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粟野氏の栄枯盛衰と沖野城

本日は中世豪族粟野氏と沖野城の関わりについて、昨日撮影した現地写真を掲載の上述べたい。先ずはこの地図をご覧頂きたい。データは今昔マップからの引用である。左が明治40年に測図した沖野館である。沖野館という呼び名から、この地に要害があったことが歴然とする。右は現在の地図に遺構の位置を落としたものである。(遺構の位置は「仙台市史 資料編7 城館」を参考にして私が描いた)曲がり角に注目、何の変哲もないL型... 続きを読む

沖野城跡に行ってきました!

盆休みも残り二日となった。明日は十連休最後の有終の美を飾ると言ったら大袈裟になるが、ラストツーとなった本日はそれを強く意識し、昨日図書館の「仙台市史 資料7 城館」で得た情報を基に沖野城跡を訪ねた。沖野城跡のある位置は若林区の霞目飛行場の南である。本日の行動を振り返ると、ストップ&ゴー、そしてUターンが連続するシチュエーションで、車での取材はとても覚束なかったことだろう。曲がりくねった細い旧道を走... 続きを読む

新たな古城巡りに導く文献との出遭い

本日は雨天の中、仙台市図書館(仙台メディアテーク)に足を運んだ。私の目に止まった文献は「仙台市史 資料編7 城館」である。この文献は残念ながら貸し出し禁止だが、コピーは可能である。私は次に巡りたい古城をピックアップして十数枚をコピーしてきた。「仙台市史 資料編7 城館」は仙台市教育委員会も絡んでいるので信頼の置ける文献と見たためである。この文献は新しい資料が多く、大いに期待を寄せている。今まで城郭... 続きを読む

国分氏家臣の城・仙台市郷六城跡を訪ねて

本日は去る4月14日(日)に訪れた仙台市西部の郷六城を紹介したい。位置は仙台西道路西側トンネル出口から北西部に当たる地区である。目と鼻の先にある郷六御殿跡(広瀬川右岸)からはバイクで数十秒である。東側より郷六城跡を望んでみた。郷土史家の紫桃正隆氏の訪れた約50年前とは異なり、現在の周辺はすっかり住宅地と化している。郷土史家・紫桃正隆氏著「仙台領内古城・館 第三巻」579ページより引用したモノクロ写真を... 続きを読む
[タグ] 郷六城

広瀬川河畔に造られた堅城・葛岡城

去る4月14日に私が訪れたのは広瀬川左岸(北側)の青葉区郷六地区の「葛岡城」(くずおかじょう)である。紫桃正隆氏著「仙台領内古城・館 第三巻」を良く読んで下調べをしていった為、葛岡城の標柱のある場所を見つけるのにさほど時間は掛からなかった。今は亡き郷土史家・紫桃正隆氏(1921~2008)の解説によると、右側の民家は館のあった一部としている。現在は全てが私有地という感じである。紫桃氏によると民家の... 続きを読む

相馬の本城があった小高城址を訪ねて

相馬の本城があった小高城址を訪ねて去る7月16日、私はかつて相馬氏の本城があった小高城址(現:小高神社)を訪ねた。小高神社では毎年、相馬野馬追の最後に行われる野馬懸(のまかけ)が開催される場所である。今回小高を訪問した目的の一つが小高城跡(現小高神社)探訪であった。相馬野馬追を一週間後に控え、己のモチベーションを更に高揚に至らしめるのがその狙いである。これは西側(前川上流)から見た小高城址の遠景で... 続きを読む

寝返りを繰り返した黒木城主の遺恨

寝返りを繰り返した黒木城主の遺恨私は或る季刊誌に歴史エッセイを投稿しているが、殊のほかモチベーションをキープすることに留意している。かつて歴史小説を執筆している時、机にばかり向かっていると意気消沈し時としてペンが進まなくなったことが幾度となくあったからである。そのような時に打開に至らしめてくれるのが現地探訪である。やはり現地を自分の足で歩くことで、それまで見えなかった様々なこと(関わった人物の思い... 続きを読む

