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仙台青葉まつりの山鉾を二基紹介します

本日は出勤前に仙台青葉まつりの山鉾を数基撮影した。そのうちの二基を紹介したい。これは政宗公兜山鉾と言って山鉾の中では最大のものである。政宗公の首から上が乗っかっているような奇抜なデザインに注目(笑)この仕掛けは8トンもあり234人で引くようだ。愛姫は伊達政宗の正室だが、三春(福島県中通り地方を統治した大名・田村清顕の娘)の愛姫が仙台に嫁いだのは12歳の時で、山鉾に乗る女の子は何と、小学6年生から一... 続きを読む

名君伊達政宗の遺産・四ツ谷用水

本日は去る4月14日に訪問した仙台市青葉区の四ツ谷用水取水口について掲載したい。四ツ谷用水取水口の位置は葛岡霊園の南側登り口より南西に100メートルほど行ったところにある。※四ツ谷用水仙台藩祖・伊達政宗公の遺産とされる仙台市に存在する用水路で、四ツ谷堰ともいう。江戸時代に開削されたもので、本流と支流が仙台城の城下町をくまなく流れ、 生活用水や灌漑用水、排水に用いられた。近代以降、支流は暗渠化されたり... 続きを読む

伊達政宗の秋にちなんだ詩

本日は仙台市図書館で国宝大崎八幡宮仙台・江戸学叢書『伊達政宗の漢詩』を借りてきた。政宗は文武に優れた面を持ち、生涯に実に4千通という当時では非常に多い手紙を書いた(祐筆に書かせたものも含む)武将として知られるが、これには深い教養があったという。以前彼の代表作である「馬上少年過ぐ」は本ブログで何度か紹介したが、本日は、深まり行く秋にちなんで伊達政宗の文化人としての側面を紹介したい。先ずは一作目は題不... 続きを読む

伊達政宗のライバル・蒲生氏郷

去る5月4日に私は大崎・葛西一揆で大きな騒乱があった佐沼城を訪れた。本日はその背景を如実に示す動画を紹介したい。87年放映「独眼流政宗第26話」である。この番組には伊達政宗のライバルである蒲生氏郷が登場する。以下朝日日本歴史人物事典より引用蒲生氏郷(1556~1595)六角氏の重臣で近江国蒲生郡甘野城主蒲生賢秀の子。幼名鶴千代、忠三郎賦秀。洗礼名レオン(天正13年洗礼)。蒲生氏は鎮守府将軍藤原秀郷... 続きを読む

伊達政宗が口封じの為に行った一揆制圧

本日は昨日行った史跡佐沼城であった血なまぐさい史実についてお伝えしたい。取材の為に準備したのは、郷土史研究の大家である紫桃正隆氏の「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」、「資料 仙台領内古城・館 第二巻」である。私は数日前からこれらの書物を読み、この大筋を押さえてこの日に臨んだ。一揆の大筋と伊達政宗のとった行動は①葛西、大崎は小田原攻めに参加できず、秀吉より改易(土地の没収:事実上の滅亡)②新たな領土(宮... 続きを読む

伊達政宗による葛西残党狩り

伊達政宗による葛西家臣残党狩り歴史は勝者によって塗り替えられてきた。伊達政宗公と言えば、我が宮城県や岩手県の一部では圧倒的な存在で、今でも英雄扱いされている。だが、そんな郷里の英雄も戦国の世を渡るためには謀(はかりごと)をしてきたのである。その史実に迫ったのが郷土史家・故紫桃正隆氏著の「仙台領の戦国誌」(葛西一揆中心編)である。以下「仙台領の戦国誌」と公益社団法人みらいサポート石巻「続・まちあるき... 続きを読む

片倉小十郎墓所を訪ねて

1987年の大河ドラマ「独眼流政宗」は今でもYOU TUBEで見ることが出来る。数年前、かつて伊達と相馬が伊具の丸森(現宮城県南部)で争った際、伊達輝宗(伊達政宗の父)が陣を張った平城跡を訪ねたことがあった。屋敷林で囲まれた城跡には民家が建っているが、その住人である元小学校の校長が「独眼流政宗は傑作であり、放送後30年を経た今でも、宮城県人にとっては、大きな存在感を放っている」と語られていた。これは私も全... 続きを読む

