紫桃正隆歴史作品『五月闇』に描かれた或る武将の悲哀 いよいよ五月も今日で最後である。五月晴れ、薫風と清々しい語感を漂わせる五月だが、必ずしもそうでないイメージがある。五月闇とは五月にも関わらず、気温が上がらず日照に乏しく小雨や霧に見舞われた暗くて肌寒い日を指すということだが、自分はここに東北のやませ(東北の太平洋沿岸部の農作物に冷害をもたらす冷たい風)を重ねるのである。それはさておき、著者の紫桃正隆氏(1921~2008)の略歴を紹介したい。彼は石... 続きを読む [タグ] 紫桃正隆 五月闇 和賀忠親 国分尼寺
史跡「石巻城跡」を訪ねて 端書き本日、書庫に「紫桃正隆の研究」を追加した。既に二つの記事を移したが、これから自分が葛西氏、大崎氏のことを研究するに当たり、郷土の先賢史家である彼の著作の数々は避けて通れないと思ったからである。奥州葛西氏については既に末永能登守氏(LIVEDDOORブログ)が多くのことを書いておられる。彼とは過去に二回ほどお会いしたが、執筆を続ける上でこれからも様々な接点が出てくるものと考えている。 ここで私が葛... 続きを読む [タグ] 石巻城跡 紫桃正隆 川村孫兵衛重吉
私が敬愛して止まない紫桃正隆氏 本日は私が敬愛して止まない宮城県の郷土史家・紫桃正隆氏のことを紹介し、彼の遺した功績を改めて、振り返ってみたい。なぜ私が彼の著物に惹かれたかを明かせば、自分の祖が伊達氏と葛西氏(岩手県南部~宮城県北部を支配した戦国大名ながら秀吉の奥州仕置きで滅亡)に深く関わったと思われるからである。紫桃氏の遺作は40にも及ぶが、特に葛西氏を研究した実績が高く評価されている。しかも彼は教師と郷土史家(作家)という二... 続きを読む
紫桃正隆著「五月闇」読後感想 紫桃正隆著「五月闇」読後感想はしがき昨年12月29日、私は仙台市宮城野区の国分尼寺を訪ねて、伊達政宗の野望の犠牲となった一人の武将の非業の死(家臣とともに自刃)を知った。そして彼とともに殉じた七人の家臣の存在も知った。武将の名は和賀忠親、和賀家は全盛時は六万八千石余の大身の大名であった。 ※仙台市宮城野区国分尼寺山門名門和賀家が南部藩と伊達藩という隣国の大藩の谷間に置かれ、両者の軋轢に巻き込まれ... 続きを読む