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追憶の中の石巻・大華楼のラーメン

本日は私が生まれて初めてラーメンの味を教えてくれた店を紹介したい。生まれ故郷石巻の湊地区に存在したラーメン店・大華楼(たいかろう)である。この画像は2010年の3月20日に撮影したものなので、震災の一年前ということになる。木造モルタル塗りの建物だが、私が小学生時代に見た建物とは明らかに違う気がする。何せ1960年代のことなので、或いはその後に改築したのかも知れない。旧北上川に架かる東内海橋から見た... 続きを読む

10年前に撮影した石巻 岡田座

本日は十年前の2009年に撮影した石巻の中瀬の画像を再掲載したい。中瀬は文字通り北上川河口の近くに出来た中州の島である。この島の多くは謎に包まれているが普請によって造られた(流量の割り振りとして、右岸側7割、左岸側3割の狙い)人工(天然の中州に出来た島に盛り土などを施したと思われる)の島で、宝暦年間(1751~1764)の普請でも意図的に残されたとされる。※本町(右岸)側から上流部に向かって撮影震... 続きを読む

石巻での松尾芭蕉の足取りを追う

石巻に松尾芭蕉が立ち寄ってから今年で330年となる。私が所属している石巻千石船の会は去る6月26日(松尾芭蕉の訪れた旧暦を新暦に換算)に、松尾芭蕉の足取りを追うという企画を催した。(会報誌の画像から十数人が参加した模様)残念ながら私は参加しなかったが、石巻千石船の会の資料から元禄2年(1689年)5月10日当日の凡その足取りを推定してみた。その前に仙台~石巻~登米にかけての芭蕉の足取りを掲げる。石... 続きを読む

或るブロ友様ゆかりの昭和の石巻

本日は或るブロ友様ゆかりの石巻をお伝えしたい。ここは仲町の仙北バス石巻営業所である。ブロ友様は過去において、この営業所に勤めていたときがあったという。実は私も一時このバス停を利用して通学していたことがあったので不思議な縁だと考えている。これは推察だが、この営業所には宿直が置かれ、毎日寝泊りしたのではないだろうか?写真は「石巻・東松島・女川今昔写真帖」郷土出版社発刊より引用・邉見清二氏(石巻千石船の... 続きを読む

石巻の花街としての顔を描いた作品

我が故郷石巻は港町である。港町には花街がつきもので石巻もその例外でなかった。今回紹介する文学作品と建物(残念ながら今は存在しない)は、その縁を偲ぶものである。作品を書いた作家は徳田秋声、数ある職業の中で小説家ほど、その歩んできた人生遍歴を重視されるものはないだろう。71歳にしてこの作品を著した彼にはそんな大衆の欲求を十分に満たすものがあった。それは彼が男やもめになった55歳ころから始まったKさんと... 続きを読む

百年近く前の石巻写真

本日は百年近く前の前の石巻の写真を掲載したい。これは大正11年(1922年)撮影の日和山入口(北東部)である。私の父親が生まれた頃であるが、写っている人物の服装は全て和装のようである。日和山に至る坂には、階段があり車での登坂は考えられてないようだ。震災前の頃と見られる写真(ほぼ同じアングル)である。周囲の建物や車での登坂が可能となった様を見ると、80~90年に渡る時の流れを感じる気がする。これは大... 続きを読む
[タグ] 巻石 佐々木惣吉

大正時代の石巻住吉界隈の写真

本日は「ふるさとの想い出写真集 明治 大正 昭和 石巻」よりモノクロ写真を掲載したい。最初に紹介する写真は石巻の地名の由来となった巻石のある雄島である。木製の太鼓橋が印象深い。大正年間の撮影と見られるが、着物を着ている人が多く大変貴重な写真である。戦後間もない昭和24年(1949年)の撮影。住吉町の相馬藩邸脇の撮影と見られる。現在の住吉小学校には藩政時代には18棟の御蔵があったが、その北側にはこのよ... 続きを読む

石巻の明治、大正の風俗写真

去る5月18日(土)仙台市青葉区図書館(メディアテーク)より石巻の写真集を借りた。題名は「ふるさとの想い出 写真集 明治、大正、昭和 石巻」である。前回掲載した「グラビア石巻」が主に昭和時代の写真であるのに対して、こちらは年代の対象が広く、明治~昭和となっている。自分のルーツとも関わってくる写真ゆえ、今回も興味深い心情でモノクロ写真を拝見した。これは見開きの部分である。橋本晶氏は郷土史家として有名... 続きを読む

昭和五十年代の石巻の写真公開します!

