少ないモノで人生を愉しむ:江戸庶民の生活ぶり 久しぶりに「近世以前のもの」のカテゴリーの更新である。最近とても面白い本を読んだ。菅野俊輔著「江戸のエコ生活」である。昨今、ミニマリストが注目されているが、多くの物に恵まれていることと幸福度、満足度は必ずしも比例しない。却って物が少ないほうがいいと感じることがある。例えばデジタル社会の生んだスマホは確かに便利だが、逆にその利便性に振り回されることがある。家電製品も然りで、単に必需品と思い込んでいる... 続きを読む [タグ] 菅野俊輔 江戸のエコ生活 裏長屋 ミニマリスト 循環型社会
仙台市の旧道「唸り坂」とは? 仙台市にある唸坂を走ってきた【旧道】 リンク動画について本日は仙台市青葉区の八幡町方面の面白い名称の旧道を紹介したい。その名は「唸り坂」(うなりさか)である。何と18パーセントの急勾配である。仙台城の石垣の傍にこのような説明書きがある。仙台城の石垣に使われた巨石は国見・大石原周辺から切り出され、唸り坂を通って牛越渡し(現牛越橋辺りと思われる)経由で川内の仙台城に至ったということである。もちろ... 続きを読む [タグ] 唸り坂 牛越渡し 大石原 仙台城
晩翠通と北一番丁の辻・仙台藩町奉行所跡を訪ねて 去る2月の初め、私は青葉区の街中(北一番丁と晩翠通の交差点の傍)で見慣れない立札を見かけた。立札が立っているのは画像のほぼ中央に位置する電柱の左脇のところである。どうやら史跡に関するものらしい。史跡があった場所は右側の白い建物(仙台市役所二日町分庁舎)のところである。幕末の安政時代に描かれた地図に「町奉行御殿屋敷」と書いてある地点がここ(北一番丁)である。奉行所があったのは赤線で囲んだ部分だが、左... 続きを読む [タグ] 仙台藩町奉行所 晩翠通 北一番丁 仙台市役所二日町分庁舎
伊達藩火薬製造跡地を訪ねて 本日の2019年7月15日(月)は祝日(海の日)であるが、私はバイクで仙台市青葉区貝ヶ森地区の伊達藩火薬製造跡地を訪ねた。バイクはすぐ傍の貝ヶ森公園の入口に止めさせて頂いた。突き当たり(今は住宅が建っている)が火薬製造跡地だが、藩政時代とは打って変わり、今ではすっかり住宅地で囲まれてしまっている。昭和初期の地図(今昔マップより引用)をご覧頂きたい。90年近く前は目立たない山の中だったことがわかる。... 続きを読む [タグ] 伊達藩火薬製造跡地 伊達藩火薬製造所 横町利郎
遠見塚古墳の探訪 本日ゴルフ練習の帰りに、息子と立ち寄ったのは仙台市若林区の遠見塚古墳である。遠見塚古墳は国指定の史跡となっている。指定は昭和43年なので今から50年前のことになる。以下:仙台市教育委員会・仙台市の指定・登録文化財のサイトより引用遠見塚古墳は、仙台平野のほぼ中央部広瀬川北岸に発達した標高約10mの自然堤防上に位置している。仙台市内では最大規模の前方後円墳であり、宮城県内においても雷神山古墳に次ぐ大型古... 続きを読む
東北では珍しい大型の前方後方墳(南相馬) 本日は一年二箇月前の2016年9月に訪れた福島県南相馬市の桜井古墳を紹介したい。矢印の赤●が桜井古墳の位置である。住所:福島県南相馬市上渋佐字原畑66-1外桜井古墳は国指定史跡になっている。桜井古墳古墳の規模は全長74・5メートル、高さ6・8メートル。新田川南側に立地する東北地方でも有数の墳丘規模を誇る大型の前方後方墳。福島県浜通りを見渡しても、桜井古墳の大きさを越える古墳は、いわき市玉山1号墳(前方後... 続きを読む [タグ] 南相馬市の桜井古墳 桜井古墳
東北最大の古墳へ六年半ふりの訪問 東北最大の前方後円墳へ六年半ふりの訪問昨日、私は6年半ぶりに名取市(仙台市の南に隣接する市)の雷神山古墳に向かった。古墳の名は雷神山古墳である。雷神山古墳は、宮城県名取市植松にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。 東北地方では最大の規模で、4世紀末から5世紀前半の築造と推定される。仙台平野一帯を支配した広域首長の墓とされる。Google航空写真で雷神山古墳と小塚古墳の位置を確認して頂きた... 続きを読む [タグ] 雷神山古墳 東北最大の前方後円墳
