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東街道をゆく 岩沼編その4

本日は去る5月13日に尋ねた東街道の続きをお伝えしたい。千貫神社(せんがんじんじゃ)は先に紹介した東平王塚古墳とは道路を隔てた向かい側に位置している。オレンジ色の鳥居をくぐると左のようにこのような祠が立っている。以下宮城県神社庁より引用 千貫神社所在地:宮城県岩沼市南長谷諏訪128-2主祭神は大山祇神、別雷神、建御名方命、天御中主神、菊理比売神、伊邪那岐神とされる。天平元年(729年)僧善快が千貫... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その3

去る5月13日(水)に訪問した岩沼市原遺跡について原遺跡は2018年の秋に第3次発掘調査が行われたが、10月27日と28日には一般公開されている。動画はその時に撮影されたものと見られる。現在はJR常磐線の鉄道の敷地や農地として使われているため、発掘された場所は一部と見られる。 宮城県岩沼市 原遺跡 一般公開 これは私が今年の5月13日に訪れた時の原遺跡(南側から撮影)だが、第3次発掘調査も終わり現在... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その2

前回紹介した原遺跡(三回に分けて調査が行われた遺跡)について補足させて頂くならば、一辺が一メートルにも及ぶ大きな柱穴跡が三基並んでおり、7世紀~9世紀にかけての土器や須恵器(円面硯を含む)が出土したことである。円面硯は東海地方で作られたものとされ、東北では初めて出土したものであるという。これによってこの建物が官衙として使われ、文字を使うことのできた役人や僧侶が使用していたものと推測されているという... 続きを読む

東街道をゆく 岩沼編その1

連載中の作品「東街道をゆく」を寄稿している文芸誌の締め切りが残り一箇月を切った。世間はコロナウイルス騒ぎでなにかと制約があるが、うかうかしていられない。私は本日、意を決してバイクを宮城県南部の岩沼市に走らせた。事前に入念な下調べを施しての出発である。先ず初めに向かったのは稲葉の渡し(亘理の田沢地区と岩沼の玉崎地区を結ぶ渡し船が往来していたところ)である。古代律令国家の時代、阿武隈川の「稲葉の渡し」... 続きを読む

岩切地区曹洞宗東光寺を訪ねて

本日は4月4日に訪れた宮城野区岩切地区の曹洞宗東光寺についてお伝えしたい。現在の今市の町は東光寺の門前町として拓かれた。入口から山門を望んでみた。入口の西側(向かって左側)にはこのようなお堂が建っている。傍には地元の岩切歴史探訪会の説明書きがあるようだ。お堂にはガラス張りのサッシがつき、その中にあかぎれ地蔵が保存されているようだ。写真撮影を試みたが、反射して上手く撮れなかった。山門を潜って境内に出... 続きを読む

東街道岩切地区への再訪

本日は去る3月22日以来、懸案になっていた宮城野区岩切地区の再訪を果たした。目的は藩政時代の初期にこの地区の開拓に功のあった兵藤大隈信俊(通称:兵藤信俊)を偲ぶことである。その他、東街道に絡むスポットとして東光寺(下記Google3D立体画像の上部参照)などを順次バイクで回った。東光寺の門前町として開けた今市の町を南北に貫く道は石巻街道とも旧利府街道とも呼ばれるが、私の中では東街道(仮説)と認識している... 続きを読む

名取市指定文化財高舘城址を訪ねて

昨日、息子とともに名取市指定文化財高舘城址を訪ねた。動機は東街道を語るのに避けて通れないと考えたからである。これは高舘城より更に40メートルほど標高が高い熊野那智神社の展望台から眺めたアングルである。現在はこのように樹木が繁茂していて、地形がほとんどわからない。案内板がなければ見落としそうな感じがする。郷土史家の紫桃正隆氏は自著の『仙台領内古城・館』第4巻の中で「高館城は標高約160メートル、館山... 続きを読む

亘理町の東街道沿いは遺跡の宝庫

亘理町の東街道沿いは遺跡の宝庫である。本日は2月に撮影した画像をもとにそのうちの4箇所について紹介したい。Google3D立体画像をご覧頂きたい。吉田地区には僅か700メートルの間に4箇所にも渡って古代の遺跡が分布していることになる。この密度は尋常でない。南から順を追って紹介したい。ここはサニータウン亘理の西隣に位置する一の坂遺跡である。亘理町史上巻によると「中原西の緩傾斜面の畑地に存在する遺跡で主とし... 続きを読む

山元町の東街道に接する二つの館跡

本日は亘理郡山元町の二つの遺跡にスポットを当てたい。両者とも東街道沿いにあるが、年代が大きく食い違っており、新しいほうの遺跡(大平館跡)は古いほうの遺跡(舘ノ内遺跡)の一部を踏襲した可能性が高い。即ち、奈良・平安期においては小規模だった館が、その後に及んで拡幅されたのかも知れない。山元町の教育員会が敢えて二つの遺跡に分けた理由については定かでないが、何らかの根拠があるのかも知れない。Google3D立体... 続きを読む

往古へのロマン東街道をゆく(亘理編)

前書き そろそろ文芸誌「みちのく春秋」の投稿の締め切り日が迫ってきた。今回はこれに備えて『東街道をゆく』亘理編をブログに掲載することにした。去る2月15日(土)の足取りを改めて振り返ってみたい。 喫茶「遊」訪問 自分が定年する数年前のことである。宮城県南部の亘理町を訪れた際、一風変わったカフェ(喫茶)を見つけた。その名は喫茶「遊」である。「遊」の立地は素晴らしく、なだらかな阿武隈山地の中腹から... 続きを読む

