伊達の忠臣を貫いた一人の武将を追う小旅 命と引き換えに仙台藩を存続させた武将薫風香る五月も今日で終わりである。好天に恵まれた本日私はJR仙台駅7時46分発の小牛田行きの列車に乗り込んだ。目的地は宮城県北部の涌谷町(わくやちょう)である。この町にどうしても行きたいと思った動機はこの小説「樅の木は残った」(山本周五郎作)である。土曜日とあって車内はご覧の通りがら空きである。境遇、心境、天候…すべてがそろわないとこのような探索には及ばない。私... 続きを読む
論文「私のブログコメントポリシー」 論文「私のブログコメントポリシー」以前から「人様の更新した記事にコメントするのは難しい」という声をよく聞く。私もまったく同感である。それゆえ単にその都度思いついたことをだらだらと述べるのではなく自分なりのガイドラインを持って取り組むことが肝心と心得ている。今日は私がどんなガイドラインを持って人様のブログに書き込みを行っているのかを箇条書きで披露したい。但しこれはあくまでも私の考えであり、人様に... 続きを読む
烈士、伊東七十郎の壮絶な生き方 武士の中の武士、伊東七十郎の壮絶な生き方昔から、男子たる者の目指すべきところに文武両道という言葉がある。文武両道は主君に命を捧げる武士道にはなくてはならないものであり、日々精進し目指すところである。侍は単に勇敢で武術に優れるだけでは片手落ちである。その精神には儒教の教えである仁義が備わっていなければならない。今日紹介する人物は伊達騒動にも登場する人物で、浪人ながらも熱き志を持った一人の侍である。そ... 続きを読む
椿、水木の挽きもの細工店 椿、水木の挽きものの展示会昨日5月24日(土)、私はある展示会に足を運んだ。展示会が行われたのは仙台市北部の住宅地の一画に居を構える風変わりな私設美術館(中本誠司現代美術館)である。この美術館を見るとはるかな時空を越え、まるで自分が南フランスやイタリア南部にいるような不思議な雰囲気さえ感じる。前田良二さんの普段の仕事場は仙台市青葉区の「秋保工芸の里」である。中本誠司現代美術館の位置を地図で確認... 続きを読む
論文「ブログの根底に見える普遍性」 ※この論文はあくまでも私の主観から見たブログ観であり、人様に同意を求めるものでないことを事前にお断りする。また余計なことと思われたら途中でお読みになるのを止めるなり、聞き流して頂きたい。ミック論文「ブログの根底に見える普遍性」はしがきブログを始めて5年半になる。きょうはその5年半で私がブログから得たことを冷静な目で分析したい。また表現方法が論文式ゆえ、箇条書きになるのをお許し頂きたい。1、ブログの... 続きを読む
エッセイ「私が尊敬するファイター」 エッセイ「私が尊敬するファイター」子供のころからテレビでプロボクシングの試合を良く観た。日本人は体格的に恵まれないので軽量級(希に中量級)の試合が圧倒的に多かった。古くはファイティング原田、柴田国明、、ロイヤル小林らの試合を良く観た。しかしウエイトは重くても50キロ台のクラスがほとんどだった。そんな中で初めてヘビー級の試合をテレビで観たのはモハメド・アリVSジョージ・フォアマンだったと記憶してい... 続きを読む [タグ] オスカー・ショットガン・アルバラード
藤原忠衡の姫に加護のあった「露無の里」を訪ねて 落ち延びた姫に加護?のあった露無の里写真をご覧頂きたい。この神社は仙台市青葉区宮町にある福澤神社である。※福沢神社(以下宮城県神社庁HPより引用)桓武天皇延暦7年(788年)此の地に創祀し児玉明神と称す。天暦3年(949年)京都総本宮の稲荷社祠官より正一位稲荷大明神安鎮の証を得て、社号を福沢稲荷明神と改める。安貞年間(1227~1228)平泉の和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男)乳母石塚小萩は、主家の女... 続きを読む
私の執筆した歴史小説が小冊子に載ります NHK大河ドラマ「独眼流政宗」オープニング 記事の内容に相応しいBGMをチョイスしてみた。それは87年放送の大河ドラマ「独眼流政宗」である。折りしも最近、毎週土曜日BS放送で再放送されているが、このドラマは歴代大河ドラマでも五本の指に入る視聴率をマークし、大ヒット作となった。伊達政宗は稀代の風雲児とも言われ、数ある戦国大名の中でもこのような一か八かの綱渡りをしつつ、これを見事に潜り抜けて生き残った... 続きを読む
新書庫「宮城古寺巡礼」開設 仙台屈指の古刹「龍宝寺」を訪ねて「古寺巡礼シリーズ掲載にあたって」プロローグ私は無神論者であるが五十を越えたころからよく寺社仏閣巡りをしている。世の中のおおよそのものが姿を変えてゆく中にあって、寺社仏閣は数少ない歴史の生き証人であり、現代人に昔人の存在を強く意識させてくれるものである。こうして寺社仏閣巡りを進んで行うようになってからは心の平穏が得られ、例え気持ちがぶれることがあってもそのぶれ幅... 続きを読む
私のブログの掲載写真がNHKで放送されます NHKTVへの情報提供先月の4月18日、某はNHKエンタープライズの或る社員からこのようなメールを受けた。なんと一年前、私のブログに掲載した写真をテレビに出したいという申し入れである。郷里石巻の復興に関する番組に使いたいという主旨だったので、もちろん某は二つ返事でこれを快諾した。これがこの社員から要求があった写真である。確かこの写真は石巻日々新聞社で撮影したデータと記憶している。江戸時代中期(... 続きを読む
