東北人から見た世良修蔵観 単なる憎悪かそれとも… 長州藩士.世良修蔵. ドキュメンタリー幕末維新 伊丹十三 前書き 戊辰戦争に関わったルーツを持つ東北人の年配者の多くは長州藩士・世良修蔵を憎み、恨んでいる。歴史と馴染みのないかたには関係のないことなのかも知れない。だが世良修蔵のことを知れば知るほど許し難いものを感じるのである。去る10月12日、私は福島市内で偶然にも長州藩士・世良修蔵の墓標(稲荷神社敷地の北東部の角地)を発見し、大変驚くとともに何... 続きを読む [タグ] 世良修蔵 伊達慶邦 戊辰戦争 伊丹十三 長州派閥
吉田松陰仙台訪問170周年:仙台藩士粟野杢衛門菩提寺を訪ねる 本日は久しぶりに「幕末の仙台藩の研究」のカテゴリーの更新である。実は吉田松陰(1830~1859)は今から170年前の今日、盟友の宮部鼎蔵(熊本藩士1820~1864)とともに、仙台(止宿先は芭蕉の辻付近と言われる)に滞在していた。本日は二人の前後の行動を追いながら、石巻訪問時に二人の案内を行った仙台藩士・粟野杢右衛門(1815~1862)の墓所のある仙台市の江巌寺(曹洞宗)を紹介したい。松陰らの... 続きを読む [タグ] 吉田松陰 宮部鼎蔵 粟野杢右衛門 江巌寺 養賢堂 大槻格次
東北は賊軍に非ず!木村紀夫氏 昨日、私は或る講演に参加した。今年で戊辰戦争から150年が経つ。各地で記念行事が行われるが、負けて賊軍呼ばわりされた我が仙台藩は、こうした意識が薄く自分としては物足りないものを感じていた。そんな折にこの講演を機に或る先人郷土史家と会う機会を得た。木村紀夫氏(1940年生まれ)である。木村氏は仙台に生まれ、仙台大空襲で矢本町(現東松島市)に疎開し、石巻の学校を卒業後、或る生命保険会社に勤務され、65... 続きを読む [タグ] 木村紀夫 東北は賊軍に非ず 白河以北一山百文 東北は植民地
榎本武揚と星恂太郎の生き様 明治維新に於いて注目度の高い人物と言えばなんと言っても吉田松蔭や坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛あたりが挙げられる。幕府側の人物では勝海舟、土方歳三と言ったところが人気どころゆえ、同じ幕府側の榎本武揚はどうしても隠れがちになる。ところがどっこい、私は旧幕臣ながら多くの軋轢と戦い、政治家となって明治の世を強かに生きた榎本武揚が殊の他好きである。彼が宮城県松島湾東名浜寒風沢に艦隊を率いて立ち寄ってから、そ... 続きを読む [タグ] 開陽丸 榎本武揚 星恂太郎 額兵隊
石巻を救ったからす組隊長細谷十太夫 ここ数年郷土史に親しんできたが、その多くは仙台藩創世記と言える伊達政宗公絡みのものが多かった。しかしながら今年の秋、みちのく春秋の編集者である井上氏から幕末の歴史講座「奥羽越列藩同盟 東北政権樹立の理想と挫折、そして今」(歴史作家、星亮一氏講演)出席へのお誘いを頂き、これが中世に捉われない郷土史全般への新たな指向へと繋がった。同氏には改めて厚く御礼申し上げる所存である。さて、我が国には「勝てば官軍... 続きを読む
奥羽越同盟と官軍の三千が激突した旗巻峠を訪ねて 幕末の旗巻峠で行われた戦い昨日の土曜日は好天に恵まれた。気温も20度近くまで上がり絶好の歴史探索日和である。私は車に乗って国道6号線を南下した後、福島側から再度宮城側に入った。戦国のころ、伊達と相馬は宿敵であった。このあたりは戦国の世に相馬側の騎馬や歩兵が数多く通った道で重要な拠点だったことだろう。そして伊達と相馬が初めて戦った16世紀から約三百年後の新たな戦がこの地で展開されようとしていた。... 続きを読む