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山形の庄司屋の板そば

  木枯し紋次郎食事シーン木枯し紋次郎は敵から狙われる渡世人の身の上ゆえ、食事に時間をかけられないのだが、恥ずかしながらそれがしが蕎麦を食べるシーンもこの動画の紋次郎のような食べ方に酷似している。昨日、古寺探訪で隣県の山形を訪れたそれがしは昼頃このような昔風の建物に引き付けられていた。これは昨今の歴史趣向がもたらしたものと実感している。この窓格子を見て頂きたい。まるで街中の商家か旅籠のような雰囲気... 続きを読む

初夏の山形市専称寺を訪ねる小旅

 山形の古刹「専称寺」を訪ねて一度思い込むと矢が降ろうが何が振ろうがそのことを成し遂げるまで居てたまらない。まさに猪突猛進である。このような性格は今までの私の人生で多くの災いをもたらしたが、けして悪い面のみではない。思い込むということは別な視点で捉えるならば迷うことがないという恩恵ももたらすのである。ここで隣県である山形の古寺巡礼の真意について触れるならば、身の回りでちょっとした些事があって旅に出... 続きを読む

コロンビア国歌と私

 Hino Nacional de Colombia ラファエル・ヌーニェス大統領1887年作詞、オレステ・シンディチ1887年作曲1920年採用「コロンビア国歌(ああ、不滅の栄光よ!)」      エッセイ「コロンビア国歌と私」昨日、サッカーワールドカップの日本VSコロンビアの試合を見た。試合前の国歌吹奏で久しぶりにコロンビアの国歌を聴いた。きょうはユーチューブで紹介かたがた同国国歌への思いをお伝えしたい。本ブログでは今ま... 続きを読む

「樅ノ木は残った」クライマックスシーン

伊達六十二万石取り潰しを防いだものとは?去る6月21日午後、私は出入りの図書館に趣き、山本周五郎原作「樅ノ木は残った」NHK大河ドラマ版ビデオを三度目の鑑賞に及んだ。きょうはそのクライマックスシーン(結末の部分)をお伝えしたい。これは大老である酒井雅楽頭忠清(右)が老中の久世大和守広之から伊達六十二万石の分割に関する密約書の存在を指摘されたシーンである。外様大名である伊達藩を撮り潰すのは幕府の思惑が... 続きを読む

仙台平野東部の岡田地区を訪ねる小旅

 仙台市東部田園地帯の屋敷林を求める小旅昨日の夏至の日、私は仙台平野東部に位置する岡田地区を訪ねた。薄曇が幸いして気温は25度くらい、さほど湿度もなくわずかな風もあり、半袖から出した二の腕が気持ちよく感じられる日であった。航空写真は大まかに言って右が宮城野区、左が若林区である。赤が私の歩いたルート、□が目的地の加茂皇大神社である。私の求めているのはけして特別なものでない。トウモロコシ畑、屋敷林、ビ... 続きを読む

エッセイ「夏至の日」

   エッセイ「夏至の日」若年の頃は目先のことだけ考えて生きていた。俗に言えば煩悩にまみれて生きていた。従って季節の候にもさほど関心がなく「夏至」というものについて深くも考えもしなかったし、考えようとも思わなかった。しかしながら長い年月は時勢とともに人を変えゆくものである。現実主義的なものの考え方はさほど昔とさほど変わっていないが、昨今はこれに情の入る度合いが相当増してきたように思えるのである。き... 続きを読む

ブログ運営は対話型がお勧め

創世記は自己主張型でスタートし対話重視型に移行するブログほどそのかたの人柄が反映されるものはない。記事もコメントも返しコメントもその一字一句にそのかたの性格や趣向が顕著に現れるものである。私はブログを始めて5年半になるが、創世記から現在に到るまでそのスタンスを大幅に変えてきた。これを要約すると「人の振り見て我がふり直せ」ということになる。人間は自分の欠点に気づきにくいものである。良かれ悪しかれ人様... 続きを読む

瑞鳳寺本堂の仙台萩人形

 瑞鳳寺本堂に飾られた仙台萩歌舞伎人形きょうは先週の土曜日に訪れた仙台の古刹「瑞鳳寺」本堂内部について紹介する。藩主の法事などが行われる本堂はご覧の通り、非常に広い。本堂にはこのような立派な屏風や書が飾られていた。漆塗りに金箔が施された屏風は藩主の菩提寺に相応しいものであり、厳かな趣を醸し出すものである。ふと、脇の小部屋の掛け軸と人形が私の目に止まった。一体なんの人形なのか?寛文事件(伊達騒動)は... 続きを読む

伊達家藩主の菩提寺、瑞鳳寺を訪ねて

 大正になって再興された古刹、瑞鳳寺伊達政宗が亡くなる一ヶ月ほど前ホトトギスの初音を聞こうと従者の奥山大学(寛文事件にも登場する仙台藩重臣)を伴い、仙台城からほど近い経ヶ峰に墓を作るよう(瑞鳳殿)に指示したとされる。1636年3月のことであった。実は伊達政宗の菩提寺は二つ存在する。一つが経ヶ峰にある瑞鳳寺、もう一つは松島(日本三景の一つ)の瑞巌寺である。昨日は原田甲斐屋敷を訪ねた後で広瀬川に掛かる... 続きを読む

