンクは何れ消去される運命になる。「今が旬」という言葉があるが、読者様に於いては消去される運命の儀、何卒ご了承頂きたい。本日私がリンクした「歴史ヒストリア 漱石先生と妻と猫」夏目漱石が処女作『吾輩は猫デアル』を発表し、文壇にデビューしたころの逸話である。※※※※... 続きを読む

愛弟子二人による志賀直哉インタビュー

志賀直哉 肉声 ①昭和30年5月 ②昭和34年9月つい最近YOU TUBEでお宝映像を見つけた。それは志賀直哉の愛弟子二人による生前インタビューである。26分のうち前半のインタビューは四人の弟子の中で兄弟子となる尾崎一雄氏の「朝の訪問」(NHK)である。尾崎一雄(1899~1983)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※このとき(昭和30年5月)の直哉は72歳、弟子の尾崎氏は56歳である。尾崎氏のインタビ... 続きを読む

昭和30年に愛知県の常盤館を訪ねた志賀直哉

志賀直哉 愛知県蒲郡の常盤館滞在一ヶ月ほど前、或るブロ友様から文豪・志賀直哉が愛知県の常盤館に滞在した期間についてお尋ね頂いた。本日はその返答を兼ね、往時のことを偲びたい。この写真が愛知県蒲郡市にある蒲郡クラシックホテル(常盤館)である。直哉がこのホテルに滞在したのは今から60年前の1955年(昭和30年)10月下旬のことだった。彼は1883年(明治16年)生まれゆえ、72歳の時であった。※写真は... 続きを読む

己の師匠を描くために参考にしたい本

己の師匠を描くために参考にしたい本私はブログを始めてから主に歴史ものやエッセイを中心に執筆を重ねてきたが、ここ数年執筆意欲が高まってきている分野がある。それは自分が尊敬し師と仰ぐ人物に関するものである。多くの作家は自分が師事した師匠のことを作品に残している。従って、私は何れは自分の尊敬する人物に関して語り、それをまとめたいたいという動機でこうした作品を読んでいる。①歴史作家早乙女貢が執筆した... 続きを読む

志賀直哉・尾道との出会い

中央大学制作ビデオ 知の回廊「志賀直哉」阿川弘之によると、師匠である志賀直哉が広島の尾道に移り住んだのは1912年(大正元年)11月17日(日曜日)で、今日でちょうど103年目になる。103周年を祝し、今日は彼の作家活動の原点とも言える尾道移住が彼にどんな影響をもたらしたかについて取り上げてみたい。リンク動画では1分30秒~11分55秒までが尾道関係のものである。処女作『留女』を出版することが決ま... 続きを読む

随筆「相馬藩士志賀三左衛門直道と志賀直哉」

 随筆「相馬藩士志賀三左衛門直道と志賀直哉」志賀直哉は私と同郷であり、ずっと後年になって知ったことであるが、小学生の低学年の時分は彼の生家の前を通って毎日通学していたこともあり、何か特別なものを感じている。中学校の教科書に載っていた短編「城の崎にて」をきっかけに「小僧の神様」を読み、徐々に彼のファンになっていった。その後ブランクがあり、50歳をきっかけに彼の様々な作品を読みあさった。倫理観と強靭な... 続きを読む

阿川弘之から見た師匠志賀直哉

NHKあの人に会いたい「志賀直哉」これは青年期の志賀直哉(1883~1971)の横顔である。弟子の阿川弘之(1920~2015)に言わせると、直哉の若い頃は眉目秀麗であり、女性にもてたとのことであるが、それが頷けるような彼の横顔である。彼が住んだ尾道の長屋からは瀬戸内海の島々が眺められたという。「百貫島の灯台が光りだす。それはピカリと光りまた消える…」の名文を生んだ。そして近代日本文学の代表作の一つと言われる『暗夜行路』... 続きを読む

私の心の拠り処とする大河ドラマとは?

