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東街道をゆく 宮城野原その2宮千代塚

一昨日の8月24日、私は宮城野区の宮千代地区を訪ねた。宮千代塚のある宮千代児童公園は鈴虫壇と目と鼻の先にある。方角は南南東で直線距離にして三百メートルほどである。向かい側のセブンイレブンの駐車場からは児童公園の全容を見渡すことができる。Google3D立体画像で宮千代児童公園の位置を確認して頂きたい。宮城の萩大通りからは西に一本入った通りに面している。公園には数箇所の入口があるが、三叉路に面した所が南側... 続きを読む

東街道をゆく 宮城野界隈 鈴虫壇に遊んだ仙台城の姫君

本日は週の中休みを利して、文芸誌「みちのく春秋」への寄稿のための取材を行った。向かった場所は宮城野区の宮千代地区である。先ずは最初の目的地である鈴虫壇に着いた。仙台東ロータリークラブ発刊「詩歌の宿 心の宿 宮城野」によると、安永年間(1772~1780)の地誌『残月台本荒萩』に「榴か岡の東に広き野あり、これを宮城野原という」との記載があり、「東は海辺まで」とされる。往時は沖積でできた広大な荒野一帯... 続きを読む

熊谷万山が昭和初期に描いた宮城野原のおもかげと東街道

昨日、宮城野区図書館で「仙台市史 特別編7(城館)」を借りた。その中に興味深い絵図があったので紹介したい。実は宮城県の県名の由来は宮城野原にあると言ってよく、このあたりは貴族の詠んだ和歌の歌枕にもなっている。宮城野とは広義には陸奥国宮城郡の平野(広大な沖積平野)を指す。その昔は葦や葦の生い茂る原野であり、秋ともなれば鈴虫の鳴き声が聞こえる風流な地であった。宮城野にちなんだ和歌としては「宮城野の... 続きを読む

春の光に望みと喜びを託して 仙台市米ケ袋地区東街道の探索

  JS BACH - JESU, JOY OF MAN'S DESIRING BWV 147  【コラム】久しぶりにジョナサン・スコットのチャーチオルガンの曲をリンクした。春は別れと門出の季節であり、別な言葉に置き換えれば、けじめの季節とも言える。「主よ人の望みよ喜びよ」はそんな季節に聞くに相応しい曲である。セカンドライフとなって数年が過ぎ、自分がいつまで今の企業に在籍できるかはわからない。あくまでも契約次第だからである。若い時分は自分の... 続きを読む

太白区鹿落観音から見下ろす東街道

本日は昨日訪れた太白区の鹿落観音のことを掲載したい。方角にして南東方向になるが、ここを真っすぐ進むと八木山入口を経て愛宕山~大年寺山~茂ヶ崎に至る。複数のルートを持つと言われる東街道だが、このルートは最も西側の道となる。今は仙台市道となっていてバス通りでもあるが、周囲にはマンションも建ち並び、活気に溢れた様相を呈している。北側に目を移すとY字路が存在するが、瑞宝殿(仙台初代藩主伊達政宗の廟所)の看... 続きを読む

中世豪族の留守氏と国分氏、小鶴城で激突

初めに 私は去る7月末に宮城野区に位置する小鶴城跡を訪ねたが、本日は中世の頃、この城で行われた豪族同士の合戦について述べたい。参考にした資料は平成5年発行の紫桃正隆著、鈴木久光発行の『みやぎの戦国時代 合戦と群雄』と平成元年仙台市発行の『「新」目で見る仙台の歴史』である。 伊達氏が君臨する以前の仙台平野の支配者 伊達政宗が君臨する以前(中世の頃)の仙台平野の支配者は一時期、国分氏(中世豪族)に... 続きを読む