伊達政宗生誕450年記念特別展

”仙台浪漫”なる言葉がある。皆さんはこの言葉に何を感ずるだろう。現在の仙台は多くの偉大な先人たちが残した歴史と伝統が深く息づき、昨今は東北の中心都市としての一面以外に歴史と文化薫る学芸都市としての面影さえ醸し出している。従ってその面影に浪漫を感ずるのはごく自然な成り行きとも言えるのことなのではないだろうか?今の宮城県(仙台圏)の骨格が出来たのは仙台に藩制が布かれた416年前の1601年、そしてこの街... 続きを読む

伊達政宗の男気が結晶した松島瑞巌寺

独眼竜政宗「独眼竜政宗」はあくまで山岡荘八の創作であるが、大筋で史実に近いものがある。大筋と言ったのは近年に見つかった新しい資料の研究により、伊達政宗が実弟を殺したというこれまでの定説が変わりつつあるからだ。元仙台市博物館館長の佐藤憲一氏の研究で、殺したというのは偽装工作だった可能性が強くなってきたのである。(政宗の実弟小次郎は真言宗金色山吉祥院大悲願寺に向かい入れられ、住職となったということが、... 続きを読む

歴史エッセイ「伊達政宗公生誕450周年を迎えて」

2007年放送NHKその時歴史が動いた「天下に旗をあげよ 伊達政宗ヨーロッパに懸けた夢2/4」リンク動画についてこの動画はわずか13分ですが、伊達政宗公が大船を造ってまで海外に使節団を派遣した理由がよくわかります。興味のあるかたはご覧になってください。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※歴史エッセイ「伊達政宗公生誕450周年を迎えて」仙台城を訪ねたのは三年ぶりくらいだろうか。仕事で仙台を離れて他方に移り住み再... 続きを読む

仙台城の探訪その1

仙台城の探訪その1本日の午後私は地下鉄東西線に乗って、或る目的地に向かった。私が降りたのは国際センター駅である。ここからは仙台国際センターの他に仙台城、仙台市博物館、宮城県美術館にアクセスするのに便利である。仙台に観光目当てで来るかたには是非お見知りおき願いたい駅である。駅の斜め向かいにあるのが扇坂である。藩政時代、藩主の出入りは大手門からであったが、その他の家臣(仙台藩士)はこの扇坂から城に出入... 続きを読む

幕藩体制の下での伊達政宗生き残りの秘策とは?

伊達政宗、生き残りへの秘策これは仙台城にある有名な伊達政宗騎馬像である。如何にも野望に生きた武将らしい鋭い眼光を投げ掛ける表情であるが、私は以前から気になる点があった。それは顔の輪郭が下膨れなことである。最近、図書館で堂々日本史第11巻を借りた。その中の1話として「伊達政宗 生き残りのグルメ戦略」というものがあった。晩年近くになって、絵師に両眼を入れて描かせたとされる肖像画もやはり下膨れである。仙... 続きを読む

伊達政宗の副将的存在・伊達成実廟所を訪ねて

亘理伊達家廟所を訪ねる小旅年度末ゆえ、有給休暇の消化をすることにした。春分の日を迎え、私はJR常磐線に乗って間もなく己の居住の地となる宮城県南部の亘理町を目指した。駅から歩くこと30分。如何にも古そうで格式のある山門が私の目を捉えた。大雄寺である。大雄寺には伊達成実公を始めとした亘理伊達家が祀られている墓所がある。google航空写真で位置関係を確認して頂きたい。ピンク:JR亘理駅黄色:亘理城赤:亘理伊達家... 続きを読む

伊達藩岩出山有備館の歴史を学ぶ

 多くの仙台藩士が儒学を学んだ有備館本日、私は仙台市青葉区にある戦災復興記念館を訪れた。目的は仙台藩志会主催の伊達学塾受講のためである。一階ロビーに飾られた不死鳥の絵画をご覧頂きたい。第二次世界大戦が招いた仙台空襲から早70年が過ぎようとしている。今、改まって振り返ってみるならば、豊臣秀吉による領地没収、徳川家康による経済的締め付け、戊辰戦争敗北による石高半減と仙台は今まで多くの困難に貧してきた。... 続きを読む