私の生き方を大きく変えた大河ドラマとは?つい最近YOU TUBUで1970年NHK大河ドラマ「樅ノは残った」が登場し、ウェブサイトからリンク可能になったので紹介する。尚、この「樅ノは残った」大河ドラマ版は数十作にも及ぶ大河ドラマの中で、87年に放映された「独眼流政宗」とともに数少ない(二作品)仙台藩に関するものであることをお伝えしたい。本日は総集編の前編と主な配役と見どころなどについて解説したい。伊達騒動(... 続きを読む

エッセイ「作家にとって批評はありがたいものか?」

尊敬する阿川弘之氏への追悼作家の阿川弘之氏が去る8月3日、94歳でなくなった。謹んで冥福をお祈りしたい。奇しくも本日取り上げる記事に彼が登場することになったが、つい一時間前まで私は彼の死を知らなかった。さきほどインターネット検索で偶然に知り得たゆえ、その衝撃は極めて大きかった。またしても文学界の巨星墜つというのが私の実感である。彼は志賀直哉の末弟子であった。私はこれも何かの因果と受け止めている。因... 続きを読む

紫桃正隆著「五月闇」読後感想

紫桃正隆著「五月闇」読後感想はしがき昨年12月29日、私は仙台市宮城野区の国分尼寺を訪ねて、伊達政宗の野望の犠牲となった一人の武将の非業の死(家臣とともに自刃)を知った。そして彼とともに殉じた七人の家臣の存在も知った。武将の名は和賀忠親、和賀家は全盛時は六万八千石余の大身の大名であった。  ※仙台市宮城野区国分尼寺山門名門和賀家が南部藩と伊達藩という隣国の大藩の谷間に置かれ、両者の軋轢に巻き込まれ... 続きを読む

「帰って来た木枯し紋次郎」を読んで

帰って来た木枯し紋次郎笹沢左保原作「帰って来た木枯し紋次郎」あらすじ或る事件に関わり、瀕死となった紋次郎は己の命を救った豪商花菱屋友七の手厚い看護を受けて回復に至る。渡世人ゆえ隠まれての生活だった。堅気との関わりを避けてきた紋次郎も命の恩人である友七には特別な恩義を感じたのである。そうこうしているうちに彼は事件に巻き込まれて行く。利害によって生き方を左右される堅気と義理と人情に生きる渡世人は一部に... 続きを読む

尊敬する三人の歴史作家

私に影響を与えた三人の歴史作家歴史の探求は、その断片に触れたきっかけにより、多くの方面への興味へと波及することが往々にしてある。昨今の私の歴史への興味は先祖への畏敬、並びに郷土愛に端を発しているものであるが、いつのまにかこれが転じて幕末を舞台にした東北や新潟(賊軍全体)に及ぼうとしている。こうした傾注を更に加速させたのが歴史小説である。今日は私がこうした影響を受ける元となり、且つ尊敬して止まない三... 続きを読む

私が尊敬を寄せる歴史作家星亮一氏

新撰組サミット(福島)に於ける星亮一氏(6分9秒以降)最近、幕末に関する本を二冊読んだ。左が歴史小説「旗巻峠の密書」、右が奥羽越列藩同盟、筆者はいずれも星亮一氏である。これは星氏の出身校である宮城県丸森町立小斎小学校で行われた「旗巻峠の密使」の上映に関する案内である。小斎は相馬から伊達に寝返った佐藤為信という武将が代々所領として治めてきた土地である。佐藤宮内は為信の子孫で幕末時に於ける小斎の殿様で... 続きを読む

