歴史エッセイ「佐沼城玉砕」 歴史エッセイ「佐沼城玉砕」佐沼城を訪ねたのは五月の連休中のことである。司馬遼太郎は自著の『馬上少年過ぐ』の中で、政宗の事を梟雄(残忍で強かなこと)と呼んでいるが、自らの策略がしくじりに終わった時の口封じに対して行われた仕打ちがそう言わせしめたと私は解釈している。天正18年(1590年)、伊達政宗が豊臣秀吉から北条征伐の命を受けた時、二十四歳の彼の心情を推し量れば、恐らく激情が走ったに違いない。「成... 続きを読む