日本武尊が勧進した亘理町の鹿島天足和気神社

去る2月15日に私は宮城県南部の亘理町を訪ね、東街道を偲ぶ旅を行ったが、本日は亘理町北部の逢隈地区に鎮座する鹿島天足和気神社を紹介したい。ご覧の通り鳥居の傍には日章旗が掲げられ、如何にも由緒正しい神社と言う雰囲気である。さほど段数のない石段の山道をゆっくりと進むと社殿が見えてくる。境内には早春の光が降り注ぎ、神々しさが漂っている。狛犬の下の石垣が崩れているようだが、或いは9年前の震災の被害を受けた... 続きを読む

東街道のルートを年代別に追ってみました

三連休も中日の二日目となったが、本日は令和初の天皇誕生日である。天皇陛下は還暦になられたが、本日はメディアのインタビューで「もう還暦ではなく、まだ還暦という思いでおります」と仰られた言葉が印象に残った。そう言えば、かのウインストン・チャーチルが65歳で首相の座に就き、益々頭脳明晰に至ったというが、それから時代が更に進み、平均寿命が延びた現代の60代はまだまだ若いのである。自分もこれにあやかり、気持... 続きを読む

ヤマトタケルが勧進した安福河伯神社

本日は日本尊名(ヤマトタケル)が勧進したとされる宮城県亘理町の安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)を紹介したい。ここは阿武隈川河畔の東街道と思しき道だが、ここで道が分かれている。真っすぐ進むと稲葉の渡し(田澤の渡し)で左に行くと安福河伯神社である。二百メートルほど西に進むとこのような鳥居が見えてくる。如何にも由緒のありそうな神社である。右側の建物は田沢活性化センターである。Google航空写真で位置を確... 続きを読む

陸奥国亘理郡官衙跡を訪ねて

私は去る2月15日に亘理町(一部山元町)を走る東街道を巡る史跡探訪を行ったが、その際に立ち寄った陸奥国亘理郡官衙跡を紹介したい。場所は常磐線逢隈駅の西側である。近年近接地で宅地開発が行われたようだが、国指定となった史跡は今でもちゃんと残っている。隣接する住宅地は2セクションで、こちらは北側の史跡に隣接するセクション(建物の古さから言って造成された時期は昭和期と推定)である。下り坂の正面が常磐線逢隈... 続きを読む

東街道山元町鷲足~大平地区を訪ねて

本日は昨日(2月15日)に訪れた山元町のアップルロードについて紹介したい。本来ならば東街道と言いたいのだが、東街道は平安期~鎌倉期にかけてできた道であり、その多くが朧なものとなっている。亘理郡の東街道の経路をおいかけた資料として「皇国地誌亘理郡付図」(皇国地誌亘理郡附図とも)というものがあるが、これとて明治初期の編纂ゆえ、参考程度とするべきである。図の中央やや左寄りに注目「鷲足」、「小平」、「大平... 続きを読む

亘理町の東街道を巡るバイク旅

二十四節気の雨水にあと四日と迫ったが、本日の宮城県南部はとても2月と思えない陽気だった。昨日には及ばないものの最高気温は仙台で14度まであがり、4月上旬並みの気温となった。私は思うところがあって早い時間にバイクに跨った。行く先は2015年春~2016年秋にかけて住んでいた宮城県南部の亘理町である。亘理町は太平洋に面していることもあり、気候が温暖で冬場は仙台とシャツ一枚違うとも言われる場所である。仙... 続きを読む

東街道の東ルートを歩いてみました

昨日の2月8日(土)、仙台市を通る東街道のうち東ルートを歩いてみた。なぜこのような命名に至ったのかの理由については記事を追って後ほど述べたい。ここは広瀬川に架かる宮沢橋の左岸(北岸)から東街道東ルート方面を見渡したアングルである。実はこの辺りは鎧渕(よろいぶち・鎧淵とも)と言って鎌倉時代に戦が行われた古戦場でもある。文治5年(1189年)8月12日に東街道を下った源頼朝軍(実際に大軍を率いたのは頼... 続きを読む

思いもかけない東街道との遭遇

昨日、太白区の国道286号線界隈を探索している間に東街道の標柱(ステンレス製)を発見した。東街道と言えば、過去の歴史探訪で亘理町、名取市、仙台市で何度か断片的に出遭ったものの、ピンポイント的にしか理解していなかったので、なぜこんなところが…という思いに駆られた。背後のコンクリート構造物は国道286号線の擁壁である。こちらは東街道と直行する大年寺の門前町である。今はすっかり住宅地と化してしまっている... 続きを読む

古代の道へ思いをはせ、極上のカフェを味わう

 東街道の面影を感じ抜群のロケーションに酔う※注釈:東街道は国府多賀城に至る古代の官道「東山道」とほぼ一致するといわれ、中世には「奥大道」と呼ばれ、江戸時代に奥州街道が整備されるまではメインの道として利用されてきたいにしえの道である。  由緒ある東街道が敷地を通り、かつ窓から絶景の景観を誇るカフェがある。その名は喫茶「遊」、仮に過去にいろんなカフェを巡ってきた人がここに居られるとしよう。その人をし... 続きを読む