本日は先日紹介した「後世に残す グラビア 石巻」(撮影と編集は亀山幸一氏)から石巻の町場のモノクロ写真を紹介したい。これは湊側(旧北上川左岸)から西岸(仲町方面)を望んだ画像である。但し「後世に残す グラビア 石巻」は仙台メディアテーク(市立図書館)に一冊しかなく、閲覧はできるものの持ち出し禁止となっている。それでも自分はどうしてもこの写真を撮りたかったので、撮影許可申請を提出し、許可を取得した数... 続きを読む

明治から昭和にかけての石巻の写真

本日は仙台市青葉区図書館(メディアテーク)で許可をとって石巻の明治から昭和にかけての写真を撮影してきた。許可を申請したのは先週の土曜日(5月18日)で、翌日の19日に撮影許可の決済が下りた。申込書には撮影の理由を記入する欄があるが『郷土史研究の為」等と書けばOKである。ちなみにこのようなケースは今までになく、自分が始めてとのことであった。発行は昭和56年で1000部の限定出版である。¥8,500とは... 続きを読む

横町利郎を名乗って一年

横町利郎を名乗ってそろそろ一年になる。横町利郎の前のペンネームはミック○○(丸の中は本名)である。歴史ものを主としている以上、カタカナの入ったペンネームはどんなものか?と悟ったのが理由だが、横町利郎というペンネームの構想は三四年前から既に持っており、数人のブロ友様に胸のうちを明かした記憶がある。横町(宮城県石巻市)は私が生を受けた町の名(今は千石町)で尊敬する祖父母を語る上で欠かせない地名である。利... 続きを読む
[タグ] 横町利郎

石巻市横町時代の回想

去る4月21日、私は久しぶりに生家のあった石巻市旧横町(現千石町)を訪ねた。これが平成最後の訪問となったわけだが、この九年間(2010年~2019年)の移り変わりは目まぐるしいものがあった。震災前の2010年5月に撮影した旧横町をご覧願いたい。斜陽とは言え、かつての商店街の面影を感じなくもないものがあった。 これは現在の旧横町である。大変残念だが、8年前の震災で近代の斜陽傾向に更に拍車が掛かった感... 続きを読む
[タグ] 石巻市横町

石巻墨廼江堀・横町川の想定図

宮城県石巻市に昭和中期頃まで存在した墨廼江堀・横町川・浪立川の位置を現代の写真にプロットしてみたい。こうした試みは少なくともインターネットでお目にかかったことがない。それとこの三つの川の名前を知っているかたは郷土史によほど詳しいかたか、土地の古老である。古老とは言っても、恐らく私くらいまでの年代が目一杯で、地元石巻でも、若い世代に至ってはほとんど知らないことと察している。自分がやらねば誰がやる。本... 続きを読む

石巻住吉神社・工事で大規模な改変

去る4月14日、私は石巻千石船の会総会出席の為、郷里石巻を訪ねたが、その際生家の近くの住吉公園に立ち寄った。本日は住吉公園(住吉神社)の最近の状況を画像を添付の上、紹介したい。実はこの住吉公園エリアは現在大規模な土木工事が行われていて、過去の面影がなくなるほど改変されてきている。これはGoogle3D立体画像による3年ほど前の住吉公園周辺である。 神社の境内にあった石碑や鐘楼などは一時的に近くの空き... 続きを読む