東北最古、最大級の大悲山石仏 東北最古、最大級の大悲山石仏を訪ねてもうすぐ慣れ親しんだ相馬地方に別れを告げなければならない。その前に主要な史跡を巡りたい。そう思うと居ても立っても居られなかった。そんな私が電車で向かったのが南相馬市小高区泉沢地区にある大悲山の石仏である。ことの発端をたどれば私が日々の通勤で乗車しているJR代行バスのドライバーAさんと親しくなったことに帰来する。Aさんは相馬市出身で郷土史に詳しい。そのAさんから大... 続きを読む
藤原忠衡の姫に加護のあった「露無の里」を訪ねて 落ち延びた姫に加護?のあった露無の里写真をご覧頂きたい。この神社は仙台市青葉区宮町にある福澤神社である。※福沢神社(以下宮城県神社庁HPより引用)桓武天皇延暦7年(788年)此の地に創祀し児玉明神と称す。天暦3年(949年)京都総本宮の稲荷社祠官より正一位稲荷大明神安鎮の証を得て、社号を福沢稲荷明神と改める。安貞年間(1227~1228)平泉の和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男)乳母石塚小萩は、主家の女... 続きを読む
仙台平野の田園に存在する謎の古墳 仙台平野沿岸に根付いた豪族の古墳?きょうの仙台地方は春本番を思わせる気候で気温は20度を越した。こういう日はバイクで史跡巡りでも…。そんな私の脳裏に浮かんだのは一昨年2012年11月1日のある古墳探訪への雪辱だった。 雪辱と言ったのは1年5ヶ月前の当日、太白区の城丸古墳は発見できたものの、数百メートルしか離れていない弁天囲古墳をどうしても発見できなかったからである。私は城丸古墳を訪れた時にた... 続きを読む
多賀城の地方豪族の城館跡を訪ねて 古代から中世にかけての豪族らの居城を訪ねてきょうの仙台地方は張り出した太平洋高気圧の影響を受け気温が14度近くまであがった。今年になっての最高気温である。こういう日は史跡探索にでも出かけたい。そのような欲求がこの日の私の背中を後押ししてくれた。私はJR仙石線に乗って多賀城市下馬駅でおりた。下馬という地名の由来をご覧頂きたい。中世のころ、留守氏、大崎氏、葛西氏の豪族たちの往来が激しく、下馬札(馬に乗っ... 続きを読む
1600年前の仙台平野に君臨した豪族の夢を偲ぶ 名取の旧道沿いに存在する薬師堂古墳 きょうは前回紹介した亀塚古墳に引き続き、飯野坂古墳群最大の薬師堂古墳についてお伝えする。ここは前回もお伝えした県道126号線である。このように古い建物が点在するものの、古く見積もっても昭和初期から中期の建物という感じである。このような昭和の古民家が私の気をひき、思わず道端ににシェルパを止めて見入ってしまう。従ってこの日は必然的にGO&STOPを頻繁に繰り返し... 続きを読む
田園地帯の美しい瓢箪型の古墳 1600年近くを経て、いまだに極めて良好なコンディションを保つ古墳 きょうは文句なしの五月晴れだった。こんな日はアウトドアに出るしかないだろう。どうせ出るならしばらく途絶えていた古墳探訪にでも行きたい。こんな考えを持つに至ったのは昨夜の天気予報を見てからである。今回もこの本がガイドを務めてくれた。「東北古墳探訪」である。 ※読者諸兄の皆様、本ブログにおける古墳に関する記事は今回で七度目となりま... 続きを読む [タグ] かめ塚古墳 亀塚古墳
仙台城一般登城口、扇坂の探索 鬱蒼とした林の中に存在する藩政時代の古い坂 藩政時代、仙台城の諸氏登城口として使われた扇坂、この坂について本ブログは、先日東北大学百年記念館脇の「三太郎の小径」を紹介した際、坂の上から撮影した写真を掲載した。私はこの坂をもっと詳しく調べたいと思い、後日改めて足を運んでみた。 ※扇坂の上からのビューを見たいかたはこちらをクリックしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31265516.html ... 続きを読む