仙台市宮城野区:小鶴城址を訪ねて

本日の午後、私は宮城野区の史跡の探訪に向かった。目的地は国分氏の家臣である逸見丹波が1394年頃居住したとされる小鶴城跡である。すぐ近くを東街道が通っていることから、現在執筆に取り組んでいる歴史作品『東街道をゆく』の一拠点として、この城跡を外すことができないと踏んだからである。参考にした資料は郷土史家の紫桃正隆(1921~2008)著『仙台領内古城・館 第三巻』(宮城県中央部)である。私はこれまで... 続きを読む

太白区に現存する藩政時代の杉土手:茂ヶ崎地区

本日、私は太白区茂ヶ崎地区を訪ねた。目的は藩政時代に造られた杉土手の東のセクションを確認する為である。事前に入念な下調べを行った後に出かけた。画像は黄檗宗大年寺の惣門である。石段を下った先(南側)には門前町が拓け、往時の面影を現代に残している。大年寺には仙台藩主の廟所があるが、拙ブログでも何度か紹介したことがあった。以下:大年寺ホームページより引用両足山大年寺元禄9年(1696年)11月、第四代仙... 続きを読む

東街道沿いの名取三社と名取老女の伝承

初めに私は現在、文芸誌「みちのく春秋」に掲載している『東街道をゆく』を執筆中だが、昨年の春から今年にかけて名取三社と言われる三つの由緒ある神社を訪れた。本日はそのことについて書きたい。熊野神社 名取熊野三社の中ではで中心的存在。以前は熊野新宮社と呼ばれたが、明治以降は熊野神社と改称された。祭神は速玉男尊、伊弉再尊、事解男尊、菊理姫神、ほかに4柱を祀り、東北地方屈指の熊野神社の一つとされる。古くから... 続きを読む

仙台鈎取地区の東街道と栗木の渡し

本日は去る4月21日に訪問した東街道栗木の渡し(栗木渡しとも)を紹介したい。先日紹介した鈎取の太子堂で二口街道と交わる小路(この道が東街道と思われる)を南下すると栗木橋に行き当たる。名取川に架かる栗木橋を渡ると名取市となる。画像では向かって左側が名取市側である。Google3D立体画像で鈎取の聖徳太子堂との位置関係を確認して頂きたい。これらの位置から言って、この道が東街道である可能性は高いと見ていいよう... 続きを読む

東街道沿いの鈎取聖徳太子堂を訪ねて

本日は天気も良かったので太白区鈎取の太子堂を訪ねた。左右に位置する道は秋保街道とも二口街道とも言われた旧道である。T型に交差する小路も旧道と思われるが、或いは東街道なのかも知れない。東街道とは律令国家としての骨格が作られた古代から中世にかけての道路であるが、全体像は極めて朧である。さしずめ、大和政権が蝦夷を制圧する為に造った道と考えても間違いはない。実はこの辺りの名取川渡河の東街道のルートには数説... 続きを読む

名取市の東街道周辺高館地区の探訪

本日は週の中休みを利して、名取市内の東街道にちなんだ高館地区の史跡を訪ねた。こういう時は小回りの利くバイクが便利である。土地の古老にお会いしたときのことを考えてヘルメットはジェット式(顔を出すタイプ)をチョイスした。ローカルな場所でフルフェイスを被ってうろつくわけにはいかないので当然の選択である。おおよその位置をヤフー地図で確認して頂きたい。名取市でもかなり北部のほうである。史跡の詳細は後日の記事... 続きを読む

みちのく春秋『東街道をゆく』岩沼Ⅱ

初めに間もなくみちのく春秋の寄稿の締め切りが迫ったが、本日はその下書きをブログに掲載したい。以前にアップした史跡もあるが、文献などを調べて大幅に見直していることを最初にお断りしておきたい。調べたことをそのまま書くのではなく、所々に私見も入れてエッセイ風としている。アドリブを入れない歴史エッセイはつまらない。面白いか否かは読者諸氏の主観に委ねたい。金蛇水神社 岩沼市の東街道を訪ねたのは2020年の5... 続きを読む