百均デジカメ用三脚に不満!自作に及ぶ これは使える!コンデジ用自作架台※日時指定投稿つい最近、デジタルカメラをセルフタイマー機能で使用中、誤って約1メートルの高さから落とすという失態を演じ、購入一年を待たずに買い換えるハメとなってしまった;きょうはこれに懲りた某が今回取り組んだ自作架台についてお伝えする。下の写真は百均ショップで売られているコンデジ用の三脚である。商品の悪口はあまり言いたくないが、この三脚は風に弱くちょっとした風を受... 続きを読む
御嶽山神社の祭りと神輿 御嶽山神社の祭り昨日、仙台市青葉区にある御嶽山神社の祭り(神輿)を見に行ったので皆さんにお届けしたい。これはJR北山駅前に行列が差し掛かったことろである。太鼓囃子が目の前を通過する。太鼓の音が心地よく心に響く。そして神輿が通過する。年輩のかたもいるようだが、どちらかというと若い方が多いようである。刀を差した天狗は武者の風情を漂わせていた。神輿はここで止まって中休み(昼食)をして再出発するとの... 続きを読む
週末を迎えいつものCafeでの深呼吸 JAZZ HOT HOUSE サラリーマンはいろいろとストレスがたまる。よって週末にはこれを上手に解消する必要がある。最近の某はもっぱら出入りのCafeに出かけていい音楽を聴きながら読書や執筆に勤しむのが習慣となってきた感がある。このホットハウスという広告をごらん頂きたい。本日選曲したJAZZの曲名と偶然同じである。地下鉄を降り北四番町を行く某、暑くも寒くもなく、最高の季節を迎えた。駅を出ると周囲にはオ... 続きを読む
江戸時代~昭和に栄華を誇った丸森の豪商斎理屋敷 七代に渡って宮城県南部に栄華を誇った商家を訪ねる※本日仕事につき、日時指定投稿きょうは丸森シリーズの最終回としてある豪商の旧家を紹介する。去る5月4日のことである。バイク仲間とともに斎理屋敷を訪れたのは11時半前と記憶している。以下丸森町HPより引用。齋理屋敷は、江戸時代から昭和にかけて七代続いた豪商、齋藤家の屋敷です。代々の当主が齋藤理助を名乗ったことから齋理と呼ばれるようになりました。呉服・太物... 続きを読む [タグ] 斎理屋敷
伊達-相馬の攻防拠点小斎に築かれた古城跡を訪ねる 相馬から伊達に寝返り、小斎を任された一人の武将一昨日、バイク仲間と丸森町(宮城県南部)を訪れた私は小斎という部落を訪ね、ある古城に足を運んだ。ご覧の通り、バイクを止めた地点は果樹園と野原が広がっている。昔この地に佐藤為信という武将が住んでいた。佐藤氏は源頼朝に仕えた武将の末裔と言われる。その後相馬氏に使え、伊達政宗に寝返ったとされる。屋敷は明治時代まで存在したらしいがその写真をインターネットで探す... 続きを読む [タグ] 佐藤為信 柴小屋館 小斎城
エッセイ「Blue Worldの人生を歩む」 It's a Blue World Mel Tome 連休も後一日となった。午後から天気は下り坂となり、雨も散らついてきた。そんな折に某が向かったのはいつものカフェである。自分が携わった工事である雨宮町の仙台合同庁舎の前を行く某だが、心はけして後ろを振り向かずという心境である。連休中のオフィス街ということもあり人通りはまばらであるが、雑踏を嫌う某はこれを吉と心得、好んで足を運ぶのである。出入りのCafe Mon St.Lowの前に... 続きを読む
連休後半バイクで秘境丸森を堪能する 五月晴れの好日宮城県の秘境をバイクで行くきょうは文句なしの好天に恵まれた。こんな日はバイクに乗り自分の身と心を非日常の世界に置きたい。そんな思いに駆られた某が本日訪れたのは秘境と言われる宮城県最南端の丸森町である。亘理町のある会社の倉庫前の某は二度目の訪問とは言え、ある種の興奮(体内から湧き出ようとするアドレナリン)を抑えてのライディングを強いられるものと相成った。こういう日のライダーは戒めの意味... 続きを読む
仙台藩片倉景長屋敷、原田甲斐屋敷の探訪 寛文事件の生き証人逆さ門と原田甲斐屋敷前々回の記事で寛文事件に関係した仙台藩士の屋敷跡を紹介したが片倉小十郎屋敷と原田甲斐屋敷がはっきりしなかったため、本日探索してみた。先ずは片倉小十郎(景長)屋敷である。以下、Wikipediaより引用片倉 小十郎景長(かたくらかげなが)(1630~1681)仙台藩伊達氏の国家老及び白石城城主。松前安広の子で母は片倉重長の娘喜佐。外祖父重長に男子が無かったため養子となっ... 続きを読む
仙台が生んだ才女相馬国光の生家跡地を訪ねて 仙台が生んだ才女、相馬国光(こっこう)の素顔最近図書館からこのような本を借りてきた。相馬愛蔵・国光著作集「広瀬川の絆」である。相馬黒光(1876~1955)女性実業家 、1876年旧仙台藩士星喜四郎、巳之治の三女として仙台に生まれる。少女期より教会へ通い、キリスト教信仰を持ち、12歳で洗礼を受けた。母みのじは漢学者星雄記の三女である。1891年、宮城女学校(現・宮城学院中学校・高等学校)に入学したが... 続きを読む