住宅地の中に存在する古墳 小規模古墳と神社の密接な関係 仙台市南部に多く点在する小規模古墳を巡る旅は今回で3回目を迎えるが、今回紹介する古墳は今までのものと違い周囲は住宅地となっている。古墳の名は城丸古墳、小規模古墳の例に漏れず、「東北古墳探訪」による情報は残念ながら少ない。今回の小規模古墳のまとめの意味で、三つの古墳の位置を航空写真で紹介する。△:下飯田薬師堂古墳、□:大塚古墳、○城丸古墳、赤い線:大塚古墳から城丸古墳へ... 続きを読む
河川敷に造られた謎の古墳 河川敷に造られた珍しい古墳 仙台平野の超マイナーな古墳として、昨日仙台市若林区飯田字中橋の薬師堂古墳を紹介したが、きょうは更に南下して広瀬川を渡ったところにある非常に珍しい場所に造られた古墳を紹介する。 その古墳とは「東北古墳探訪」の97ページに紹介されている大塚山古墳である。一見林とも見分けのつかない感じで遠くから見るととても古墳には見えない。実は大塚山古墳という名の古墳は全国に... 続きを読む
仙台平野の超マイナーな古墳たちP1 古墳の上に建てられた薬師堂 本ブログでは数カ月前に東北の古墳探索を実施することを皆さんにお約束した。現在の実績としては、①雷神山古墳(名取市)②遠見塚古墳(仙台市若林区)③法領塚古墳(仙台市若林区)の3古墳となっている。 ①と②は全国的にも有名だが、③はマイナーな部類に入るものである。今日から3回に渡って紹介する古墳ははっきり言って超マイナーとも言えるもので、過去にヤフーブログでは1件も取り上... 続きを読む [タグ] 下飯田薬師堂古墳 薬師瑠璃光如来
江戸の旅が人を豊かにし文化の発展を促す 江戸時代の旅は日本人に何をもたらしたのか 時は江戸時代、参勤交代のための五街道の整備、そして宿場町の出現により全国の道路状況がこれまでとは全く変わっていった。そして徳川政権が安定した生活をもたらし、人々はそれまでの衣食住だけの生活から解放され、徐々にゆとりや楽しみを求める気風が庶民の間にも広がりつつあった。 旅行好き、歴史好きの私は人々の間に旅行という概念が一挙に広がった江戸時代のころの旅... 続きを読む
法領塚古墳と南小泉集落の関わり 古墳探訪シリーズ第3弾「法領塚古墳」の探索 当ブログではつい最近、東北の古墳の探索について掲載する旨を皆様にお伝えしたが、本日は①宮城県名取市の雷神山古墳②宮城県仙台市若林区の遠見塚古墳に次ぐ三番目の掲載として宮城県仙台市若林区の法領塚古墳とその周辺の現南小泉地区との関わりについて取り上げ、お伝えすることにする。 盆休みである本日、私は仙台市中心部より1キロほど南西に位置する荒町を通って法領... 続きを読む [タグ] 法領塚古墳
東北の古墳の探究始めます! 文化後進国と思われる東北の意外な一面みちのおく、白河以北ひと山三文…皆さんは多かれ少なかれ、東北と言えば文化の後進の地というイメージを持っておられるだろう。ここで次の数字に注目してもらいたい。九州91、山陰・北陸52、山陽~近畿~中部28、東日本(東北、北関東沿岸)72…??この数字を皆さんはどう思われるだろう?私は昨日この本「東北古墳探訪」を購入したが、答えはその中にある。実はこの数字は各地方に... 続きを読む
いくつ峠を越えた 「木枯し紋次郎」OP誰かが風の中で 上条恒彦 私にはどうしても行ってみたいある場所があった。当然のことだが実人生においては願い事が望み通りかなうとは限らない。しかしきょうは幸運にも休みを利用してその願いをかなえる好機に恵まれた。 目的地は岩手県南部の一関市骨寺村。片道ざっと90キロの下道はいくつもの峠を越えなければならない。また遠方に足を運ぶ際は午前中が勝負である。私は朝8時には愛車シェル... 続きを読む
