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漂泊の学者・菅江真澄の遺した偉大な足跡

 菅江真澄遊覧記 高松日記 リンク動画について 以前から私は、江戸時代中期から後期にかけて活動した漂泊の学者についての記事を書きたいという構想を持っていたが、つい最近その人物の伝記を図書館から借りたので紹介したい。その人物の名は菅江真澄である。非常に柔和な表情だが、彼は和歌を詠むことや、随筆の執筆、図絵を描くことに長けていたという。菅江真澄(1754~1829) 江戸時代後期の旅行者、博物学者、随... 続きを読む

湯川秀樹の心に残る随筆『具象以前』を読んで

前書き 湯川秀樹(1907~1981)はノーベル物理学賞を日本人で初めて受賞した人物だが、彼は同時に哲学者でもあった。図書館で彼の蔵書を見ると十数冊もあり、驚くほどの作品(随筆が多い)を残している。プロフィールを簡単に紹介したい。 理論物理学者、理学博士、京都市出身。原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言。1943年文化勲章... 続きを読む

大河ドラマ「花燃ゆ」DVD借りてきました

 吉田松陰~波乱の生涯を和歌とエピソードでつづる~ リンク動画について自分は吉田松陰(1830~1859)に対して聖人に近いような印象を持っている。それは私を捨て、公(日本の未来)の為に散って行った人物だからである。その松陰が嘉永5年(1952年)3月26日(陰暦ゆえ季節的には初夏の頃)に我が郷里石巻に立ち寄ったのも何かの因果と捉えている。先日石巻を訪問した際の松陰のことをいろいろと書いたが、近い... 続きを読む

追想・吉田松陰石巻訪問170周年を迎えて

先日、石巻における吉田松陰(1830~1859)の足取りなどを書きたいと述べたが、石巻の止宿先の仙台藩士・粟野杢右衛門宅などの資料が揃ったので、あらましだけでも書いてみたい。4年前の2018年11月25日に書いた拙記事「吉田松陰が遊歩した東北」を引用しながら話を進めたい。参考にした図書は織田久氏著『嘉永五年東北』である。 吉田松陰は兄貴分の宮部鼎蔵(1820~1864熊本藩士・後の池田屋襲撃事件で... 続きを読む

支倉常長408年前の出航&本日の帰宅風景

Hasekura Tsunenaga the Samurai Ambassador to Europe in 1615リンク動画について昨日の10月28日で、支倉常長が仙台領月浦を出航して408年が経つ。自分は出航400周年を迎えた2013年に支倉常長に関する歴史小説『金色の九曜紋とともに』を書いた。あれから早いもので8年が過ぎた。歴史小説は自分が主人公に成りきるくらいの気持ちがないと書けない。それだけ大きなモチベーションが必要である。自分にとっての救い... 続きを読む

支倉常長帰国から400年

PACHELBEL CANON PERFORMED AT ST ANN'S CHURCH, MANCHESTER - JONATHAN SCOTT (ORGAN SOLO)リンク曲についてこの曲はバロック時代のドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(1653~1705)の室内楽曲で、作品番号はPWC 37。前半のカノンは「パッヘルベルのカノン」として有名である。「パッヘルベルのカノン」が作曲されたのは1680年頃と言われている。実は私はこの曲に関する深い思い入れを有している。50前後に或る事... 続きを読む

太平洋戦争前夜、日本を揺るがした演説

本日参考にさせて頂いた資料はNHKの歴史番組「その時歴史が動いた 我が言は万人の声~太平洋戦争前夜、日本を揺るがした国会演説~」である。 司馬遼太郎は、「統帥権は日本を別国に変えてしまった魔法の杖である。」と述べ、昭和初期の十数年間を日本史にとって極めて異常な時代だったとしている。統帥権を平たく言えば、「軍部が幅を利かせて国民の主権を奪う」ことである。本日はこの統帥権と真っ向から戦った一人の政治家... 続きを読む

元寇が世界史にもたらしたものとは?

本日は文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)に起きた元寇(蒙古襲来)について、記事を進めて行きたい。本日参考にした資料はNHKの歴史番組の「その時歴史が動いた 北条時宗、起死回生の決断~モンゴル軍壊滅の時~」である。ユーラシア大陸の草原地帯に出現したモンゴルは農耕民族とは異なり牧畜を主とした遊牧民族であった。人によって赤子の時に蒙古斑というものがあるが、黄色人種と言われる我々日本人も、彼... 続きを読む

幕末の志士・清河八郎と近藤勇

 新選組誕生 幕末に青春を掛けた二人の志士NHKの歴史番組「その時歴史が動いた」を私は高く評価している。それはたった45分の視聴で、自分の知りたい分野について粗筋を知ることが出来るからである。本日新撰組を取り上げた理由だが、それは赤穂浪士や真田雪村などと並んで、我が国で人気の高い志士だからである。大義に生き、潔く散る。これは現代人の我々にも、強く心に訴えるものがある。また彼らの多くは農民出身である。幕... 続きを読む

小村寿太郎によるポーツマス条約締結

その時歴史が動いた 「逆転の極秘電報154号 知られざるポーツマス講和会議の真相」ポーツマス講和会議に出席する日本全権団が横浜港からアメリカのポーツマスという軍港に向かったのは今から112年前の1905年7月8日(明治38年)のことだった。日本がポーツマスに派遣した全権団の面々。中央の前席が小村寿太郎(1855~1911)である。これは日露戦争を勝利した日本がロシアとの戦争を終結させるための講和会... 続きを読む

逆境にめげず強かに生き残った相馬の恩人とは?

 二宮尊徳に見る究極のサバイバル手法去る5月17日、私は相馬中村にお住まいのAさんご夫婦を訪ねるかたわら、或るスポットを訪ねた。そのスポットは相馬藩の本城が置かれた中村城から徒歩5分に存在する。江戸時代後期の相馬を救った人と言えばこの人である。彼は百姓の家に生まれながら希なる才覚を発揮し、士分に取り立てられた逸材中の逸材と言える人物である。二宮尊徳(二宮金治郎:農政家、1787~1856)※以下Wiki... 続きを読む

榎本武揚に学ぶ負けても生き残る術

榎本武揚に見る負けても生き残るテクニック一昨日NHK Eテレ「知恵泉」でこのような番組が放映された。「だから、生きる」榎本武揚 敗北からの復活劇である。私は中世史が好きで様々な戦国武将から現代社会で生き残る術を模索してきた。例えば伊達家の家臣となった大内定綱などは数度に渡る寝返りを行ったにも関わらず、伊達政宗に抱えられ、晩年は伊達藩の参謀として君臨した武将である。但し、今回の舞台は幕末である。今回の主... 続きを読む

物理学者湯川秀樹が残した哲学

 ノーベル物理学者湯川秀樹 最近私が注目しているNHKDVDがある。それは「あの人に会いたいである。」この番組は既に故人となった著名人の生前インタビューなどを流し、その実像や後世に残したものにスポットを当てるユニークなものである。今回印象に残ったのは日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士である。以下Wikipediaより抜粋湯川秀樹1907~1981理論物理学者、理学博士、京都市出身。原子核内部において、陽... 続きを読む