岩沼の鵜ヶ埼城跡を訪ねて

本日は去る5月に訪れた岩沼市の鵜ヶ埼城跡について紹介したい。現在私は文芸誌みちのく春秋に作品を寄稿している。テーマは『東街道をゆく』である。今回紹介する鵜ヶ埼城はJR岩沼駅の西口で、古くから東街道と言われる道(現在の県道39号線の辺りと言われる)からやや離れているが、この土地の歴史(発掘物は縄文時代に遡る)と歴代城主の顔ぶれからいってどうしても外せないと判断し、掲載に至った次第である。ここが岩沼駅西... 続きを読む

東街道をゆく 名取編その1

本日は去る5月に訪れた名取市笠島地区の笠島廃寺跡についてお伝えしたい。元禄2年(1689年)5月、藤原実方(実方中将とも)の墓や西行の足跡を辿ろうとした松尾芭蕉は生憎の梅雨の天候にたたられ、ぬかり道によって進路を阻まれ、その無念さを「笠島はいづこさ月のぬかり道」という句に遺している。笠島廃寺跡と藤原実方ゆかりの佐倍乃神社(さのえ神社)とは200メートルほどの距離である。佐倍乃神社と藤原実方の墓は1... 続きを読む

東仙台地区に現存する旧道 東街道を訪ねる

本日は休みを利して宮城野区原町地区~東仙台地区を南北に走る旧道・東街道の探索を行った。文芸誌みちのく春秋に連載中の『東街道をゆく』の取材である。方向的に順繰り北に移動して行くので、この区間が文芸誌に掲載される時期は来年の夏以降になるのかも知れない。それでも備えあれば憂いなしである。私は自分の心にこの言葉を言い聞かせてバイクに跨った。ここは原町通り(旧塩竃街道)と東街道が交わる辻である。ともに旧道な... 続きを読む

広瀬川に存在する三百万年前のセコイヤ類化石林:東街道渡河点

ここは去る9月22日に訪れた仙台市青葉区の米ケ袋地区である。釣りに興ずる釣り人がなんともいい風情である。向こう岸のは霊屋と言って仙台藩主の初代~三代が眠る廟がある経ヶ峰に近い場所である。簗場のようなものが見えるが、川床に何か白い岩のようなものが確認できる。※以下仙台市ホームページより引用霊屋下の広瀬川河床に点在するセコイヤ類化石林は、約300万年前(第三紀鮮新世)に生育していた森林の立木が多量に流れて... 続きを読む

東街道巡りのために宮城野原を訪ねる

本日の週の中休みを利して、私が向かったのは仙台市宮城野区木ノ下4丁目の旧道・東街道である。左側の石碑には東街道と刻まれている。突き当りのT字路を右に向かえば陸奥国府のあった多賀城に至る。本日は天気も上々ゆえ、そのルートを辿り周辺の史跡に接することで、今手掛けている『東街道をゆく』の執筆の追い風としたい。Google3D立体画像をご覧頂きたい。上の写真を撮影した方向を確認して頂きたい。黄色が本日のルートで... 続きを読む

古くは東街道だった仙台の鹿落坂

去る9月22日、私は東街道があったとされる青葉区の鹿落坂の対岸の米ケ袋地区を訪ねた。寄稿している文芸誌「みちのく春秋」に連載している『東街道をゆく』執筆の取材のためである。東街道に関しては現若林区白萩町の薬師堂近辺(木下)を通ったとされるが、このルートだと大きく遠回りとなる。広瀬川の渡河に関してはもっと下流の部分(根岸交差点そばの宮沢橋付近)にもポイントがあったと私は考えている。古代から存在した東... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その7

本日は昨日訪れた岩沼市長谷地区の長谷城と長谷一族について述べたい。参考にした資料は郷土史家故紫桃正隆著『仙台領内古城・館 第四巻』と長谷家百々(どうどう)地区調査チーム制作『長谷氏と古城』である。武石氏と亘理氏はけして別系の家譜ではない。千葉常胤という武将が奥州伏原征伐で源頼朝から恩賞として広い領地を得て、息子たちに分け与えた。武石氏の祖となった武石胤盛は千葉常胤の三男であった。その流れをくむのが... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その6

