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随筆「佐川官兵衛、南阿蘇に散る」

随筆「佐川官兵衛、南阿蘇に散る」 幕末から明治の初めにかけて、激動の会津に佐川官兵衛(1831~1877)という武士が居た。彼は正に義に生き、義に死した武士の中の武士であった。彼の名を知るきっかけになったのはブロ友様であるマルコメさんのお陰である。マルコメさんには改めて、この場を借りて厚く御礼を述べたい。官兵衛は当初300石取りの中級武士であったが、戊辰戦争の時、主君の松平容保から手柄を認められ... 続きを読む

謙譲語の修得には時間を要する

福岡でインターネット上のトラブルが殺人事件となった。内容について敢えて深入りは控えたいが、本日はこの事件から得た教訓を話したい。それは今日の道徳から衰退しつつある謙譲語の存在である。私は仕事柄各種のセミナーに参加しているが、年輩の講師諸氏の中には謙譲を使わない使わないかたが結構居られる。否謙譲語どころか尊敬語さえ使わない。中には「俺はお前らに教えてやっているんだぞ」とも受け取れる講師も居る。そして... 続きを読む

捏造された美談「幕末の仇討ち」は何を物語るのか?

赤穂浪士、新撰組、真田雪村…侍は本懐を遂げたときに一層輝きを増す。それは己の命と引き換えに大義を遂行するからである。我が国の国民に根ざした倫理観の中に「自他の名誉を重んずるのを仁義と捉える思考」を見出す時、この思想はけして失せることなく、仇討ちという制度がなくなった現代でも、燦然と人々の心の中に輝き続けるものと私は考えている。本日はそんな気持ちを拠り起こしながら、161年前に起きた一つの「仇討ち」... 続きを読む

相馬野馬追・海老原副大将出陣式

相馬流山 三橋美智也リンク曲「相馬流山」解説byミック「流山」は相馬中村藩祖の故郷「流山」(今の千葉県流山市)の地名にあやかったものである。1323年、相馬重胤が従者三十余人を率い、住み慣れた下総を後に、奥州相馬地方に下向した際、口ずさんだものとも言われる。一方で土地の酒造りの時にも歌われたり、鎌倉武士の間に親しまれたとも言われる。元々は侍の間に歌われたもので、相馬野馬追には出陣式時に歌われ、曲も歌... 続きを読む

誼を通じた或る人物との別れ

Albinoni Adagioリンク曲解説昨今、スレッド(直訳:撚り糸、転じてウェブ上で言う一つ一つの記事)を立てる際、YOU TUBEの音楽から入ることが多くなった。今回リンクしたトマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニ(1671~1751)作曲のアダージョはバロック音楽であり、荘厳な旋律の中に、人としてけして失ってならない信念を彷彿させる曲である。私は七年ほど前に人生の分水嶺を越えたが、それからは新たに芽生えた「第三の性... 続きを読む

エッセイ「或る決断」

武士道とは何か?  ミックエッセイ『或る決断』「武士は喰わねど高楊枝」なる言葉がある。この言葉を言い換えれば「武士にとって優先すべきことは、目先の実利でなく大義であるということになる。従ってどんなことがあっても武士は己に恥じ入ることがあってはならないし、死ぬまで名誉を貫かねばならない。本日の私には或る決断が迫られていた。時として人間は妥協も必要だがそれ以上に大切なものは己の大義がどれほどのものか?... 続きを読む

南相馬市鹿島区甲冑館

2015年相馬野馬追御行列雲雀ヶ原本陣到着リンク動画説明byミック去る7月26日に行われた相馬野馬追御行列が原ノ町の雲雀ヶ原(甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる場所)に到着するシーンである。(所々に聞かれる侍言葉「それがし…」、馬の嘶き、蹄の音などに注目)総大将(相馬行胤公)登場は12分12秒~12分26秒頃になるので、時間のないかたは飛ばしてご覧頂きたい。本日は一昨日に訪れた南相馬鹿島区の甲冑館についてお... 続きを読む

相馬武者の熱き志、旗指物編

Queen We Are the Champions相馬武者の熱き志、旗指物編本日のリンク曲は前回に続いてQueenの曲(HDゆえ何れリンクは無効となるのを百も承知の上履行)とした。それには或る理由がある。それは江戸時代中期の旅行人(地理学者)である古河古松軒(1726~1807)をして、六万石の相馬が隣国の伊達(六十二万石)よりも武風(武士道)感ずるとしている所以である。以前の記事にも書いたが相馬は絶体絶命と言われた存続の危機... 続きを読む

祝!相馬野馬追出陣式

 相馬野馬追開幕 本日から相馬野馬追が開幕した。本日はこの野馬追の主力となるかたの紹介とともに宇多郷(相馬中村地区)出陣式の模様をお伝えしたい。このかたが今年の総大将を務める相馬行胤(みちたね)公(第33代相馬家当主相馬和胤公嫡男)である。当主ご嫡男の参加は4年ぶりとのことである。※記事は昨日の福島民報より拝借このかたは15年連続で副大将を務める北郷(鹿島地区)の海老原永明氏である。海老原副大将は... 続きを読む

エッセイ「名誉遂行を伴っての渡世」

Elgar  Pomp and Circumstanceエッセイ「名誉遂行を伴っての渡世」私が心の病を患ってそろそろ10年が経つ。それまでは自分だけは縁がないと思っていただけに、その厄難が降りかかった際の衝撃は極めて大きかった。棲家に帰れず道に迷った一匹の亀がここにいたとしよう。よしんばこの亀が運悪く天敵の猫に見つかってしまえば、猫のいいようになぶられることだろう。但し、なぶられるのと食われるのでは意味が違う。猫の... 続きを読む

