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烈士伊東七十郎墓所を訪ねて

 烈士伊東七十郎墓所を訪ねて去る8月23日(土)のことだった。仙台市南東部に位置する霞目で横綱谷風の墓を訪れた私はその帰り道に市営バスに乗り、若林区新寺地区を訪ねた。目的は寺巡りである。一つ目の寺を見終わった私は駅のほうに向かった。すると歩くこと数百メートルで由緒のありそうな古刹の前を通りかかった。寺の名は栽松院である。都心の中の寺町なのにミンミンゼミの鳴き声が賑やかである。緑陰が束の間の涼をいざ... 続きを読む

エッセイ「羅針盤を信じ大海原を行く」

 Where the rose is sown  ※BIG COUNTLYのこの曲は私の気に入った曲であるゆえ、読者諸兄に於かれては先週末の選曲との重複をお許し願いたい。  エッセイ「羅針盤を信じ大海原を行く」今でも時々不安に駆られることがある。大海に躍り出た自分の船の進む向きがこれで正しかったのか?と。若い頃の私は航路を水先案内人の誘導に任せていた。所謂他人任せというやつだ。それだけ自分に自信がなかったのだ。従って水先案内... 続きを読む

◆不手際相次ぐヤフーブログに朗報◆

不手際相次ぐヤフーブログほとんどのYahooブロッガーの皆様は既にお気づきと思うが、最近のYahooブログのメンテナンスに伴う不手際には閉口する。具体的な事例を申し上げると去る27日(水)のメンテナンスの際、私のブログでトラブルが多発した。きょうはその経緯について述べたい。8月27日(水)早朝に「横綱 谷風の墓を訪ねる小旅」の原案を練り、時間指定投稿(投稿設定は同日20時30分)した。メンテナンスの予定時間... 続きを読む

◆Yahooに引導を渡す!◆

ファンの皆様にお詫び&Yahooへの苦情    AM5:10分ころ改善を確認(コメント復活)    夜になってまた消えた(一体どうなっているの?)Yahooへもの申す。昨夜更新した記事に頂いた人様のコメント(10)が全て消えてしまった。これを貴社はどう考えるか?メンテナンスは終わったはずでなかったのか?最近の貴社は想定が甘い。猛省を促す。仏の顔も三度までである。... 続きを読む

横綱 谷風梶之助の墓を訪ねる小旅

   仙台市東部を歩く私は楽観主義者である。ブログを運営していると様々な方からお気遣いを頂くことがあ。これは大変ありがたいことである。但し数々の修羅場を乗り越え、場数だけは踏んでいるがゆえ、困るほど深刻には考えていない。能天気こそが唯一の取り柄と心得ている。先週の土曜日(8月23日)、仙台市東部のトラックターミナルを訪ねた私が次に向ったのは若林区の卸町である。ここはその名の通り仙台の卸町街。以前二... 続きを読む

2014年KROG三京ミーティング

祝!KROG三京ミーティング開催去る8月23日(土)神奈川県横浜市保土ヶ谷パーキングエリアでKROG三京ミーティングが開催された。残念ながら私は参加できなかったので仲間が撮影した写真を掲載する。集まった台数は合計12台(うちタンデムKR250は4台)とのことであった。三京ミーティングは私は以前2009年、2010年と参加したことがある。日本ブログ村カワサキランキングに登録中です。クリックすると同サイトにリン... 続きを読む

エッセイ「人生の大きな転機を迎えて」

Big Country. Where the Rose is Sown  エッセイ「人生の大きな転機を迎えて」  Big Contryのボーカルを務めた彼は惜しまれつつ43歳でこの世を去った。短い生涯だった。だが彼は太く生きた。人生は長い短いでない。人の一生はその生き方が濃密か否かで決まるのだ。如何に人に影響を与えるかどうか、彼はそのことに全神経を注いでいた。だからこんな曲が出来たのだ。例え寿命を縮めようがそんなことはどうでもいい。多くの先... 続きを読む

仙台トラックターミナルの見学

或る土曜日、仙台トラックターミナルを訪ねて私は人から使われるのが苦手である。だからサラリーマンには向いてない。この性格が災いし、今まで何度も冷や飯も食わせられてきた。だが最近は冷や飯とて悪くないと考えている。冷や飯は水を差せば柔らかくなるし箸も通るようになるからだ。冷や飯とて兵糧には違いないのだ。どんな兵とて兵糧責めされ、食を断たれればたちまち参ることだろう。兵糧責めと冷や飯とはまったくの別物であ... 続きを読む

エッセイ「夏の終わりに」

 ABBA OurLast Summer  エッセイ「夏の終わりに」 年齢とともに夏の終わりに対しての思いが変わってきたように思える。未熟だった青春時代の夏の終わりは悲壮感さえ感じた。でも今は違う。やがて訪れる実りの秋が待ち遠しいからだ。 けして夏だけがピークでない。どの季節がピークと捉えるも各々の主観次第である。主観とは己が不動であってこそ、初めて主観と言えるのだ。不動でない主観は単なる思い込みに過ぎないの... 続きを読む

