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仙台市青葉区国見ケ丘一角:臨済院跡地にまつわる血生臭い話二話

昨日、私は青葉区国見ケ丘を訪ねた。”陽だまりの通り”と称される道(国見ケ丘二丁目と三丁目の間の通り)は文字通り日当たりがよく、住みやすい住宅地という印象を受けた。この後、四丁目のほうに向かった。ここは芋旧川内芋沢線で国見峠の最高標高地点の近くである。夜になると車で若いカップルが仙台の夜景を見に来るスポットとして有名だが、付近の迷惑ということもあり、「駐車は渋滞の原因になりますのでご遠慮ください」とい... 続きを読む

横町流平常心の保ち方:禅寺を訪ねて

セカンドライフに入ってしばらく経過したが、振り返って思うことは現役時代の頃と比べて、年月の経つのが早いということである。これは先賢から聞いていたことだが、現役時代はどうしても実感が湧かなかったのである。それがセカンドライフに入ったとたんに他人事ではなくなり、今は切実な実感として受け止められるようになったのである。既に自分が物心ついた頃の祖父母の年齢に達した昨今、改めて「光陰矢の如し」、「少年老い易... 続きを読む

黄檗宗・大年寺の探訪その2

本日は先日に続き仙台市太白区の大年寺を紹介したい。二百数十段の参道の階段を登りきると平坦な地形となる。中世の頃、大年寺には粟野大膳の居城とされる茂ヶ崎城があった。粟野氏が去ってから二百数十年後、ここに新たな伊達家の菩提寺が創建された。きっかけは仙台藩四代藩主伊達綱村の黄檗宗への帰依である。両足山大年寺は一時は僧三百人を擁した仙台藩有数の大寺院であった。※茂ヶ崎城跡には立札が立っているが、往時の城跡... 続きを読む

黄檗宗・大年寺の探訪その1

先週の木曜日(10月18日)私は仙台市太白区にある或る禅寺を訪ねた。目指す寺は国道(286号)からのアプローチになる。秋空が澄み渡って大変気持ちのいい日であった。正面に見えるのが黄檗宗(おうばくしゅう)大年寺の惣門である。大年寺には伊達家の当主の廟所がある。大年寺の本堂はこじんまりとしているが、これは近代になって再建されたものである。実はこの寺は由緒ある古刹であった。過去形を用いたのは明治維新の後... 続きを読む

定義如来西方寺へ

本日は三連休最後の休日である。私が息子とともに向かったのは仙台市西部の定義如来西方寺である。連休最後の日とあって多くの老若男女が訪れ、門前町の店も活気に溢れていた。息子にとっては小学生以来の訪問である。この山門は1931年(昭和6年)に完成したとされる。境内にはお香の煙が立ち込めていた。定義如来西方寺(以下Mikipediaより引用)定義山西方寺には、平重盛の重臣である肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が... 続きを読む

仙台市西部の禅寺の探訪

午後から仙台市郊外の西部にバイクを走らせた。目的はある禅寺を訪ねることである。禅寺があるのは蕃山というところである。命名者は仙台藩祖・伊達政宗公で当初は磐山と言ったようだ。ある寺と臨済宗大梅寺である。私は熊出没注意の立て札のある参道を息を切らしながら登った。参道の両側には修行僧と思しき石像がある。慈愛に溢れた僧の笑顔は見ているだけで心が穏やかになる。もし彼に口が利けたら何と言うだろう。私は「そんな... 続きを読む

平安期に建てられ現存する角田市高蔵寺

八百年の時を越えて感じる高蔵寺阿弥陀如来像の慈悲の心去る5月24日角田市高倉地区の古民家「佐藤家住宅」を訪れた私は隣接する勝楽山高蔵寺に足を運んだ。寺の立地は佐藤家住宅より100メートルほど東に行ったところである。我が国に於ける現存する建物で奈良時代のものは7箇所、平安時代以前となれば26箇所とさえる。その26箇所のうちでも東北に現存する建物はたった3箇所である。この日はボランティアと見られるかた... 続きを読む

JR小さな旅ー仙台市北部の寺巡り

JR小さな旅「仙台市北部の寺巡り」第二弾今日は去る10月25日(土)に行われたJR北仙台駅企画小さな旅についてお伝えする。スケジュールをご覧頂きたい。合計5時間40分にも及ぶ長丁場である。支倉常長の菩提寺光明禅寺を出た後はすぐ隣の東昌寺に向かった。この墓は伊達政宗の孫に当たる伊達虎千代丸の墓である。世継ぎであった虎千代丸はわずか7歳で夭折している。思わず涙を誘われずには居られないシーンであった。伊達家... 続きを読む

全国的に例を見ない伊達政宗の灰塚とは?