本日私は久しぶりに岩沼に向かった。理由は二つの城跡の取材である。文芸誌「みちのく春秋」に連載中の『東街道をゆく』の「その3」を書くためである。前回は金蛇水神社のことをブログに書いたが、これだけでは何か物足りないものを感じたのである。宮城県(一部は岩手県南部)の城や館の跡を巡るとき、参考になるのが郷土史家・紫桃正隆氏の書いた『仙台領内古城・館』(全5巻)である。本書は1400箇所近い城や館を取材した... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その5

岩沼市の東街道を訪ねたのは5月13日(水)のことだった。本日は岩沼市を走る東街道の近くにある金蛇水神社(かなへびすいじんじゃ)を紹介したい。これは神社に隣接する庭園だが、自然の丘陵を利したもので見事に周囲の景観に飛び込んでいる。金蛇水神社は鳥居を初め、建物全体は結構新しい。鳥居をくぐると藤棚があり見ごろを向かえていた。マスクをつけた年配の方が憩われていた。金蛇水神社の位置を地図でご覧いただきたい。... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その4

本日は去る5月13日に尋ねた東街道の続きをお伝えしたい。千貫神社(せんがんじんじゃ)は先に紹介した東平王塚古墳とは道路を隔てた向かい側に位置している。オレンジ色の鳥居をくぐると左のようにこのような祠が立っている。以下宮城県神社庁より引用 千貫神社所在地:宮城県岩沼市南長谷諏訪128-2主祭神は大山祇神、別雷神、建御名方命、天御中主神、菊理比売神、伊邪那岐神とされる。天平元年(729年)僧善快が千貫... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その3

去る5月13日(水)に訪問した岩沼市原遺跡について原遺跡は2018年の秋に第3次発掘調査が行われたが、10月27日と28日には一般公開されている。動画はその時に撮影されたものと見られる。現在はJR常磐線の鉄道の敷地や農地として使われているため、発掘された場所は一部と見られる。 宮城県岩沼市 原遺跡 一般公開 これは私が今年の5月13日に訪れた時の原遺跡(南側から撮影)だが、第3次発掘調査も終わり現在... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その2

前回紹介した原遺跡(三回に分けて調査が行われた遺跡)について補足させて頂くならば、一辺が一メートルにも及ぶ大きな柱穴跡が三基並んでおり、7世紀~9世紀にかけての土器や須恵器(円面硯を含む)が出土したことである。円面硯は東海地方で作られたものとされ、東北では初めて出土したものであるという。これによってこの建物が官衙として使われ、文字を使うことのできた役人や僧侶が使用していたものと推測されているという... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その1

連載中の作品「東街道をゆく」を寄稿している文芸誌の締め切りが残り一箇月を切った。世間はコロナウイルス騒ぎでなにかと制約があるが、うかうかしていられない。私は本日、意を決してバイクを宮城県南部の岩沼市に走らせた。事前に入念な下調べを施しての出発である。先ず初めに向かったのは稲葉の渡し(亘理の田沢地区と岩沼の玉崎地区を結ぶ渡し船が往来していたところ)である。古代律令国家の時代、阿武隈川の「稲葉の渡し」... 続きを読む

岩切地区曹洞宗東光寺を訪ねて

本日は4月4日に訪れた宮城野区岩切地区の曹洞宗東光寺についてお伝えしたい。現在の今市の町は東光寺の門前町として拓かれた。入口から山門を望んでみた。入口の西側(向かって左側)にはこのようなお堂が建っている。傍には地元の岩切歴史探訪会の説明書きがあるようだ。お堂にはガラス張りのサッシがつき、その中にあかぎれ地蔵が保存されているようだ。写真撮影を試みたが、反射して上手く撮れなかった。山門を潜って境内に出... 続きを読む