和辻哲郎著「古寺巡礼」

 仏教美術に心服した若き日の和辻哲郎 きょうは和辻哲郎著物「古寺巡礼」について紹介する。当時28歳の和辻が二三人の友人を伴い、奈良近辺の古寺を見て回ったのは大正六年(1917年)五月のことだった。この著物は後になって出征し生還するのが難しい兵隊さんからの需要が相当あったと聞く。 私自身にも思い当たる節があるのだが、煩悩に苛まれ苛立った折、こうした仏閣や仏像に接すると知らず知らずのうちに心が静まるの... 続きを読む

和辻哲郎と志賀直哉

昭和35年志賀直哉NHK出演時インタビュー他「知るは楽しみなり」という言葉がある。一人の作家に畏敬の念を抱くことが生前付き合いのあった他の人物への興味へと繋がるのはこの言葉の極意に迫るものである。今回紹介する人物の連鎖は哲学者、和辻哲郎である。 これは志賀直哉が和辻哲郎に宛てたはがき(大正3年8月17日投函)である。この時の直哉は31歳、和辻は25歳であった。和辻は『ニイチェ研究』を著したばかり、ま... 続きを読む

文芸誌「みちのく春秋」夏号発売中

  みちのく春秋夏号好評発売中以前も紹介したが「みちのく春秋」は東北六県の文芸雑誌である。発行は3ヶ月に一度の頻度(春号4月、夏号7月、秋号10月、冬号1月)で10日の発売である。これは去る7月10日に発売された夏号(VOL13)である。きょうはこの夏号について紹介する。これは編集者井上康氏の編集部だよりの書き出しである。史跡のことから福島原発問題、憲法9条問題、福祉問題と幅広い編集者の幅広い視野を感... 続きを読む

第二回ブログ棚卸し公開します

  第二回ブログ棚卸し公開私は自分のブログを客観的に眺めるために年に二回ブログの棚卸しをしている。時期は①二月中旬と②八月中旬である。先ずはブログ人気度は昨年7月13日から変わってない。2.5★のままである。また総記事数(ログイン者から見た数)は今日現在で1144である。これについては前回のデータをとってなかったので今回はコメントしない。私はほぼ週4回(日、火、木、土、)の更新を原則とし... 続きを読む

厳重抗議!復活しない?通産コメント・トラックバック

相次ぐヤフーの失態ヤフーブログユーザーの皆様、お気づきでしょうか?実は私は過去に人様から頂いたコメント、トラックバックを頻繁にチェックし、50ごとにお礼をしていました。それが今回のメンテナンス後、急に過去一年間の数に変わってしまいました。今となっては通産の数を調べようがなくなってしまったわけでとても納得できるものではありません。ヤフーさん、このような重要なことは事前に通知すべきことと思いますが如何... 続きを読む

歴史エッセイ執筆の打ち合わせ

   歴史エッセイ執筆の依頼盆休みも中日を折り返し残りの日数のほうが少なくなってきた。本日私が向かったのは或る文芸誌の編集者である井上康氏宅である。氏は都心に近いマンションの高層階に居を構えて居られ、自身が立ち上げた文芸誌「みちのく春秋」の記事の取材から記事の構想、編集に至るまでの仕事を精力的にこなしている。私としてはその真摯な姿勢に畏敬の念を抱き、お付き合いさせて頂いている。先日のことであるが氏... 続きを読む

ヤフーさん、統計のコメント数がおかしいです

統計のコメント数がでたらめに表示される昨今のヤフーブログのトラブルはまだ完全に是正に至っていない。皆様に於かれては①ブログ設定②統計③コメント・トラックバックとクリックされてみてください。下記のようにメンテナンス前と全く異なったでたらめな数字が出てくるのにお気づきと思います。当方の事情を語らせて頂ければ年に二回のブログの棚卸し(二月半ばと八月半ば)を間近に控えているゆえ非常に懸念し... 続きを読む

第二回「東華」の海老そばを食べる会

 一日たりとも無駄にしない盆休みの過ごし方盆休みは墓参りに行くかたも多いことだろう。そして親戚や知人と会い、交流を深めるかたも多いことだろう。他力本願も悪くないが、人生五十も過ぎれば、成すべきことはことは自分で見定め、マンネリ化することなく、盆は盆らしく有意義に過ごしたいものである。昨日の塩釜での知人との会食が歴史談義の場ならば、きょうはバイク仲間同士のツーリングである。場所は奇しくも昨日と同じ塩... 続きを読む

