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歴史随筆「北目城を巡る笊川の戦い」

北目城跡の現在 仙台領古城書上などによると北目城は寛正年間(1461年~1466年)に粟野氏によって築かれ天正年間(1573年~1592年)まで粟野氏の居城で、その後慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで伊達政宗が白石城の上杉と戦うための拠点として使われたとされる。北目城を拠点とした粟野氏は他に、茂ヶ崎城や沖野城にも拠点を持ち、北は国分氏、南は伊達氏を境にして、戦国期には東西に細長い領地を得ていた... 続きを読む

【仮説】笊川の戦いは三回行われた

笊川の戦いに対しての研究も佳境に入ってきた。本日は本日調べ上げた成果を基に、笊川の戦いに関する仮説を立ててみた。尚、今回参考にさせて頂いた文献(飽くまでも本日までのもの、敬称略)を羅列する。順序は不同である。史実については、信憑性が定かでないと思われたものを割愛し、信用に値すると思われるものを選りすぐって採用した。①紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」②八本松連合町内会、郡山地区連合町内会他「... 続きを読む

笊川の戦い その2

先月の9月26日、私は仙台市太白区郡山の北目地区と旧笊川地区を訪ねた。旧笊川は去る10月12日から13日にかけての台風襲来により氾濫に晒されたとニュースで知った。笊川の命名の由来については先日も触れたが、普段は堀のような水量でありながら、ひとたび大雨に見舞われる都度氾濫を繰り返す様子から来ていると言われる。笊川(座留川とも)の戦いが行われた戦国期に関しては、恐らく治水もままならず、一帯は荒れるがま... 続きを読む

戦国末期に行われた笊川の戦いとは?

はしがき歴史はマイナーなものほどはまる傾向にある。それは誰も踏み入れたことがない、もしくは踏み入れても足跡が殆ど見当たらないものに遭遇した際、自分が魁となることへの感動であり、自分が死ぬ前に果すべき使命とも考えている所以である。今回新たに取り組むことを決意したのは戦国時代末期に笊川(名取川の支流)で行われた「笊川の戦い」である。最初に執筆に当たって参考にさせて頂いた文献(飽くまでも本日までのもの、... 続きを読む