石巻のシンボル「巻石」の昨今

本日は去る4月14日に訪れた郷里石巻の地名の由来でもある「巻石」(まきいし)の最新情報をお伝えしたい。巻石は住吉公園の東に位置する雄島の北に位置する畳一畳ほどの石である。※写真提供:泰弘様(背景から昭和初期頃の撮影と思われる)  2009年7月頃の巻石(横町撮影)手入れの行き届いた雄島の松と相まって見事な調和を見せている。正に絵葉書にしたくなるような情景である。 震災後の2011年9月... 続きを読む

大街道騒擾事件と我がルーツ

大川家の帰農と大街道入植(※大川家は横町利郎の祖父方ルーツである)戊辰戦争に破れ、石高を半分以下とされた我が仙台藩にとって、明治は試練の時期と言える。大川家もその激動の中で喘いでいた。冬になると掘立て小屋には容赦なく隙間風が吹き込んでくる。食糧事情も劣悪で皆が生きるのに必至だった。そんな時に県による士族授産が行われることになった。1880年(明治13年)門脇村の牡鹿原に(現宮城県石巻市大街道地区)... 続きを読む

川村孫兵衛菩提寺を訪ねて

世に「思い立ったら吉日」という言葉がある。本日の私の行動は正にこの言葉に裏づけされたものとなった。私は朝7時前に家を出て電車に乗り込んだ。目的は祖父方ルーツが世話になった仙台藩士・川村孫兵衛重吉の菩提寺である石巻市普誓寺に行く為である。出来たばかりの仙石線石巻あゆみ野駅で降り、最初に向かったのは青葉神社である。青葉神社訪問は2014年11月30日以来である。この時は遠田郡在住の知人Kさんと待ち合わ... 続きを読む

墨廼江町という我が故郷

一昨日、自分が生まれた北上川西岸(石巻地区)がかつて墨廼江町(すみのえまち)と言われたのを知った。但し、これは酒造会社のホームページや酒関連のサイトでしかヒットしない。「郷土史としての墨廼江」は全くヒットしないのが気になるところである。念の為一昨日掲げた記事をもう一度掲載する。下:由紀の酒HPより引用墨廼江酒造は1845年(弘化2年)創業。蔵のある住吉地区は昔より水を司る神様を祭った墨廼江神社(現・... 続きを読む

横町の隣町の古写真

今日は石巻かほく(河北新報の地方紙)からの引用である。掲載は2018年10月7日(日)で解説はいつもの通り、石巻千石船の会会長の辺見清二氏である。「よみがえる1951」(昭和26年)と題したシリーズは35回を向かえる。この写真の撮影者は、当時の朝鮮戦争の最中、宮城県沿岸部に駐留した米軍軍医のジョージ・バトラー氏(1911~1974)である。堀の両側の建物も荒廃し、如何にも戦後という気配が漂っている... 続きを読む

米軍医が写した石巻写真の一枚

石巻かほく(河北新報姉妹紙)という地方新聞がある。毎週日曜日の第一面を飾っているのがジョージ・バトラー氏(米国軍医・1911~1974)が昭和26年(1951年)に撮影した石巻(私の故郷)の写真である。本日は最寄の河北新報販売店を訪ね、5月からのものを揃えた。9月30日に掲載されたのがこの記事である。(約1MBの画質なので拡大すると記事が全て読めます)新田町は私の生家の横町と隣町で、住吉小学校在籍時... 続きを読む

生家周りの明治時代地図

先日、石巻千石船の会のH会長にみちのく春秋を送り、現在蛇田町(現:旭町)の町割りを調べていると伝えたところ、このような興味深い資料が送られてきた。明治時代の蛇田町の地図である。我が故郷石巻には墨廼江という銘酒があるが、墨廼江はこの濠の名前(別名:蛇田かいこほり)から取ったものらしい。このように建物一つ一つの名称がわかるのは大変有り難い。この界隈に妓楼(遊郭)が多いというのは以前から聞いていたが、そ... 続きを読む

横町界隈の製図

本日は昨日に引き続き、生家横町周辺の製図を行った。先ずは基本情報をGoogle航空写真地図に落としてみた。町名や最寄の寺の記入が済んでいなかった為である。紫桃正隆氏の描いた図面と異なるのは水路や道路の角度が必ずしも直角になっていないということである。こうなると一筋縄では行かない。もっとわかりやすくする為にGoogle3D立体画像に通のや濠、主要な屋敷の名称を落とし込んでみた。立体画像で見ると屋敷の広さも想定で... 続きを読む