原田甲斐屋敷から見た経ヶ峰、仙台城跡

仙台藩士原田甲斐が350年前に見た風景とは?きょうの早朝に私はかつて仙台藩の重臣の屋敷があった片平町を訪ねた。位置としては仙台市の中心部よりやや西よりの部分で、近くには東北大学や東北学院大学もあり、文教地区である。また広瀬川を見下ろす河岸段丘には高層マンションが建ち並び藩政時代の面影はほとんど残されていない。少し前にも本ブログで紹介した原田甲斐仙台屋敷は道路の右側の木が生い茂っているところである。... 続きを読む

侍、無用ノ介の魅力

  無用ノ介の不思議な魅力無用の悪を斬る。某は最近になって民間放送の専用チャンネルで時代劇を観る機会が増えてきた。以前はさほど興味のなかった時代劇を何故好きになったのかをお話したい。  エッセイ「侍の心」この世に正と負の世界があるとしよう。ほとんどの人々は正の世界に住んで居るのだが、数パーセントの者は全く希望のない負の世界(鬱)に日夜喘いでいるのだ。彼らは生きる屍の如く、負の無限回廊を彷徨い歩いて... 続きを読む

私のブログコメントポリシーその2

ミック流ブログコメントポリシー(その2)前回私は自分が人様のブログにコメントする際のスタンスを箇条書きで発表した。要点はこのコピーのアンダーラインでお目遠し頂きたい。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※今回は第二弾として実際の例を挙げて具体的に説明していきたい。1、哲学的な考察を含んだエッセイなどに接した際は、例え異議があっても人様の主義や生き方を正面から否定し... 続きを読む

宮城県涌谷町に現存する藩政時代の楼閣建築

 181年前に再建された涌谷城太鼓堂きょうは宮城県涌谷町に現存する藩政時代からの楼閣建築を紹介する。涌谷城から100メートルほど離れた地点から眺めると大小二つの城?があるように見える。この涌谷城は藩政時代は涌谷要害と言われ、古くは大崎氏~木村氏の支配を経て伊達領となり安芸宗重公先祖の亘理氏の所領となった。寛文事件の中心人物の一人、伊達安芸宗重公の居城であった涌谷城址一帯は今は城山公園になり町民の憩... 続きを読む

エッセイ「或る梅雨の週末」

 マンハッタン・ジャズ・クインテッドエッセイ「或る梅雨の週末」本州以南は皆梅雨入りしたとは言え、六月に入っての最初の土曜日はあいにくの雨となった。雪ほどではないが雨の日の休日はいろいろと行動を制約される。外を歩くには傘を差さなければならないし、雨足が強くなると長時間ウォーキングするには厳しい。しかしものは考えようで必ずしも悪いことばかりではない。それは雨は行動の選択肢を少なくし迷うことを防いでくれ... 続きを読む

独眼竜政宗の再放送佳境へ

NHK大河ドラマ独眼竜政宗OPNHK大河ドラマの中でも視聴率に於いて5本の指に入る名作「独眼竜政宗」は現在BS放送で再放送中である。次回の第十回「男の器量」6月7日(土)放送予定である。前回で家督を襲名した政宗により、ストーリーは一気に佳境に入ってきた感がある。今回はそのあたりの見所について解説したい。弱冠18歳にして家督を襲名した政宗(米沢城にて)「きょうからそれがしがその者どもの頭領である。心して遣える... 続きを読む

宮城県涌谷町「見龍寺」

仙台藩の英雄伊達安芸宗重が眠る涌谷町見龍寺城山公園の涌谷城を訪ねた私と知人はこの日の最終目的地である見龍寺(けんりゅうじ)を訪ねた。こちらが本堂側の門である。軒の出は3メートルはあろうか?本堂は如何にも古刹といった風情がある。見龍寺宮城県遠田郡涌谷町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は海雲山。1591年に、亘理重宗が涌谷領主となったときに中興開山され、円同寺と称される。1671年に伊達安芸宗重... 続きを読む

エッセイ「俺は後の先を行くつもりなんだ」

Queen plus Paul Rodgersよく聞いておくがいい。一回くらいの失敗は失敗のうちに入らないんだ。ああ、確かに俺はあの時、打ちひしがれた。だがいつまでも一人の人間が同じような経過を何度もたどるとは限らないんだ。今の俺が別人になっていることはお前らには既に見えていることだろう。それをお前らが認めたくないのはわかるがそれが現実なんだ。だから俺は吠えるんだ。先入観を持った古い輩にな!世の中には後の先という言葉が... 続きを読む

「盡忠」とは非常に重い言葉である

民放「樅ノ木は残った」オープニング藩に殉じ、伊達家4代目綱村公から「盡忠」を賜る昨日に引き続き、今回も1671年に起きた寛文事件(伊達家お家騒動)の際、犠牲となりながら仙台藩を守った一人の重臣、伊達安芸宗重にスポットを当てたい。彼が居城を賜っていたのは涌谷、立地的には仙台平野の中央に位置し、仙台からざっと60キロあり、馬なら一日、徒歩なら二日かかる位置であった。江戸に向かおうとする伊達安芸、この時... 続きを読む