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随筆『金華山への船旅』

生まれて初めての船旅 小学校一年で父を亡くした利郎は家庭の事情で七回も住まいを替えることとなった。多感な少年時代、利郎は父を早く亡くしたことで友達にも引け目を感じ、そのことが常に暗い影を落としていた。利郎は友達と遊んでいても、父親がいないことを友達に知られることをひどくきらっていたのである。 肩を落とし勝ちだった利郎に大きな影響を与えたのは、小学時代夏休みに父方の祖父母に連れられて行った金華山... 続きを読む

過去に在籍した幼稚園に行ってきました

本日は史跡探訪を兼ねて、過去に在籍した幼稚園に行ってきた。用いた交通手段はバイクである。バイクは小回りが利くのでこういうシチュエーションには最適である。在籍してから既に半世紀以上経っているので建物は既に建て替えられ、往時の面影(木造園舎)は全くない。但し裏の山(大年寺山)は保存緑地(伊達家藩主の廟所)になっている関係で残されている。それにしても懐かしい。現在ますみ幼稚園の北側には6車線の国道286... 続きを読む

五十数年前に書いた私の絵日記発見!

昨日、五十数年前に書いた私の絵日記が見つかった。私は、親父の仕事の関係で小学校一年の時は仙台市内の小学校に在籍していた。この絵日記は夏休みを利して、石巻の生家に帰省していた時のものと思われる。「ぼくは、おじいさんと、バスに乗って海に行きました。それから海の冷たさをみました。天気はとても良い日でした。」とある。字も絵も下手で恥ずかしい限りである。絵日記に描かれた茶色い服を着た人物は祖父と思われるが自... 続きを読む

少年時代の眩しかった夏休み

  少年の日に見た長浜海岸の眩しさ   「砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋」これはいまから110年前の1902年(明治35年)石川啄木が盛岡中学の修学旅行で現石巻市渡波松原の長浜海岸を訪れた時に詠んだ句である。果たしてこの歌には啄木のどんな想いが込められていたのだろう。そんな想いを胸に本日は往時の長浜海岸を私は偲んでみた。 ※啄木が訪れた11年後(1913年:大正2年)の長... 続きを読む

少年の日の長浜海岸での思い出

 コバルト色の長浜海岸に思いを馳せて  明日は海の日である。きょうはそれに相応しく幼き日の私の海に対する思い入れを自叙伝として綴り、皆さんにお伝えする。私には毎年今頃の時分になると思いだすことがあった。それは幼き日実家石巻市渡波の長浜海岸で体験したけして忘れ得ぬ思い出であった。          自叙伝「長浜海岸の思い出」          &nb... 続きを読む

サンタルチアのチャイムと共に

 サンタルチアのチャイムとともに… あれはとうに40年以上前のことになる。小学校一年で人見知りが激しく引っこみ思案だった私が二年生になった時、ようやく一人の親しい遊び友達ができた。  彼の名は板橋、ある秋の土曜日の放課後だった。私は板橋をいつものようにジャングルジムの上段に上がってむきになって追いかけていた。 それはけしていじめではないが決まって私は鬼役だった。それはジャングルジムを駆ける速度... 続きを読む

祖父からのメッセージ

日本ブログ村、短編小説ランキングに登録しています。クリックすると同サイトにリンクします。https://novel.blogmura.com/novel_short/※この小説は筆者の少年時代の記憶によって書いたノンフィクションである。昭和41年に亡くなった祖父が残したもの小学校一年で父を亡くした利郎は家庭の事情で七回も住まいを替えることとなった。多感な少年時代の様々な出来事の中でその後の修作に大きな影響を与えたのは、小学時代夏休みに実... 続きを読む