石巻屋敷と蛇田町肝入屋敷の特定

本日、石巻の郷土史家である紫桃正隆氏の描いた蛇田町(現:旭町)の図を基にCADで製図を試みた。縮尺は1/500である。尚、蛇田町の各住戸(往時の蛇田町の住民は宿場の労役の為、近郊の蛇田村から移住させた百姓が主と思われる)の間口は2間と設定した。また紫桃氏の想定した寸法を優先した。下図はその一部である。私の生家のあった場所は「石巻横町」と書いたところより南に100メートルほど行ったところになる。紫桃氏の描い... 続きを読む

吉田松陰が訪ねた頃の石巻湊絵図

本日、偶然にも自分のルーツに関わる公共サイトに遭遇した。検索は’石巻南浜地区 大正時代’でヒットするようだ。念のためURLはhttp://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b06111/kenseibup/memorial_park/miyagi/common/file/miyagi_committee04_05.pdf#search='%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%8D%97%E6%B5%9C%E5%9C%B0%E5%8C%BA+%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%99%82%E4%BB%A3'である。国土交通省、宮城県、石巻市の連名となっている。目次はご覧... 続きを読む

江戸期~大正期の生家の地図公開します

本日は江戸時代~大正期にかけて描かれた自分の生家位置が特定できたので発表したい。石巻の鋳銭場(硬貨を造った場所)は1728年(享保13年)に造られている。この鳥瞰図には鋳銭場の表示があるので、少なくとも江戸時代中期以降に描かれたものと見られる。各町の名称を落としてみた。私の生家を赤い点で示してみた。「横町」と書かれた文字の左傍にあるところである。生家の近くを流れていた堀(水色で表示)は今ではなくな... 続きを読む

『江戸の極楽とんぼ』石巻編

本日は最近読んだ織田久著『江戸の極楽とんぼ』についての感想などについて語りたい。この本は幕末の浄瑠璃芸人の富本繁太夫の東北漫遊記『筆満可勢』について書かれたものである。繁太夫は江戸の深川に住んでいた芸人で生年も本名も不詳である。江戸浄瑠璃の一派で富本節の芸人ゆえ、富本繁太夫を名乗ったようである。三味線引きの弥惣次、内弟子の松の二人を連れての男三人旅であった。著者の織田久氏は繁太夫の実家は小間物問屋... 続きを読む

曾祖母の代の横町想定図

本日『みやぎ北上川今昔』(みやぎ北上川の会発行)という著物に掲載された北上川実測図を見て、生家の横町の近くにあったとされる堀の位置がよくわかった。実測図が描かれた時代は明治30年(1897年)頃のものと思われる。(同書P160より引用)水色が堀のあったところ(現在は埋め立てられたり、暗渠となって堀としては殆ど残っていない)である。赤は私の生家のあった場所である。これは郷土史家の故・紫桃正隆氏(19... 続きを読む

藩政時代の石巻の花街を偲ぶ本

昨日図書館で興味深い著物を借りてきた。伊藤孝博著・無明舎出版『江戸「東北旅日記」案内』である。本書は江戸時代の東北地方を描いた紀行文の案内で、全20景から成る名著である。この第12景に富本繁太夫『筆満可勢』という旅日記が紹介されている。繁太夫は江戸の深川に住んでいた芸人で生年も本名も不詳である。江戸浄瑠璃の一派で富本節の芸人ゆえ、富本繁太夫を名乗ったようである。仕事に欠かせぬ三味線引きを連れての旅... 続きを読む

自分の祖父方はやはり士族?

