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サン・ファン号は奴隷を運んだ

今日は久しぶりにサン・ファン・バウティスタ号(伊達政宗が海外に派遣した仙台藩士支倉常長を乗せた船)の話題である。サン・ファン・バウティスタ号は500トンにも及ぶガレオン船(戦艦)である。支倉はこの船(画像は石巻市サン・ファン館に展示されているレプリカ)で太平洋を横断し、メキシコに渡った。下図で太平洋におけるおおまかな航路を確認して頂きたい。サン・ファン・バウティスタ号は太平洋を二往復している。但し... 続きを読む

伊達政宗と支倉常長の両者が描かれた絵

仙台市博物館開催 伊達政宗の夢リンク動画についてこの動画は3年前の2013年10月4日~同年11月17日に仙台市博物館で開催展示されたアリティーヴィー制作「慶長遣欧使節と南蛮文化 伊達政宗の夢」(慶長使節派遣400周年記念特別展)である。先ほど、YOU TUBEを探したところヒットしたのでリンクしたものである。この動画の冒頭では本企画開催にともなう式典が映っているが、その式典に招かれたのが伊達家第18代当... 続きを読む

祝!支倉常長 ローマ法王謁見四百周年

 Vatican National Anthem ※リンク曲「ヴァチカン市国国歌」解説byミック本日2015年11月3日は伊達政宗が欧州に派遣した支倉常長がローマ法王(パウロ5世)と謁見を果たしてからちょうど400年目にあたる日である。4世紀も前に、伊達政宗名代として二つの大海を渡り、様々な困難に負けることなく、強靭な精神力をもってこの偉業を達成した支倉には改めて敬意を表したい。この国歌はもちろん支倉がローマを訪れた... 続きを読む

支倉常長、スペイン国王謁見四百周年を祝う小旅!

2004Royal Wedding Prince Felipeand princess Letizia of Spain伊達政宗が派遣した遣欧使節団を率いた支倉常長がスペイン国王フェリペⅢ世と謁見を果たしてから今日で400年が経つ。私はこれを心から祝し友人とともに宮城県石巻市にあるサンファン館を訪ねた。※レプリカ船を前に感慨を新たにする某シュミレーションシアターが故障のため、いつも観る映画はホールで上映された。撮影禁止でないのを確認したゆえ、「夢の果... 続きを読む

支倉常長子孫との対面

二つの海を渡った侍フランシスコ・ハセクラ私の窮地を救った侍の末裔との出会い本日の昼過ぎ、私は仙台藩志会主催の「伊達学塾」へと向かった。目的は或る人物と逢うことである。会場は青葉区広瀬通にある仙台市戦災復興記念館である。私は5階の会議室の扉を開いた。私は飛び入りでの参加である。受講料は¥700。会場には既に仙台藩志会の面々が来て居られた。そしてそのかたらしき方が会場に来られた。私は初対面ゆえ、顔見知... 続きを読む

支倉常長の足跡をたどる会とは?

 四百年前の支倉常長の足跡を偲んで※日時指定投稿去る12月5日(金)のことだった。私は東北学院大学で開かれる作家佐伯一麦氏の講座に出席するまで時間があったので出入りの図書館へ行き、本を数冊借りた。そして図書館を去ろうとしたとき、小会議室の前でこのような立て札を見つけた。「支倉の旅を語る会」である。私はまったくの飛び入りながら、支倉常長の慶長遣欧使節団に関する小説を書いた旨を説明して皆さんの御厚意で... 続きを読む

支倉常長の欧州行脚を描いた油絵

 初めて大西洋を渡った日本人 秋晴れに恵まれた今日、私はJR東日本北仙台駅の企画である「小さな旅、伊達政宗・支倉常長ゆかりの寺院を訪ねる」に参加した。全部で六箇所の寺院を訪ねたが今日はその中で肝と言える支倉常長の菩提寺と言われる光明寺についてお伝えする。北仙台駅駅長の司会で始まったこの企画だが、JR東日本の数あるイベントの中でも最高ランクの注目度とも言えるもの(昨年に於ける慶長遣欧使節派遣400周年記... 続きを読む

慶長欧使節団のハバナ寄港

 1614年8月7日、ハバナを出港するきょうは久しぶりに慶長遣欧使節団(伊達政宗が欧州に関する記事をお届けする。メキシコでの使節団の足跡については私の歴史小説「金色の九曜紋とともに」に詳しく著しているので興味のあるかたはご覧頂きたい。金色の九曜紋とともに第三話「メキシコでの使節」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32210698.html金色の九曜紋とともに第四話「大西洋を越えて」http://blogs.yahoo.co.jp/bgyt... 続きを読む