相馬野馬追まであと一ヶ月

平成26年相馬野馬追第一日ハイライト相馬野馬追まであと一ヶ月私は毎朝、相馬からの常磐線で職場まで通っているが、昨今楽しみにしていることがある。それは列車に飾られた相馬野馬追の絵を鑑賞することである。地元の小学生が描いた絵と察しているが、中にはとても小学生の絵とは思えない絵もある。これは構図から言って武者行列の一こまと見受けられるが、騎馬武者の特有の特徴を捉えた絵である。騎馬武者はそのいでたちを見る... 続きを読む

相馬野馬追で禁止されていること

相馬野馬追でご法度とされることそろそろ野馬追も近い。今年の相馬野馬追は7月25日から27日まで開催される。一見夏祭りと思える野馬追だが見物に於いて守らねばならないことがある。それはこの動画を見ての通りである。「なん人たりとも横切ること、まかりならん」この祭りに参加している騎馬武者は名実とも戦国時代の侍に成り切る。それゆえ、行列の前を横切る行為は昔からご法度とされている。それと建物の二階に上がったり... 続きを読む

葛西家家臣末裔とのオフ会

 人脈は宝なり私は今までブログを通じて様々な人物と出逢い切磋琢磨してきた。これは今後もずっと続くことだろうし、私が心より望んでいることである。見聞を深めるのはなにも文献やインターネットだけではない。やはり生身の人間として顔を合わせて有意義な意見交換を交わす(オフ会)のは切磋琢磨への王道と言えるものである。本日彼と約束した時間は14時半、私はいまだかつて約束時間に遅れたことはない。何故ならば遅れるこ... 続きを読む

武士としての名誉を貫く!(二つの動画あり)

動画その1、1964NHK大河ドラマ「赤穂浪士」去る10月19日(日)、私は図書館であるビデオの鑑賞に及んだ。1964年に放映されたNHK大河ドラマ「赤穂浪士」である。このドラマが放映されたとき、私は幼かったが実家の祖母が観ていたのを極めて印象深く記憶している。この祖母からは言い表せないほどの恩愛を受けたゆえ、今での私の心の中にしっかりと生き続け、人にとっての仁愛の大切さとは何か?を訴えるものである。何かの... 続きを読む

次の歴史研究テーマ

忠臣蔵ー赤穂浪士私は以前から或ることで武士のような強い気持ちを持ち、これを自分の生き方とすることを数年前から取り入れてきた。この中にはむろん特定の武士への成りきりも含まれる。これを奇異に感ずるかたも少なくないことだろう。ここで武士道について申し上げる。武士たる者はただ単に強い気持ちがあればいいというものではない。その根底には儒教の教えに基づく礼節、忠節、仁義がなければならない。これらが合わさってこ... 続きを読む

私が侍言葉を使う理由

 独眼竜政宗オープニングソング 私が何故侍言葉使うのだろう?と疑問に思っているかたも居られることだろう。本日はそれについてお答えしたい。あれは一ヶ月半前の7月26日、相馬野馬追出陣式に際した時だった。間もなく赤を基調とした甲冑姿の相馬武士が本陣である相馬中村神社(旧中村城)を出陣しようとする時、上役と見られる武士と従者の下級武士と見られる侍の間にこのような会話が交わされた。「○○○左衛門は本陣を出て... 続きを読む

上州長脇差の心で現代を生きる

前書き笹沢左保の「木枯し紋次郎」の一節によると、江戸時代でヤクザ者の本場といえば何と言っても上州であったという。当時一流の渡世人に必須とされていた事項は四つである。①腕と②度胸と③反骨精神そして④礼儀作法である。上州(今の群馬県)はこれらにとりわけ厳しく、上州で長年修行を積んだ渡世人は「上州長脇差」と呼ばれ、他の渡世人のみならず堅気の人間からも畏敬の念を抱かれていたという。きょ... 続きを読む

侍、無用ノ介の魅力

  無用ノ介の不思議な魅力無用の悪を斬る。某は最近になって民間放送の専用チャンネルで時代劇を観る機会が増えてきた。以前はさほど興味のなかった時代劇を何故好きになったのかをお話したい。  エッセイ「侍の心」この世に正と負の世界があるとしよう。ほとんどの人々は正の世界に住んで居るのだが、数パーセントの者は全く希望のない負の世界(鬱)に日夜喘いでいるのだ。彼らは生きる屍の如く、負の無限回廊を彷徨い歩いて... 続きを読む

烈士、伊東七十郎の壮絶な生き方

武士の中の武士、伊東七十郎の壮絶な生き方昔から、男子たる者の目指すべきところに文武両道という言葉がある。文武両道は主君に命を捧げる武士道にはなくてはならないものであり、日々精進し目指すところである。侍は単に勇敢で武術に優れるだけでは片手落ちである。その精神には儒教の教えである仁義が備わっていなければならない。今日紹介する人物は伊達騒動にも登場する人物で、浪人ながらも熱き志を持った一人の侍である。そ... 続きを読む

地の果てまでも

 歴史の暗闇の中に消えた男を通し武士道を描く遠藤周作(1923~1996)彼の残した歴史小説の中に「侍」という作品がある。侍はこの長編小説の中では長谷倉六衛門の名で登場するが、支倉六衛門常長として実在した人物である。 支倉六衛門常長(1571~1622〔没年推定〕)、仙台藩家臣、1613年藩主伊達政宗の命を受け180名の使節団とともにメキシコを経てヨーロッパに渡る。 江戸幕府のキリシタン弾... 続きを読む