大川家は士族か?現在私は歴史小説「我がルーツと大河北上」を執筆中だが、或る資料に出合い、自分の思い違いが判明した。それは野谷地(遊水地)の開拓に携わった人足(私のルーツ)は農民(例え下級武士であっても、士族が掘削や農地開拓などをするわけがない…)とばかり思っていたのだが、みやぎ北上川の会発行「みやぎ北上川今昔」P57によると、これを行ったのは年貢を課せられた農民ではなく、家臣、陪臣(家臣の家臣、又家... 続きを読む

我が高祖父と曽祖父の苦悩

現在、歴史小説を『我がルーツと大河北上』を執筆中の私だが、数日前に良著との出遭いがあった。その本は石巻市教育委員会発行の「石巻の歴史」である。これは以前石巻の郷土史家の千葉賢一氏が書いたものを教育委員会が精査して書き直したもので、石巻市の中学校の教材ともなっている本である。本日はこの本の見解に基にストーリーを展開して行きたいと考えている。本日は開墾されたばかりの牡鹿原(現:石巻市大街道)に、祖父方... 続きを読む

我がルーツと大河北上 第二章その一

第二章「大川家の生き残り」その一大川家の祖私の祖父方のルーツである大川家は古くは現岩手県南部に住み葛西家の下級武士として代々仕えたが、戦国の世の末を向かえ、既に勢力の衰え始めた葛西に見切りをつけて帰農していた。この頃の一族の生活は貧しく、やませ(北日本の太平洋側で春から夏にかけ冷気に見舞われる現象。低い雲や霧がかかり農作物に深刻な影響をもたらす)による土地柄と深刻な飢饉の影響で衣食住もままならず、... 続きを読む

昭和26年の或る日の「横町」

本日は私が生まれた場所である石巻市横町の昭和26年の或る日の写真を紹介したい。背景の山から、ここが自分の生まれた横町であるのはほぼ間違いないと思っている。或いはここは自分の生家に近いところなのかも知れない。遠い記憶の中に生家の前の道路(横町:現千石町)の午前中の日の差しかたが、こんなふうだったのを微かに記憶しているのである。ジョージ・バトラー氏の手によって自分が生まれる数年前の横町が彼の手によって... 続きを読む

仮説・中世以前の北上川の河口

私は現在自分のルーツと北上川の関わりについての歴史小説の構想を練っているが、作品の構成上、自分のルーツが関わったとされる江戸時代の北上川改修工事(仙台藩士川村孫兵衛指揮のもと)の位置を把握する必要が生じてきた。今回は国土交通省 東北地方整備局のホームページ「北上川の概要と歴史」を参考に、中世まで(川村孫兵衛の普請が行われる以前)の北上川河口(石巻に注ぐ側)のルートを推定してみたのでブログで発表した... 続きを読む

古き良き時代の石巻の写真帖

1951年に米国の軍医が朝鮮戦争で松島に駐留した際、宮城県沿岸部を撮影したカラー写真がインターネットで公開され注目を集めているが、本日はそれと異なる写真帖を図書館から借りてきた。「石巻・東松島・女川今昔写真帖」郷土出版社発刊・邉見清二氏(石巻千石船の会会長)監修である。郷土史研究家である邉見氏とは千石船の会などで交流をさせて頂いている。本日はその一部を紹介したい。昭和33年、日和山方面から撮影した... 続きを読む

米軍医が見た67年前の宮城沿岸

6月13日、私は郷里石巻の帰りに或る写真展に立ち寄った。仙台市若林区地下鉄東西線荒井駅構内にある「せんだい3・11メモリアル交流館」で開催された「MIYAGI 1951」である。今回はネットからの複写でなく、写真展で展示された写真を自分のカメラで撮影したものゆえ、著作権に問題はないと解釈し公開したい。「MIYAGI 1951」は8月26日(日)まで開催。「MIYAGI 1951」サイトURL↓↓↓https://www.miyagi1951.com/japanese#geo... 続きを読む

生家横町の車載動画リンクしました

 宮城県33号線 下り https://www.youtube.com/watch?v=qROEYhX_6rkリンク動画についてこれは自分の生家のあった石巻市千石町(旧横町)の車載カメラによる走行動画である。自分が撮影したものではないが、偶然YOU TUBEで見つけたのでリンクした次第である。震災に遭い、結構空き地が見受けられる。ここで、私が生まれた頃の横町を振り返りたい。藩政時代は水運経済で栄え、その後物流の主軸が水運から陸運に変わり、街の活気... 続きを読む