  伊達政宗公の灰塚とは?去る9月20日のことであった。JR東日本の企画する「小さな旅」に参加した私は二十名ほどの参加者とともに、伊達政宗公の灰塚があるとされる青葉区三条町の大願寺を訪ねた。それにしても立派な山門である。大願寺山門(以下仙台市HPより引用)宝永6年(1709)に造営された仙台藩四代藩主伊達綱村夫人仙姫(万寿院)の墓所の門を,明治時代初期に墓所のあった小田原高松から現在地に移築したもので... 続きを読む

和辻哲郎著「古寺巡礼」

 仏教美術に心服した若き日の和辻哲郎 きょうは和辻哲郎著物「古寺巡礼」について紹介する。当時28歳の和辻が二三人の友人を伴い、奈良近辺の古寺を見て回ったのは大正六年(1917年)五月のことだった。この著物は後になって出征し生還するのが難しい兵隊さんからの需要が相当あったと聞く。 私自身にも思い当たる節があるのだが、煩悩に苛まれ苛立った折、こうした仏閣や仏像に接すると知らず知らずのうちに心が静まるの... 続きを読む

初夏の山形市専称寺を訪ねる小旅

 山形の古刹「専称寺」を訪ねて一度思い込むと矢が降ろうが何が振ろうがそのことを成し遂げるまで居てたまらない。まさに猪突猛進である。このような性格は今までの私の人生で多くの災いをもたらしたが、けして悪い面のみではない。思い込むということは別な視点で捉えるならば迷うことがないという恩恵ももたらすのである。ここで隣県である山形の古寺巡礼の真意について触れるならば、身の回りでちょっとした些事があって旅に出... 続きを読む

瑞鳳寺本堂の仙台萩人形

 瑞鳳寺本堂に飾られた仙台萩歌舞伎人形きょうは先週の土曜日に訪れた仙台の古刹「瑞鳳寺」本堂内部について紹介する。藩主の法事などが行われる本堂はご覧の通り、非常に広い。本堂にはこのような立派な屏風や書が飾られていた。漆塗りに金箔が施された屏風は藩主の菩提寺に相応しいものであり、厳かな趣を醸し出すものである。ふと、脇の小部屋の掛け軸と人形が私の目に止まった。一体なんの人形なのか?寛文事件(伊達騒動)は... 続きを読む

伊達家藩主の菩提寺、瑞鳳寺を訪ねて

 大正になって再興された古刹、瑞鳳寺伊達政宗が亡くなる一ヶ月ほど前ホトトギスの初音を聞こうと従者の奥山大学(寛文事件にも登場する仙台藩重臣)を伴い、仙台城からほど近い経ヶ峰に墓を作るよう(瑞鳳殿)に指示したとされる。1636年3月のことであった。実は伊達政宗の菩提寺は二つ存在する。一つが経ヶ峰にある瑞鳳寺、もう一つは松島(日本三景の一つ)の瑞巌寺である。昨日は原田甲斐屋敷を訪ねた後で広瀬川に掛かる... 続きを読む

宮城県涌谷町「見龍寺」

仙台藩の英雄伊達安芸宗重が眠る涌谷町見龍寺城山公園の涌谷城を訪ねた私と知人はこの日の最終目的地である見龍寺(けんりゅうじ)を訪ねた。こちらが本堂側の門である。軒の出は3メートルはあろうか?本堂は如何にも古刹といった風情がある。見龍寺宮城県遠田郡涌谷町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は海雲山。1591年に、亘理重宗が涌谷領主となったときに中興開山され、円同寺と称される。1671年に伊達安芸宗重... 続きを読む

新書庫「宮城古寺巡礼」開設

  仙台屈指の古刹「龍宝寺」を訪ねて「古寺巡礼シリーズ掲載にあたって」プロローグ私は無神論者であるが五十を越えたころからよく寺社仏閣巡りをしている。世の中のおおよそのものが姿を変えてゆく中にあって、寺社仏閣は数少ない歴史の生き証人であり、現代人に昔人の存在を強く意識させてくれるものである。こうして寺社仏閣巡りを進んで行うようになってからは心の平穏が得られ、例え気持ちがぶれることがあってもそのぶれ幅... 続きを読む