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明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?

先日本能寺の変について記事を掲載したが、本日は明智光秀のサイドから主君・織田信長を裏切った動機や経緯について探って行きたい。参考にしたデータはNHKその時歴史が動いた「敵は本能寺にあり~なぜ光秀は信長を裏切ったのか~」の番組である。本能寺に関して扱ったその時歴史が動いたの番組は他にもあるが、前回の「信長暗殺を命じた男 新説・本能寺の変 浮上した黒幕」とは別な番組であることをお伝えしたい。明智光秀(... 続きを読む

信長暗殺を命じた影の黒幕とは?

前回まで織田信長が臨んだ戦を記事にしてきたが、今回は彼の最期となった「本能寺の変」に焦点を当て、彼が往時の日本に何をもたらしたのかについて掘り下げてゆきたい。参考にした資料は前回同様、NHKの歴史番組「その時歴史が動いた」の「信長暗殺を命じた男 新説・本能寺の変 浮上した黒幕」である。 往時の信長は独断に走る傾向が強く、抵抗勢力も多かったが、彼は抗う者の殆どを退けるという強引な手法で次々と... 続きを読む

織田信長と斎藤道三の非情の絆とは?

天文22年(1553年)、美濃と尾張の国境に近い富田の聖徳寺で或る会見が行われようとしていた。会見に臨んだ二人は美濃の国を治める斎藤道三(60歳)と尾張の国を治める織田信長(20歳)である。道三は策略と陰謀で身内を次々と毒殺するなど、残念な手口で「美濃のマムシ」と言われ内外から恐れられた人物であった。これに対して信長は奇行などから「尾張の大うつけ」と呼ばれた人物である。柱にもたれかかり、わざと道三... 続きを読む

信長、姉川の戦で義弟と激突

今回は織田信長シリーズとして姉川の戦をメインにして話を進めて行きたい。参考にしたデータ(画像引用も含む)はNHKの歴史番組「その時歴史が動いた 肉を切らせて骨を断つ~織田信長・捨て身の復讐戦~」である。1560年代後半の京滋~越前地方の大名の勢力図をご覧頂きたい。百年近く続く越前の名門・朝倉氏は新興勢力の織田氏に対して、激しい対抗意識を持っていた。その朝倉氏は古くから浅井氏と同盟を結んでいたのである... 続きを読む

長篠の戦、戦国を変えた両雄の決断

織田信長が臨んだ戦いで「桶狭間の戦」とともに、双璧に位置するのが「長篠の戦」である。 但し、長篠の戦は織田軍独自での戦いではなく、徳川家康と連合を組んでの戦いであった。甲斐の大大名・武田軍に台頭する勢力を誇った織田信長であったが、東の駿河や三河の備えを固めるには徳川家康の存在が不可欠だったのである。両者の思惑(往時の家康にしてみれば、まだまだ小大名で武田と戦うだけの力がなかった)が一致しての連合だ... 続きを読む

織田信長が桶狭間の戦いで見せた情報戦略

戦国武将の中で織田信長は真っ先に情報戦略を実戦に取り入れた武将であった。本日は2000年にNHKで放映された「その時歴史が動いた 桶狭間の戦い 織田信長 逆転への情報戦略」の番組をもとに、信長の先見性を見て行きたい。桶狭間の戦いは永禄3年(1560年)5月19日(旧暦)に起きた戦いであるが、その後の大名の勢力を塗り替えるほどの極めて大きな戦いであった。天文20年(1551年)に信長が18歳で家督を継... 続きを読む

織田信長の鉄船に見るブログ防衛術

「如何なる攻撃も跳ね返す巨大な鉄の船を建造せよ!」大阪湾での水軍戦に備えて織田信長が唱えた言葉は、九鬼嘉隆(織田水軍の大将)が耳を疑う発想(往時の造船技術では鉄の船が水に浮かぶとは到底考えられなかった)であった。私はここに、如何なる手段を用いても敵を屈服させるという信長らしさを感じるのである。天正6年(1576年)に第二次木津川口の戦いで戦国最強の村上水軍を撃破した時に用いた船は全長32メートル(... 続きを読む