仙台藩志会講座「伊達家墓所発掘調査」

伊達家三代の墓発掘からわかったこと去る1月25日(日)、私は仙台市青葉区の戦災復興記念館で開催された仙台藩志会主催の講座を受講した。この日のテーマは「伊達家墓所発掘にみる三代(政宗、忠宗、綱宗)の個性」、講師は仙台市教育委員会の長島栄一氏である。長島氏は駆け出しの頃1974年に行われた伊達政宗公墓所の調査に携われた他、三代目綱宗公の墓所発掘にも関わった経緯がある。但し、これらの伊達家三代に渡る墓所... 続きを読む

伊達政宗の野望とともに尼寺に散った男

関ヶ原合戦後、尼寺で切腹した和賀忠親昨年の12月29日のことだった。私は年末の休暇を利用して仙台市東部にある或る尼寺を訪ねた。寺の名前は国分尼寺である。比較的新しい山門である。国分尼寺の位置を航空写真で確認して頂きたい。住所:宮城県仙台市若林区白萩町33-26社殿もこのように新しいものとなっているがその歴史は非常に古い。※仙台 国分尼寺近くにある国分寺と同様、741年の聖武天皇の勅命によって建立された国... 続きを読む

名将、伊達成実を偲ぶ元日の小旅

亘理地方を治めた名将、伊達成実を偲ぶ私は昔から大晦日や元日に出て歩くことが多かった。無類のへそ曲がりということもあって、日本人特有の年越しとか年の瀬や年始めにけじめをつけるという慣習が全くピンと来ないのだ。但し、罰当たりと称され初詣にも行かない私が元日に出て歩き、何も気にならないと言ったら嘘になる。日頃から他人の好奇な視線にさらされ、心臓に毛が生えているのを自覚している私であるが、元日早々家族から... 続きを読む

片倉小十郎が仙台藩に及ぼした功績

伊達家の危機を救った片倉小十郎の叡智この変わった墓所をご覧頂きたい。ずらりとならんだ菩薩、このような墓は異例中の異例とも言える。読者の皆様は一体この墓には誰が眠っているのか?気になることだろう。ここは宮城県南部の白石市の片倉家墓所である。そしてここに紹介する武将は片倉小十郎景綱である。  初代片倉小十郎影綱(1557‐1615)片倉家の先祖は信濃国伊那郡片倉村に住し、大崎氏に従い奥州に下ったと伝え... 続きを読む

故郷石巻の伊達武者行列に参加し復興への士気を高める

 故郷石巻の復興を願い伊達武者に成りきる既に三週間前に決めていたことがあった。それは故郷の石巻市で開催される慶長遣欧使節派遣四百周年の記念イベントの一つである伊達武者行列に参加することである。世の中、言葉だけのことは軽過ぎるというものである。私は歴史小説「金色の九曜紋とともに」のプロローグで語った「成り切り」を実践してその軽さを返上したいと思ったのである。 朝8時半に集合場所の石巻駅前に行くと... 続きを読む

留守政影と利府城

 伊達政宗が最も信望を寄せた叔父、留守政影昨今NHKの独眼流政宗DVDを観て気になった人物が居た。それは隣国蘆名を攻めた初陣で血気に逸る政宗を「政宗、取り乱すな!」と一喝した人物である。果たして伊達家の当主を呼び捨てにした武将とは一体誰なのか?彼の名は留守政影(長塚京三)である。政影は政宗より18歳年上の叔父(政宗の祖父伊達晴宗の三男)で留守家に養子に出されながらも後に伊達家家臣になった人物である。 ... 続きを読む

伊達者の語源ともなった奇抜な出で立ち

 「独眼竜政宗」テーマソング  まずこの20世紀初頭にフランスで発明されたオンド・マルトノの奏でる不思議な音色とこれを巧みに取り入れたNHK制作「独眼竜政宗」のテーマソングを聴いて頂きたい。オンド・マルトノの単独の音色を聞くと憂いを含んだような独特の音色でイメージ的に時代劇に合うとは思えないが、作曲者の魔術にかかると一変する。光と影、栄光と挫折、波乱と夢の交錯、そして希望…、このメロディーは戦国時代、極... 続きを読む

豊臣秀吉の十万石大名抜擢を一蹴した男の中の男とは?