東街道岩切地区への再訪

本日は去る3月22日以来、懸案になっていた宮城野区岩切地区の再訪を果たした。目的は藩政時代の初期にこの地区の開拓に功のあった兵藤大隈信俊(通称:兵藤信俊)を偲ぶことである。その他、東街道に絡むスポットとして東光寺(下記Google3D立体画像の上部参照)などを順次バイクで回った。東光寺の門前町として開けた今市の町を南北に貫く道は石巻街道とも旧利府街道とも呼ばれるが、私の中では東街道(仮説)と認識している... 続きを読む

名取市指定文化財高舘城址を訪ねて

昨日、息子とともに名取市指定文化財高舘城址を訪ねた。動機は東街道を語るのに避けて通れないと考えたからである。これは高舘城より更に40メートルほど標高が高い熊野那智神社の展望台から眺めたアングルである。現在はこのように樹木が繁茂していて、地形がほとんどわからない。案内板がなければ見落としそうな感じがする。郷土史家の紫桃正隆氏は自著の『仙台領内古城・館』第4巻の中で「高館城は標高約160メートル、館山... 続きを読む

亘理町の東街道沿いは遺跡の宝庫

亘理町の東街道沿いは遺跡の宝庫である。本日は2月に撮影した画像をもとにそのうちの4箇所について紹介したい。Google3D立体画像をご覧頂きたい。吉田地区には僅か700メートルの間に4箇所にも渡って古代の遺跡が分布していることになる。この密度は尋常でない。南から順を追って紹介したい。ここはサニータウン亘理の西隣に位置する一の坂遺跡である。亘理町史上巻によると「中原西の緩傾斜面の畑地に存在する遺跡で主とし... 続きを読む

山元町の東街道に接する二つの館跡

本日は亘理郡山元町の二つの遺跡にスポットを当てたい。両者とも東街道沿いにあるが、年代が大きく食い違っており、新しいほうの遺跡(大平館跡)は古いほうの遺跡(舘ノ内遺跡)の一部を踏襲した可能性が高い。即ち、奈良・平安期においては小規模だった館が、その後に及んで拡幅されたのかも知れない。山元町の教育員会が敢えて二つの遺跡に分けた理由については定かでないが、何らかの根拠があるのかも知れない。Google3D立体... 続きを読む

往古へのロマン東街道をゆく(亘理編)

前書き そろそろ文芸誌「みちのく春秋」の投稿の締め切り日が迫ってきた。今回はこれに備えて『東街道をゆく』亘理編をブログに掲載することにした。去る2月15日(土)の足取りを改めて振り返ってみたい。 喫茶「遊」訪問 自分が定年する数年前のことである。宮城県南部の亘理町を訪れた際、一風変わったカフェ(喫茶)を見つけた。その名は喫茶「遊」である。「遊」の立地は素晴らしく、なだらかな阿武隈山地の中腹から... 続きを読む

日本武尊が勧進した亘理町の鹿島天足和気神社

去る2月15日に私は宮城県南部の亘理町を訪ね、東街道を偲ぶ旅を行ったが、本日は亘理町北部の逢隈地区に鎮座する鹿島天足和気神社を紹介したい。ご覧の通り鳥居の傍には日章旗が掲げられ、如何にも由緒正しい神社と言う雰囲気である。さほど段数のない石段の山道をゆっくりと進むと社殿が見えてくる。境内には早春の光が降り注ぎ、神々しさが漂っている。狛犬の下の石垣が崩れているようだが、或いは9年前の震災の被害を受けた... 続きを読む