雨の日の塩釜探訪

  雨の日の塩釜探訪きょうの宮城県地方は曇りのち雨と今ひとつぱっとしない天気であった。知人と待ち合わせをした私は昼前にJR仙石線の本塩釜駅に居た。ここで待ち合わせである。すっかり震災の津波の爪あとが消えた本塩釜駅は一頃の活気を取り戻したように伺えた。JR本塩釜ホームから東側を望んでみた。左側の建物がイオン塩釜店である。待ち合わせの後で知人とイオン塩釜店を訪れた。同じくJR本塩釜ホームから南側(仙台方面)... 続きを読む

武骨な男の晩酌

  武骨な男に相応しい酒道楽の小道具この世に生を受け、生まれて初めて武骨な男と言われたのは26歳の時、「私は用がある」と告げ、職場の宴会を途中で抜け出した時からのことだった。自分を和製ミック・ジャガーと信じ、人にへつらうのを極端に嫌い何かあるとことごとく上司や先輩に逆らい翻意を示した。また同僚ともあまりコンタクトを取らなかった。まして上司にお使い物をすることなどは生まれてこのかたやったことがなかっ... 続きを読む

あの時の俺は奴隷船の中で耐え忍んだのさ

BEN HUR - TheRowing of the Galley Slaves - Miklos Rozsaああ、あの時の俺は確かに死んでいた。だから奴隷船に揺られて行くしかなかったのさ。俺は臭くて暗い奴隷船の中でその日が来るのを信じてずっと耐え忍んだ。そしていつの日かお前らに対し復讐の日が来るのを誓った。ああ、いつの間にかお前らに復讐を果たすのが俺の生きがいになっていったのさ。お前らは権力を利用して俺をさばこうとしただけなんだ。俺が大人しいのをい... 続きを読む

仙台七夕最終日のこと

 名残惜しい最終日の仙台七夕昨日から長い盆休み(九連休)に入った。これは一昨日の帰りに写した仙台七夕(最終日)である。この通りはパピナ名掛町(なかけちょう)別名中央通りという目抜き通りである。あいにくの雨天にも関わらず大勢のかたが最終日の七夕を見ようと来ておられた。雨天ということでアーケード街は影響を受けないものの、夜店のほうはどうしても客足がイマイチといったようである。腹が減ったのでお好み焼きを... 続きを読む

息子との墓参り

 十年ぶりの息子との心の触れ合い今日から盆の九連休に入った。実は私には数年来の心配事があった。それは息子との関係である。2005年秋に転勤が決まった私は或る事情により精神的な不調に陥ってしまったのである。大変不本意ながらその後の息子との関係は以前のものとまったく違ったものになってしまった。彼の身上を思えば無理もないことなのかも知れない。だがこのことが私の人生に陰を落とすものとなったことを否めないの... 続きを読む

慶長欧使節団のハバナ寄港

 1614年8月7日、ハバナを出港するきょうは久しぶりに慶長遣欧使節団(伊達政宗が欧州に関する記事をお届けする。メキシコでの使節団の足跡については私の歴史小説「金色の九曜紋とともに」に詳しく著しているので興味のあるかたはご覧頂きたい。これは支倉が入港した時の少し前のメキシコのアカプルコ港である。まだ開港したばかりで非常に殺風景であるのが印象的である。宮城県石巻市「サンファン館」展示パネルより。これ... 続きを読む

論語は心を沈める特効薬である

  論語に触れ儒教の心を学ぶ最近、会社帰りの図書館でよく見るビデオはNHK人間講座「論語紀行」全十巻(放映時間述べ10時間)である。番組では孔子の生家や生い立ち、ゆかりの地について現地取材をし、これに論語の言葉の実例をあげ、解説を加えた構成となっている。講師は孔子研究で有名な愛知文教大学副学長の坂田新氏である。坂田氏のわかりやすい解説によって論語を身近に感じることが出来るという好番組である。実は先週... 続きを読む

木陰、水辺につかの間の涼を求めて

  養種園跡地の木陰に涼を求める昨日の土曜日、私は仙台市南東部の若林区南小泉を訪ねた。片側二車線の道路は比較的新しいものである。その昔はのどかな農村の広がる南小泉村と呼ばれた地域であった。今となっては往時の長閑な風情を彷彿させるものはほとんど遺されていない。この建物は若林区役所である。左のほうの林はもと養種園と言った市民の園芸場のあったところである。この日は32度はあった。バイクから降りるとうだる... 続きを読む

合戦に臨む伊達者としての覚悟

 独眼竜政宗オープニング 昨日から八月に入った。今年も残すところあと五ヶ月となったが、けして後悔することなく精一杯人事を尽くし、ご先祖様に恥ずかしくない道を歩みたいと思っている。さてこのそれがしの出で立ちは昨年の11月3日、故郷石巻で行われた伊達武者行列(サンファン館再オープン記念行事)に参加した時のものである。この時は政宗の家臣であった大内定綱に成りきった日でもあった。大内定綱西国の周防大内氏の... 続きを読む