治水のために作られた大河とその流域を訪ねる 大河の氾濫を食い止め人々に豊かな生活をもたらした人工川 皆さんはご存じだろうか?宮城県の主要な川のほとんどが運河で繋がっていることを。旧北上川は南へ流れ石巻市で石巻湾に注ぐわけだが、その河口から松島湾を経て阿武隈川河口まで、全長約60kmにも渡る貞山運河が延びて主要な川と繋がっているのだ。 この運河により岩手内陸部を水源とするの北上川水系、宮城県の仙台平野の全ての水系、そして福島県内陸を水源とす... 続きを読む
蔵の町を心ゆくまでバイクで探索する 江戸時代からの商いの繁栄の面影を現代に残す 10月になって秋本番、きょうの宮城県地方はいい天候に恵まれました。私には前から気になっていたことがありました。それは仙台市南部の村田町です。この町は江戸時代の商いの面影を現代に残す町として有名で「蔵の町」とも言われています。 このところ、しばらくシェルパに乗ってない私ですが、シェルパはこういった場所の探索にはピッタリのバイクです。 まずは... 続きを読む
津波で消失する前の江戸中期の道標 稀少な江戸時代中期の道標 今回の震災による大津波で多くの文化遺産が流出し失われましたが、きょうは宮城県沿岸部に存在する江戸時代の道標(みちしるべ)を二つ紹介します。 まずは一つ目です。ここは石巻市の追分温泉です。昭和の古い建物ですが、その建物の脇に目を移すと…追分温泉の庭の一角にその道標は建っていました。ご覧の通りです。尚、この木製の立て札は石製の道標の位置を示すもので道標そのもの... 続きを読む
前方後円墳の形を実感する 雷神山古墳の前方後円墳とはどんな形状をしているのでしょうか?この景色は古墳の西側に広がる宮城県名取市の住宅地です。 =ひょっとして古墳が見えるの?と思ったみなさんもいると思いますが、古墳はもっと左手(南側)のほうにあります。前方後円墳の形と名称を図で簡単に説明しましょう。左側の古墳は円墳で、小塚古墳と言います。右側の鍵穴のような形をしたのが前方後円墳の『雷神山古墳』です。みなさんも学生の頃、地理で習... 続きを読む
江戸時代の地方豪族の古民家(後編) 伊達政宗直筆書状のある蔵、昭和に入って建てられた別館 昨日の前編に引き続き、旧須藤家住宅の後編をお伝えします。まず本屋の土間のある台所は昔の住居らしく天井がありません。したがってこのように茅葺の屋根裏や梁材がむき出しになっています。 囲炉裏です。食事のときのだんらんが目に浮かぶようです。昔は上座、下座のしきたりがありました。 廊下の突き当たりです。格子の入ったガラス戸と置物のバランスがグッド! ... 続きを読む
江戸時代の地方豪族の古民家(前編) 樅の木と松の木は残った。松笠屋敷見学 宮城県南三陸町にある奥州豪族、藤原家の系列の子孫が住んだ旧須藤家住宅(通称:松笠屋敷)を紹介します。住所は宮城県本吉郡南三陸町入谷字桜沢442で、東京方面からのアクセスは東北道仙台南ジャンクション~三陸道~三陸道桃生津山IC下車~国道45号線経由30分で着きます。旧須藤家はひころの里の中にあります。さあ行ってみましょう♪ これが旧須藤家の全景です。木々に見え隠れ... 続きを読む
奥州街道の面影を残す旧商家 先日、朝散歩がてらに行った旧奥州街道沿いの面影を残す旧商家を紹介します。場所は仙台藩主の伊達政宗を祭った青葉神社の門前町で、江戸時代の「芭蕉の辻」(現国分町)の北方への延長の部分でもあり、職人町として栄えたところです。下の写真は旧芭蕉の辻側(南側)からのアングルです。さすがに土壁がはがれ落ちていますが、先の宮城県沖地震のせいでしょうか?門構えは昔風のものですが、おそらく昭和時代に作られた(復元?... 続きを読む
暗殺未遂の相馬大作が潜んだ土蔵 相馬大作事件(そうまだいさくじけん)とは、1821年(文政4年)4月23日に参勤交代を終え、江戸から帰国の途についていた、弘前藩主・津軽寧親を狙った暗殺未遂事件です。 事件の首謀者は、盛岡藩士の下斗米秀之進であり、彼が別名として“相馬大作”を名乗っていた事に事件名が由来します。 裏切った仲間の密告により、寧親の暗殺に失敗した秀之進は藩を出奔しますが、後に幕府に捕らえられ、獄門の刑を受けます。なお、斬首で使... 続きを読む [タグ] 相馬大作事件