江戸期石巻住吉本穀御蔵初公開

本日は藩政時代に描かれたと思われる仙台藩石巻湊の住吉本穀御蔵絵図(千石船で江戸に出荷する米などを一時的に貯蔵した蔵)を紹介したい。その前に現在の航空写真(Google航空写真)で住吉本穀御蔵のあった位置をご覧願いたい。アンドリューム相澤と石巻市立住吉小学校の二つのセクションである。住吉小学校には低学年の三年間在籍したことがあり、半世紀以上を経た今でも大変思い入れの深い場所である。これが住吉本穀御蔵絵図(... 続きを読む

北上川河口「藤巻ノ渡」を訪ねて

昨日、週の中休みを利用して再び石巻市の北上川下流域を訪ねた。この場所まで仙台からは高速バスで2時間近く(徒歩に要した時間を含む)掛かった。ここは5月12日にも訪ねた袋谷地地区である。石巻大橋から上流部を望んだ。今回のターゲットは右側の岸が出張った辺りである。実はここには昔、船の渡し(藤巻ノ渡)があった。今昔マップで藤巻ノ渡をご覧願いたい。※右側航空写真赤:高速バスルート(下車は宮城バス営業所停留所... 続きを読む

67年前の宮城沿岸を鮮明に写した米軍医写真

宮城県の地元新聞の河北新報の「宮城のニュース」にこのような記事が掲載された。米従軍医が宮城県の浜を撮影した写真約2,000枚である。サイトのURL↓↓↓https://www.miyagi1951.com/japanese#george-butler本サイトは米従軍位だったジョージ・バトラー氏が「キャンプ松島」に駐留した際、地域の町や村を訪問し数千枚に渡る写真を撮影したものである。ジョージ・バトラー氏は1974年に亡くなっているが、息子のアラン・バトラ... 続きを読む

懐かしい!石巻住吉望楼の画像

成田為三:浜辺の歌(林古渓)Hamabe-no Utahttps://www.youtube.com/watch?v=LImrRBM62hM成田為三作曲、林古渓作詞「浜辺の歌」歌詞一番、 あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ しのばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も二番、 ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞ しのばるる 寄する波よ 返す波よ 月の色も 星のかげも三番、 疾風(はやち)たちまち波を吹き 赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし 病みし我は すでに癒えて... 続きを読む

我がルーツと大河北上 その1 

我がルーツと大河北上 その1三つ子の魂百までも父方祖父について、今になって思えば、軍人あがりの昔気質で頑固な性格となろうが、幼い私にはその片鱗すら感じさせなかった。菊の花と酒をこよなく愛した祖父に溺愛された私は、祖父のそのような本質を見通せなかったのである。祖父は時としてあぐらをかいて机に向かうことがあった。恐らく祖父は遠方に住む叔父や北海道に嫁いだ叔母に手紙を書く事があったのだろう。祖父の机の引... 続きを読む

旧北上川河口~住吉町散歩

旧北上川河口~住吉町散歩自分のルーツを知りたいという願望は多くのかたが持っておられるものと察している。しかしながら、仕事や家事をこなさねばならない現役時代には、なかなかその時間さえ取れない。これは数年前に自分が感じていたことであった。そんな自分にようやく好機が訪れた。定年退職を機会に郷里石巻の祖父方の原戸籍を調べたのは昨年二月のことだった。但し、これと菩提寺の過去帳を駆使しても知りうることには限界... 続きを読む

石巻市袋谷地を訪ねて

私が石巻市袋谷地を訪ねたのはちょうど一週間前の5月12日(土)のことである。今は住宅地となっているこの地区は、その昔葦の生い茂る湿地帯であった。これは安政年間の石巻絵図である。時期的にはちょうど袋谷地(絵図の←部分のコブ状になった所)で農地開拓が進められた頃である。私の実家は横町(黄色:現千石町)だが、既に市街地と化しているのが確認できる。私の父方曾祖母のMは1855年(安政2年)生まれなので、この... 続きを読む