東街道のルートを年代別に追ってみました

三連休も中日の二日目となったが、本日は令和初の天皇誕生日である。天皇陛下は還暦になられたが、本日はメディアのインタビューで「もう還暦ではなく、まだ還暦という思いでおります」と仰られた言葉が印象に残った。そう言えば、かのウインストン・チャーチルが65歳で首相の座に就き、益々頭脳明晰に至ったというが、それから時代が更に進み、平均寿命が延びた現代の60代はまだまだ若いのである。自分もこれにあやかり、気持... 続きを読む

ヤマトタケルが勧進した安福河伯神社

本日は日本尊名(ヤマトタケル)が勧進したとされる宮城県亘理町の安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)を紹介したい。ここは阿武隈川河畔の東街道と思しき道だが、ここで道が分かれている。真っすぐ進むと稲葉の渡し(田澤の渡し)で左に行くと安福河伯神社である。二百メートルほど西に進むとこのような鳥居が見えてくる。如何にも由緒のありそうな神社である。右側の建物は田沢活性化センターである。Google航空写真で位置を確... 続きを読む

陸奥国亘理郡官衙跡を訪ねて

私は去る2月15日に亘理町(一部山元町)を走る東街道を巡る史跡探訪を行ったが、その際に立ち寄った陸奥国亘理郡官衙跡を紹介したい。場所は常磐線逢隈駅の西側である。近年近接地で宅地開発が行われたようだが、国指定となった史跡は今でもちゃんと残っている。隣接する住宅地は2セクションで、こちらは北側の史跡に隣接するセクション(建物の古さから言って造成された時期は昭和期と推定)である。下り坂の正面が常磐線逢隈... 続きを読む

東街道山元町鷲足~大平地区を訪ねて

本日は昨日(2月15日)に訪れた山元町のアップルロードについて紹介したい。本来ならば東街道と言いたいのだが、東街道は平安期~鎌倉期にかけてできた道であり、その多くが朧なものとなっている。亘理郡の東街道の経路をおいかけた資料として「皇国地誌亘理郡付図」(皇国地誌亘理郡附図とも)というものがあるが、これとて明治初期の編纂ゆえ、参考程度とするべきである。図の中央やや左寄りに注目「鷲足」、「小平」、「大平... 続きを読む

亘理町の東街道を巡るバイク旅

二十四節気の雨水にあと四日と迫ったが、本日の宮城県南部はとても2月と思えない陽気だった。昨日には及ばないものの最高気温は仙台で14度まであがり、4月上旬並みの気温となった。私は思うところがあって早い時間にバイクに跨った。行く先は2015年春~2016年秋にかけて住んでいた宮城県南部の亘理町である。亘理町は太平洋に面していることもあり、気候が温暖で冬場は仙台とシャツ一枚違うとも言われる場所である。仙... 続きを読む

東街道の東ルートを歩いてみました

昨日の2月8日(土)、仙台市を通る東街道のうち東ルートを歩いてみた。なぜこのような命名に至ったのかの理由については記事を追って後ほど述べたい。ここは広瀬川に架かる宮沢橋の左岸(北岸)から東街道東ルート方面を見渡したアングルである。実はこの辺りは鎧渕(よろいぶち・鎧淵とも)と言って鎌倉時代に戦が行われた古戦場でもある。文治5年(1189年)8月12日に東街道を下った源頼朝軍(実際に大軍を率いたのは頼... 続きを読む

思いもかけない東街道との遭遇

昨日、太白区の国道286号線界隈を探索している間に東街道の標柱(ステンレス製)を発見した。東街道と言えば、過去の歴史探訪で亘理町、名取市、仙台市で何度か断片的に出遭ったものの、ピンポイント的にしか理解していなかったので、なぜこんなところが…という思いに駆られた。背後のコンクリート構造物は国道286号線の擁壁である。こちらは東街道と直行する大年寺の門前町である。今はすっかり住宅地と化してしまっている... 続きを読む