新地町の福田古館を訪ねて

 新地町の福田古館を訪ねてちょうど一週間前の先週土曜日(11月28日)のことだった。福島県新地町の右近清水を訪ねた後、私は自転車であてもなく県境方向に向かった。その時目に入ったのがこの諏訪神社である。今までの経験上、古くからの集落と付近に神社や寺があると古館などの史跡のようなものがあるようなことが多い。名前は古館公園となっていたが、ここには南北朝時代に作られた館があったようだ。アングル的には北西側... 続きを読む

裏切りの果ての懺悔?伊達と相馬の小斎城争奪戦

 普請を何度も重ね難攻不落となった小斎城本日は一昨日訪れた小斎城(小佐井城とも柴小屋館とも)についてレポートしたい。先ずはこの航空写真で各城(館)の位置を御覧頂きたい。※()内:1576年夏前に於ける城の支配(約1.8倍に拡大可能)赤:小斎城(相馬)オレンジ:矢野目館(伊達)黄色:金山城(相馬)紫:丸山城(相馬)伊達晴宗(伊達政宗祖父)によって隠遁させられた伊達稙宗(政宗の曽祖父)が1565年に丸山... 続きを読む

相馬中村城跡を訪ねて

平成27年7月25日相馬野馬追中村城出陣式 相馬中村城跡を訪ねてほぼ終日に渡って薄曇りの天候に見舞われた本日、私は或る古城跡に足を運んだ。それは薩摩藩とともに一回も所領替えをされてない大名の城である。戦国時代から幕末に至るまでの間、一回も改易(所領の移動や削減、没収)されてない大名はたった二藩のみである。これは1590年に書かれた豊臣秀吉の朱印状(写し)である。北条氏討伐の小田原城攻めの後に出された... 続きを読む

鬼越館に込められた佐藤好信の怨念

鬼越館に込められた佐藤好信の怨念昨日の8月11日、JR日立木駅を降りた私は市道を東へと向かい国道6号線そばのファミリーマートのところに来た。右側に少し見える白い建物がファミリーマート、その向こうの小高くなった丘が鬼越館である。鬼越館の立て札である。インターネットで下調べをして鬼越館へのアプローチは北側の私道となっていたので、この時点で山頂に至るのはたやすいと思っていた。ところがこれが甘かったと思い知... 続きを読む

伊達政宗の新地城攻略

伊達政宗の新地城攻略去る6月7日(日)私は福島県浜通りの最北部に位置する相馬郡新地町を訪れた。目的は伊達と相馬の激しい攻防のあった新地城跡の探訪である。これは南側から見た全景である。周囲はこの地方特有の長閑な田園が広がる。長閑ゆえ、とても大名の城があったとは思えないほどで、どこにでもあるような低い丘という印象である。新地城跡をgoogle航空写真でご覧頂きたい。他の部分は最近福島県北部、及び宮城県南部で... 続きを読む

戦国の世に垣間見る黒木城の数奇な運命

戦国の世に垣間見る黒木城の数奇な運命一昨日の5月31日、相馬市北西の郊外にある黒木地区を訪ねた。主な目的は黒木城跡地を訪ねることである。相馬駅方面から県道228号線を北西に約3キロ強ほど行くと小高い丘(写真中央部:実際は比高10メートルにも満たない)が視界に捉えられる。相馬市街地から黒木城城跡に向かうにはこの黒木郵便局が大きな目印となる。広域航空写真で位置を確認して頂きたい。(約1.8倍に拡大可能)... 続きを読む

愛宕山城 無念の落城

 坂元大膳隆俊、無念の討ち死に宮城県最南部の亘理郡山元町坂元地区を訪ねたのは5月5日であった。目的は445年前にこの地に城を構えた伊達家臣坂元大膳隆俊が築いた愛宕山城である。墓参りに訪れた付近のかたに聞きながら、目的地のおおよその位置を掴んだ。写真は国道6号線からのアングルである。目的地である愛宕山城は中央の白い建物のやや右上のあたりである。ここは坂元町のバス停(愛宕山城からは南東部)である。付近... 続きを読む