日高見神社を訪ねて

私は去る5月12日に車で北上川河口から北上川に沿って上流に遡った。親戚のA氏から聞いたルーツ(祖父方先祖は岩手県から北上川伝いに南下してきた)のルートをたどる為である。石巻市の袋谷地地区~飯野川を経て着いたのは北上川の呼び名の起源とされる日高見(ひだかみ)神社である。この神社はけして大きくはないが、蒼枯な趣を感じる神社である。鳥居を潜ると本殿まで二百メートルほどの参道が続いている。Google航空写真で... 続きを読む

我がルーツ・北上川流路を辿る旅

 その時歴史が動いた 「伊達政宗 百万石への挑戦」 (2001年) https://www.youtube.com/watch?v=OZnRQEuIacIリンク動画についてルーツ調べに取り組んでそろそろ5年経つ。当初は北上川河口である石巻にばかり着目していたが、親戚のA氏から驚くべきことを知らされた。それは祖父方のルーツは岩手県から北上川に沿って南下し、石巻に根付いたということである。しかも伊達政宗の命令で、北上川の大改修工事についた川村孫兵衛重... 続きを読む

我がルーツへの考察

 その時歴史が動いた 「伊達政宗 百万石への挑戦」 (2001年) https://www.youtube.com/watch?v=Y2LjouUypGkリンク動画についてそろそろ自分が書きたいことが煮詰まってきた。それは自分のルーツが北上川という大河に深く関わってきたということである。但し、自分の先祖はけして勝ち組ではない。多くの家が栄枯盛衰を繰り返したという事実に背くことなく、我が先祖も生きるために、数限りないほどの苦渋を味わってきたのであ... 続きを読む

石巻の千石船の想像図

藩政時代の石巻港には多くの千石船が浮かんで盛況を呈していた。1689年に石巻を訪ねた松尾芭蕉は、奥の細道で石巻の往時の様を「数百の廻し船入江につどい、人家地を争いて、かまどの煙立つ続けたり」と綴っている。恐らく石巻を訪れた芭蕉の目の前には多くの千石船が忙しく往来していたのではないだろうか?その往時の千石船を偲ばせる想像図など、貴重な資料が掲載された歴史書を見つけた。図説「宮城県の歴史」(河出書房新... 続きを読む

北上川の流路変遷

これは現在の石巻市に於ける北上川河口近くの様子である。※2018年3月21日、石巻市日和山より上流部に向かって撮影。今の新北上川(辻堂~稲井~石巻河口)については江戸時代の初期に伊達政宗の行った流路改修工事で拡幅整備された区間である。但し郷土史研究家の紫桃正隆氏によると、中世以前の北上川流路を推定する古文書はほとんどないという。実は彼の著作である「葛西氏と山内首藤一族」の中に慶長年間以前の北上川の... 続きを読む

いしのまき元気市場

 ピーチで行く 仙台・石巻日帰り リンク動画についてこれはユーチューバーのケニチKENICHI様が2015年に投稿した石巻である。この時から既に3年ほど経って、現在はやや趣が異なっているが、我が故郷石巻を知って頂く上で貴重な動画と捉えリンクに及んだ次第である。この時、本日取り上げた「いしのまき元気市場」は建っていなかった。読者様においては、これをお含みの上で動画をご覧願いたい。いしのまき元気市場は一階が... 続きを読む

息子との牡鹿半島ドライブ

盆休みも後半となった本日、私は息子を伴って故郷石巻を訪ねた。墓参りを済ませた後で向かったのは牡鹿半島である。私は仙台藩士・支倉常長がメキシコに向けて出航したとされる月浦を息子に見せたかったのである。地図で宮城県牡鹿半島を確認して頂きたい。紫:月浦黄色:鮎川桃色:女川原発赤:女川現在の月浦はご覧の通り、震災の傷跡は完全に拭い去れてないものの、数人の釣り人が訪れていた。月浦を出た後、鮎川に向かった。震... 続きを読む