久しぶりの陸奥国分寺訪問

昨日の水曜日、休みを利用して若林区の陸奥国分寺に行った。交通手段はバイクである。仁王門前のところに行くと、市の職員と思しきかたが数人で測量していた。そろそろ晩秋と言っていい季節になったが、青空に恵まれ秋の好日といった風情である。木々の木漏れ日の中、参道を北に向かって歩いた。ちょうど三年前の今頃、定年退職する寸前の頃、有給休暇消化の際によく訪れた場所である。選んだ道に悔いなし…そのように何度も自分に... 続きを読む

随筆「平安時代を奔放に生きた貴族の墓を訪ねて」

随筆「平安時代を奔放に生きた貴族の墓を訪ねて」私は以前から名取市の農村部を走る東街道というものに限りない憧憬を感じていた。奥州合戦で源頼朝の率いた大軍が通過したのは東街道だったと言われている。旧道の多く消え去った昨今、その東街道の一部が往時の面影を留めている場所があるという。東街道への尽きない興味とともに、私の脳裏にふと浮かんだのが平安時代の貴公子・藤原実方(実方中将)の存在である。※藤原実方生年... 続きを読む

平安時代の貴公子の墓を訪ねて

私は今月に入って二度、或る人物の墓を訪ねた。その人物とは平安時代の貴公子藤原実方(別名:実方中将)である。一度目は10月1日(日)息子と岩沼市のゴルフ練習に行った帰り道に立ち寄った。二度目が10月12日(木)である。なぜ二度も訪ねたかというと、彼に関しての歴史エッセイを書きたいという強い願望があったからである。二度目の訪問の際は神罰が下って、彼が落馬したとされる道祖神社(佐倍乃神社)も訪ねた。本日... 続きを読む

名取市佐倍乃神社への探訪

木曜日は仕事が休みである。私はこれを利用して仙台市南部に隣接する名取市に向かった。県道(仙台-岩沼線)沿いに道祖神社の立札が立っている。道祖神社は佐倍乃(さのえ)神社とも呼ばれる由緒ある神社である。この脇道を入って行くと間もなく佐倍乃神社である。Google航空写真で佐倍乃神社の位置を確認して頂きたい。赤●の部分が佐倍乃神社である。すぐ北に「藤原実方の墓」とあるが、藤原実方(実方中将)は佐倍乃神社と関わ... 続きを読む

雨の日の陸奥国分寺探訪

  雨の日の陸奥国分寺探訪三連休初日となった本日、某はあいにくの雨となった仙台市宮城野区を訪ねた。口髭と全身黒ずくめの衣装はどうしてもパトカーの注目を集めてしまうが、そんなことはまったく眼中にないのが某の開き直りであり、筋金入りのへそ曲がり(権力には屈しない精神)たる由縁である。本日の目的地を紹介する。赤□で囲まれた部分が陸奥国分寺の場所である。目指す陸奥国分寺に300メートルとなった。雨天である... 続きを読む

銀杏町と宮城野八幡神社の乳銀杏

  仙台市宮城野区の銀杏町を訪ねて先週の土曜日のことだった。私は宮城野区図書館の帰り道、小春日和のような陽気に誘われ仙台市東部の銀杏町を訪ねた。町名である銀杏町という名前がやけに気になったのである。まずはこの民家のしおらしい花が私の心を癒してくれた。陸前原町駅を下りて住宅地を歩くと民家のそばの空き地にこのような銀杏の木を見つけた。次に銀杏町緑地(ちょっとした公園)に向かった。銀杏の木があるものの、... 続きを読む

古代の道へ思いをはせ、極上のカフェを味わう

 東街道の面影を感じ抜群のロケーションに酔う※注釈:東街道は国府多賀城に至る古代の官道「東山道」とほぼ一致するといわれ、中世には「奥大道」と呼ばれ、江戸時代に奥州街道が整備されるまではメインの道として利用されてきたいにしえの道である。  由緒ある東街道が敷地を通り、かつ窓から絶景の景観を誇るカフェがある。その名は喫茶「遊」、仮に過去にいろんなカフェを巡ってきた人がここに居られるとしよう。その人をし... 続きを読む