 独 眼 流 政 宗 きょうは先ずは伊達者と言われる仙台藩の兜をご覧頂きたい。(以下、NHK独眼流政宗オープニング映像より)仙台藩の兜はとにかくデザインが奇抜なのである。  これはヘラジカ、或いはノコギリクワガタの角のように見えるが…     これはまるで何かのアンテナ!?のようである。これは釣鐘の形をしているのだが小槌のような装飾はなにかイカをひっくり返したような形をしている。但し足は三本しかないが... 続きを読む

奥州決戦「摺上原の戦い」

  宿敵蘆名を滅ぼし奥州王となった伊達政宗 まずこの宮城県民謡「さんさ時雨」をお聞き頂きたい。この歌は以前にも本ブログで紹介したことがあるが、宮城県人(一部岩手県南部の旧伊達領)であればほとんどが知るところの歌であり、婚礼や上棟式などめでたい席ではなくてならない歌でもある。宮城県民謡「さんさ時雨」 さんさ時雨か萱野の雨か音もせで来て濡れかかるショウガイナさんさふれ~五尺の袖を今宵ふらぬで何... 続きを読む

奥州の覇権を賭けた伊達VS蘆名の戦い「人取橋の戦い編」

弱冠19歳で奥州の名門蘆名氏と激突する伊達政宗 今回の伊達政宗の戦シリーズは家督を継いだ政宗が破竹の勢いで現福島県中通りにあたる仙道筋を次々に制覇していった様子をお伝えする。今回は87年にNHKで放映された「独眼竜政宗」の映像を基に、政宗に関するの出来事をタイムテーブルでご説明する。今回紹介するのは摺上原の戦いの前座とも言える「人取橋の戦い」である。その前に奥州において雌雄を決した伊達氏と蘆名氏の... 続きを読む

私が心底惚れこんだ戦国武将

    智将としての伊達政宗 伊達政宗が徳川家康から百万石のお墨付きを反故(ほご:約束をキャンセルされること)にされたのは有名だが、なぜ政宗は恩賞であった領地を与えられなかったのか?「百万石のお墨付き」がどんな経緯で反故にされたのか、きょうはこれについて述べたい。 また約束を果たされなかった彼がその後どうやって領国を立て直して今日の宮城県の基盤を築いたのかをNHKTVその時歴史が動いた「伊達政宗100... 続きを読む

エッセイ「或る武将への成り切りによってもたらされた私の新天地」

    妄想とは思えなかったこの時の成り切り  これから話すことは私が或る年の冬に経験した不思議な出来事である。この稀有なる体験は自分にとってもう二度とないことだと思うが、私自身がけして忘れないために、またこの病気に悩む人のために、そして多くの人にこの事実を知ってもらうためにペンを執った次第である。  世の中には妄想、成り切りという言葉がある。もしここに別人に成りきった人物が存在するならば多く... 続きを読む

宮城県最南端の冒険その4

 砂鉄が取れる場所から七里以内、薪の取れる場所まで三里以内とは? 巨岩のあったところから目的地の筆甫(ひっぽ)までは10キロ少し、だがこの10キロの距離こそが筆甫を秘境の地と言わしめているような気がする。というのはこの区間の道路沿いに民家がほとんどないからである。これは巨岩から500メートルほど南に行った辺りの砂防ダムである。あの河原のごろごろした巨石からしても、この辺りの急流の川は大雨が降ると土... 続きを読む

伊達小次郎殺害はお家安泰のための偽装?

新説「伊達家分裂を恐れた政宗と母義姫の芝居」   皆さんは伊達政宗についてどんな印象を持っておられるだろう。人質に取られた父を敵とともに撃ち殺したこと、母に毒を盛られ、暗殺を謀られ、その母の代わりに弟小次郎を斬ったこと…。こういった家を守るためならたとえ父や弟の命と引き換えてもこれを厭わない姿勢は度胸が据わっている範疇を既に超えており、そのすさまじい生きざまには非情なる武将さえ感じるかたも居ら... 続きを読む