エッセイ「郷里石巻の今昔」

 郷里石巻の栄華に思いを馳せる  エッセイ「郷里石巻の今昔」つい最近、司馬遼太郎の『街道をゆく』嵯峨散歩 仙台・石巻編を読んだ。同氏は様々な場所で取材に及び、その地の歴史を考察し、ゆかりの先人に想いを馳せつつ、香り高い上質なエッセイを書いているゆえ、私の郷里である石巻についてどう語っているかが気になった。郷土愛と彼への畏敬の念が結びつき、同著への興味が一層増し、読書欲に追い風をもたらしてくれたので... 続きを読む

志賀直哉と祖父直道の関係

志賀直哉に影響を与えた祖父直道と相馬事件きょうは①志賀直哉の祖父が巻き込まれた相馬事件についてと②志賀直哉と祖父直道の関係について資料を基に述べたい。相馬事件概要(Wikipediaを基にミックが編集)相馬藩(旧中村藩)主、相馬誠胤(そうまともたね)は統合失調症(推定)の症状が悪化したため、1879年に家族が宮内省に自宅監禁を申し入れ、以後自宅で監禁、後に癲狂院(現在の精神科病院に相当)へ強制入... 続きを読む

樅ノ木は残ったハイライトその2

 樅ノ木は残ったハイライトシーンその2山本周五郎原作NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」、本日は前回に引き続きそのハイライトシーンその2についてお伝えする。今回も読者の皆様への便宜を図り、主な配役を掲載する。これは主人公の原田甲斐がある晩、首謀者の伊達兵部を訪ねるシーンである。大老酒井雅楽頭と組んで仙台藩のっとりを企てた兵部は幼君の亀千代(仙台藩四代目藩主)の毒殺を図るが失敗(かつて甲斐の家臣であった... 続きを読む

樅ノ木は残ったハイライトその1

 不朽の名作「樅ノ木は残った」の全容に迫る最近歴史ものに傾注する傾向の強い本ブログであるが、私は昨年の末頃から山本周五郎原作の「樅ノ木は残った」に関心を持ち、ずっと追いかけてきた。これは伊達騒動と言われる仙台藩の内紛(幕府を巻き込んだ一大事件)に関するものである。1970年NHK大河ドラマで放送されたこの作品はビデオが普及する前ということもあり、わずかに総集編版(上下二巻)が残るのみである。私は出入... 続きを読む

「樅ノ木は残った」クライマックスシーン

伊達六十二万石取り潰しを防いだものとは?去る6月21日午後、私は出入りの図書館に趣き、山本周五郎原作「樅ノ木は残った」NHK大河ドラマ版ビデオを三度目の鑑賞に及んだ。きょうはそのクライマックスシーン(結末の部分)をお伝えしたい。これは大老である酒井雅楽頭忠清(右)が老中の久世大和守広之から伊達六十二万石の分割に関する密約書の存在を指摘されたシーンである。外様大名である伊達藩を撮り潰すのは幕府の思惑が... 続きを読む

原田甲斐屋敷から見た経ヶ峰、仙台城跡

仙台藩士原田甲斐が350年前に見た風景とは?きょうの早朝に私はかつて仙台藩の重臣の屋敷があった片平町を訪ねた。位置としては仙台市の中心部よりやや西よりの部分で、近くには東北大学や東北学院大学もあり、文教地区である。また広瀬川を見下ろす河岸段丘には高層マンションが建ち並び藩政時代の面影はほとんど残されていない。少し前にも本ブログで紹介した原田甲斐仙台屋敷は道路の右側の木が生い茂っているところである。... 続きを読む

朗読、志賀直哉「城の崎にて」

志賀直哉作、大正6年発表「城の崎にて」※その1※その2※その3※その4※本作品は一度本ブログで取り上げたものでこれの朗読版である。私は先日これを仙台市泉区図書館のビデオで鑑賞に及んだ。この時(大正2年)の直哉は東京に住んでいたので汽車に乗ってはるばる関西の兵庫県まで来たことになる。このあたりは父親の財力の恩恵に授かったと解釈していいだろう。ビデオのアニメに登場する主人公はやや面長で鼻筋が通っていて少し... 続きを読む