支倉常長の帰国を二つのTV番組で考証する

 支倉常長の帰国と主君政宗への報告これは去る2007年12月NHKTVで放映されたその時歴史が動いた。「伊達政宗ヨーロッパに賭けた夢」の一場面である。 時は1620年8月26日、政宗が派遣した慶長遣欧使節団を率いた支倉常長が帰国し、仙台城で政宗に事業の首尾を報告するシーンである。番組にセリフはなかったが、このとき常長は「拙者の力及ばず、殿の御意に添うことが出来ず誠に申し訳ございませぬ。」とでも語っ... 続きを読む

美味い!支倉常長弁当

伊達者らしく真摯に、豪華に、そしてインターナショナルに!※日時指定投稿私のブログは最近肩の凝る記事が多いのできょうはやんわりと行きたい。三連休の中日のきょう、私が向かったのは仙台駅構内にある弁当の小林の駅弁コーナーである。時間は昼時であったが結構人だかりが出来ていた。この看板をご覧頂きたい。弁当を指差す支倉常長の凛々しい表情、そして弁当の向こうにはサンファン号が進路は東という文句が素晴らしい。まさ... 続きを読む

絵と写真で振り返る支倉常長の欧州での足跡

 支倉常長、欧州での栄光と苦難の足跡※日時指定投稿きょうは去る11月24日に石巻市サンファン館に訪問したときに撮影した絵と写真を掲載し、400年前のヨーロッパでの支倉一行の足取りを改めて顧みることにする。 ここは使節団が船出したとされる石巻市月浦である。左が牡鹿半島側、右は小出島、1613年の10月28日、専門家の意見を考証すると船は満月の晩、引き潮を利用して百メートルほどしかないこの水道を通... 続きを読む

3年ぶりのサンファン館訪問

   祝サンファン館再オープン好天に恵まれた本日、私は知人とともに宮城県石巻市のサンファン館を訪ねた。サンファン館は震災の被害を受け11月3日に再オープンしたばかり、訪れるのは三年ぶりであった。私は電車を乗り継ぎ開館時間9時半前の9時過ぎに到着し、この日の一番乗り入場を果たした。サンファン館に訪れた大きな理由は現在執筆中の歴史小説「金色の九曜紋とともに」の執筆意欲を落とさないためである。私は早速9... 続きを読む

講座「伊達政宗と慶長遣欧使節団」に参加して

 仙台市博物館で開催された歴史講座への参加去る11月9日(土)、私は仙台市博物館で開催されたしろまち講座「伊達政宗と慶長遣欧使節団」に参加した。参加した動機は①現在執筆中(連載中)の歴史小説「金色の九曜紋とともに」のテンションを維持することと②歴史考察はけして主観に偏らず、時としていろいろな人の様々な考察を取り入れ、客観的に分析する必要があると思ったからである。講座は13時半から始まった... 続きを読む

政宗の夢を乗せた大船の四百年前の出帆を祝う

     祝、出帆四百周年!昨日は有給を使い、慶長遣欧使節四百周年記念パーティーに出席した。会場は石巻市のグランドホテル、時間は18時半~20時半である。奇遇なことであるがバイク仲間の新潟のスミチカさんがたまたま石巻に来ており、パーティーの前に1階ラウンジでコーヒーをご一緒した。この日は歴史談義に花が咲いたが、彼は非常に歴史に詳しくその博学を肌で感じた。18時15分ころ、スミチカさんと別れを告げ2... 続きを読む

支倉常長、肖像画の謎&フェリペⅢ世の鎧

歴史講演会「支倉常長の旅、肖像画の謎」昨日の10月26日(土)仙台市博物館で歴史講演会「支倉常長の旅、肖像画の謎」が午後から開催された。折しも今は慶長遣欧使節団派遣四百周年にあたり特別展が開催されており、この講演会もその一環をになうものである。参加希望者は往復はがきで申し込み定員は二百名である。私は現在執筆中の歴史小説「金色の九曜紋とともに」のテンションを得て追い風としたい一心でこの講演会を受講し... 続きを読む