伊達政宗と仙台浪漫

手紙で多くの人の心を引き寄せ、戦国の世をしたたかに生きる ここに”仙台浪漫”なる言葉がある。皆さんはこの言葉に何を感ずるだろう。現在の仙台は多くの偉大な先人たちが残した歴史と伝統が深く息づき、昨今は東北の中心都市としての一面以外に歴史と文化薫る学芸都市としての面影さえ醸し出している。従ってその面影に浪漫を感ずるのはごく自然な成り行きとも言えるのことなのではないだろうか?  今の宮城県(仙台圏)の... 続きを読む

伊達政宗が厄除けに植えた萱の木

  名君が残した名木にあやかる ここは仙台市青葉区東昌寺の脇道にあるマルミガヤという我が国のみに生育する固有種である。萱は比較的温暖な場所に生育するところから、北限が福島とも宮城とも言われるだけにこのような大木が宮城県の寺にあること自体非常に珍しい。航空写真でこのマルミガヤの位置を確認して頂きたい。赤○の中が萱の木がある場所である。樹齢500年で伊達政宗公が鬼門除けに植えたとされるこの木だが… 伊達... 続きを読む

伊達家の守護神、片倉小十郎と白石城

宮城県南端の都市白石市を訪ねる小旅きょうの仙台は曇りのち晴れ、最高気温26度と過ごしやすい気候だった。そんな本日、私は9時前にJR東北本線の電車に乗り、宮城県最南端の市である白石市に向かっていた。 これは仙台駅西口の新寺通りのビル群である。これは長町駅を過ぎたあたりである。この界隈は現在ビルラッシュであり、長町周辺の副都心の更なる拡大を予感させるものである。私は列車で旅行する際にこのような片田... 続きを読む

伊達政宗の南奥州制覇とさんさ時雨伝説

 宮城県民謡「さんさ時雨」 さんさ時雨さんさ時雨か萱野の雨か音もせで来て濡れかかる ショウガイナさんさふれ~五尺の袖を今宵ふらぬで何時のよに 武蔵あぶみに紫手綱かけて乗りたや春駒に門に門松 祝に小松かかる白雲 みな黄金この家お庭の三蓋小松鶴が黄金の巣をかけた この家座敷は芽出度い座敷鶴と亀とが舞い遊ぶ芽出度嬉しや思うこと叶うた末は鶴亀 五葉の松扇芽出度や末広がりで重ね~の お喜び 雉... 続きを読む

泣いて弟小次郎を切る

家を取るか?弟を取るか?伊達政宗、苦渋の決断 伊達政宗の母保春院による毒殺未遂事件は有名ですが、母の陰謀のためにわずか13才(異説あり)で犠牲となって政宗に手打ちにされた悲運の貴公子、伊達小次郎の墓のある宮城県津山町横山の右年山を訪ねてみました。国道45号線沿いの道案内ですが、気をつけないと通り過ぎてしまいます。墓の説明書きには小次郎とともにお守役の小原縫殿之助定綱の墓もあるようです。とにかく行っ... 続きを読む

伊達者の語源?

 この奇抜ないでたちの部隊はいったいなんでしょう?‥‥正解は豊臣秀吉の朝鮮出兵の出陣式の時の伊達藩(仙台藩)の軍勢です。文禄元年(1592年)、前田軍、徳川軍、に続いて三番目に伊達軍はで3千の軍隊で現れました。伊達軍が現れると秀吉をはじめ、見物に来ていた京の人々が大歓声をあげた。「伊達だ。さすが伊達者だ」‥‥ 金色のとんがり帽子をかぶり、腰に赤い鞘を付けた足軽隊、騎馬隊は伊達藩のシンボル、半月型の模様... 続きを読む

政宗の猪狩り伝説

伊達政宗が矢を射ると金色の鳥が滝壺から飛び立った きょうは私の朝のジョギングコースで、唯一のお参りをする神社「中山鳥瀧不動尊」を紹介します。場所は仙台では有名な中山観音から1キロちょっとの閑静な住宅地の中にあります。その昔、仙台藩主伊達政宗が猪狩りに行った時に矢を射たときに、神社のそばの滝壺から金色の鳥が現われて、金の紙幣に変わった(大猟を授かった)ため、政宗は鳥瀧不動尊と称するように命令しました... 続きを読む