激戦駒ヶ嶺、伊達軍、ついに中村城間近に迫る

戦国の世のつわものどもの激闘を目の当たりにした小旅一昨日の4月29日、私は早朝に身支度を済ませ、JR代行バス亘理発相馬行きに乗り、かねてから願望である或る古戦場(福島県新地町駒ヶ嶺城跡)に向かった。この辺一体は戦国時代伊達と相馬が激しく争った土地柄(宮城、福島の県堺に近い土地柄町)ゆえ、どんなものが待ち受けているのか心ときめくものを感じる。駒ヶ嶺駅でバスを降りた私は頬に心地よい春風を感じつつ常磐線沿... 続きを読む

丸山城を巡る伊達と相馬の攻防

伊達の大群、篭城する相馬軍を押し出す間もなく福島県相馬市に転勤となるので、私は休みを利用して新たな居住となる宮城県の亘理町のアパートに足を運び、ガス開栓の立会いを行った。その足で宮城県南部の丸森町に向かった。それは或るところから頼まれた歴史エッセイ執筆に伴う取材である。このあたりは伊達政宗が15歳(満14歳)で初陣を飾った土地柄とされるスポットで、宿敵相馬と烈しい抗争が繰り返されたところである。こ... 続きを読む

伊具の泥濘に沈んだ伊達武者の無念

泥濘地にはまって首を刈られた伊達武者たち昨日の7月26日、相馬野馬追を見物した私は帰りがてらに宮城県の丸森町に立ち寄った。その動機となったのは一冊の書籍紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」である。時は1576年8月末である。伊達と相馬が激しく争っていたころである。ちなみにこの時政宗はまだ9歳で元服前で出陣していない。恐らくこの日はきょうのように猛暑に見舞われたのでないだろうか?文中に「細道や... 続きを読む

宮城県涌谷町に現存する藩政時代の楼閣建築

 181年前に再建された涌谷城太鼓堂きょうは宮城県涌谷町に現存する藩政時代からの楼閣建築を紹介する。涌谷城から100メートルほど離れた地点から眺めると大小二つの城?があるように見える。この涌谷城は藩政時代は涌谷要害と言われ、古くは大崎氏~木村氏の支配を経て伊達領となり安芸宗重公先祖の亘理氏の所領となった。寛文事件の中心人物の一人、伊達安芸宗重公の居城であった涌谷城址一帯は今は城山公園になり町民の憩... 続きを読む

伊達と相馬の攻防拠点となった金山城

   弱冠15歳の政宗、父に伴い金山城の宿敵相馬を攻める 宮城県最南端の冒険シリーズは最終回(第5回)は本シリーズの焦点とも言える伊達、相馬の攻防の拠点ともなった金山城(宮城県伊具郡丸森町金山)跡について紹介する。※地図で金山城跡の位置を確認して頂きたい。黄色線が県境、凸:金山城跡城は小高くなった丘の上(標高117メートル)にあるが、これは城の入口である。古い屋敷にも見えるが城との関わりは不明であ... 続きを読む

宮城県最南端の冒険その3

息子との骨肉の争いに敗れ隠遁させられた政宗の曽祖父、伊達稙宗 前回に続き宮城県最南端の丸森町の探索をお送りするが、この辺で丸森町の簡単なプロフィールを紹介する。現在の人口は約1万4千、過疎化が進んでいるが、縄文時代の遺跡が見つかることから、この地が阿武隈川流域沿いに古くから拓けた地であったことがわかる。また藩政時代は水運の拠点としても栄え、齊理屋敷にも見られる豪商の出現を見るほどの豊かな町であった... 続きを読む

第二の仙台城を訪ねる小旅

  歴史の香り漂う南小泉と若林城跡を訪ねる 本ブログでは過去二回に渡って若林区南小泉地区にまつわる歴史について、参考文献を加味、参照しながらお伝えしてきた。 ※真山青果著「南小泉村」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30956078.html  昨日はその延長を兼ね、この地区をバイクで探訪してきた。この日のターゲットは①今やすっかり住宅地となった南小泉地区における農地を見つける(書籍:真山青果... 続きを読む