伊達政宗の遣欧使節団派遣の真意を考える

 政宗の野心、支倉の忠誠、家康の大局観  複数存在する政宗の遣欧使節団派遣の理由 伊達政宗の慶長遣欧使節団派遣の目的はこれまで様々な研究、推測がされてきた。主なものには①通商説、②軍事制圧説、③天下制覇説などがあり震災後はにわかに④震災復興説までもが浮上してきた。この中で私は①と③を支持したい。④については全くの否定はしないが様々なシーンで伊達政宗の抱いた天下取... 続きを読む

世界遺産、支倉常長が授かったローマ公民権証書和訳

支倉常長が持ち帰ったローマ公民権証書の和訳 本ブログでは今年の6月20日に伊達政宗の遣欧使節である支倉常長がヨーロッパから持ち帰った品の世界記憶遺産(ユネスコ)登録をお伝えした。きょうはその内容を改めて紹介する。  まず支倉常長の肖像画は往時のフランスの有名な画家に描かれたとのことである。キリストに敬虔な祈りを捧げる支倉だが、この絵に折目が入っているのは幕府のキリシタン禁止、迫害を逃れてこの絵... 続きを読む

江戸時代に欧州から持ち帰った資料のユネスコ登録

 国際的にも認められた伊達政宗の欧州派遣事業昨日のニュースで藤原道長の自筆日記とともに支倉常長がヨーロッパから持ち帰った品が世界記憶遺産(ユネスコ)に登録されたことが報じられた。 仙台市博物館HPによると、具体的には国宝「慶長遣欧使節関係資料」のうちの「ローマ市公民権証書」、「支倉常長像」、「ローマ教皇パウロ五世像」の三点である。  伊達政宗が派遣し、今年で四百周年を迎える慶長遣欧使節団派遣と... 続きを読む

侍、ドンフィリッポ・ハセクラの生き方

彼が貫いたのは主君への忠誠だけではなかったきょうは有給をとってある歴史フォーラムに参加した。開場は仙台市の中心部にある電力ビル7階の電力ホールである。ここが電力ビルの入口である。 このフォーラムは第1部と第2部に分かれている。私は故あって第1部のみ参加することにした。なぜなら、少なくても震災以前にこういう説(伊達政宗は慶長16年(1611年)の津波で受けたダメージを回復するために使節を派遣したとす... 続きを読む

マニラ・ガレオンがもたらした大航海

 勇気と経験学よって成就した四百年前の大航海 日本人として初めて太平洋を渡ってヨーロッパに行った慶長遣欧使節団出港から来年でちょうど400年になる。現在、いろいろな行事が計画中であるがその行事の口火を切るシンポジウムが本日11月18日、仙台市博物館で開かれた。  11月3日は石巻市のサンファン館会場で主に「支倉常長」の人となりと使節団の国際感覚に関する開催されたばかりで、今回は仙台に会場を移し... 続きを読む

四百年前、遣欧使節を卒いた支倉常長の居城と墓

謎に包まれた支倉常長の墓所に迫るこの絵に注目して欲しい。これは仙台藩主の伊達政宗、その家臣の支倉常長、政宗が仙台に招いた宣教師ルイスソテロである。 ※支倉常長とはどんな人物なのか?ミック自作小説「支倉常長と私」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/23968797.html本ブログでは過去二回に渡って支倉常長の墓所を紹介してきた。それは彼の墓所とされるところが三カ所もある(どれが本当の場所なのか判明し... 続きを読む

生き延びて、かくまわれた支倉常長

仙台藩主、伊達政宗家臣支倉常長今から約400年前、彼は伊達政宗の命を受け、1613年、180人の使節団を率いてヨーロッパに渡りました。目的はスペインと仙台藩との直接貿易の実現、もう一つは政宗の天下取りの野望(日本の30万人キリシタンの力を借りて徳川幕府を倒す。)でした。ところが、幕府のキリシタン弾圧でこの交渉は失敗に終わりました。そして7年後の1620年、支倉は失意のうちに帰国、翌々年没したと伝え... 続きを読む

支倉常長の墓

偉業を遂行するも、運命にもてあそばれた悲運の侍案内図:JR北仙台駅より徒歩3分詳しい地図で見る 仙台藩主、伊達政宗の命を受け、総勢約180人で慶長18年(1613年)にヨーロッパに渡った支倉六衛門常長、徳川幕府のキリシタン弾圧の逆風により当初の目的だったスペインとの直接貿易の交渉は実りませんでしたが、7年間に渡る偉業は今でも語り継がれています。今日は常長の3か所の説がある墓のうちの一つ、仙台市の「光... 続きを読む