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烈士伊東七十郎生誕の地、屋敷跡を訪ねて

私は現在、1671年に起きた寛文事件の研究を進めている。本日友人と訪ねたのは烈士伊東七十郎生誕の地と屋敷跡である。この資料をご覧頂きたい。伊東七十郎の居住地は「北村」という地名になっている。※須知徳平訳教育社新書「原本現代訳伊達騒動上下版」より引用史跡探訪にはある程度勘というものが必要である。メジャーなものは地図やインターネットなどで見つけるのは容易であるが、マイナーなものは第六感ばかりでなく、時... 続きを読む

この度常盤相馬へ転勤します

  転勤地、常盤相馬への下見福島県浜通りの相馬への単身赴任が決まった。先週の土曜日、私は勤務地の視察を兼ねて常盤(福島県浜通り地方)に車を走らせた。先ず私が立ち寄ったのはアパートを借りる場所として候補地として考えた宮城県の亘理町である。※オレンジ○が亘理町の位置である。城のような形をしたのは亘理町郷土資料館(通称:亘理城)である。ちょうどJRバスの止まっている後ろがJR常磐線亘理駅である。現在、亘理駅か... 続きを読む

四氏の大名の居城となった米沢城

 複数の名君と関わった米沢城今回のブログ更新では、去る11月23日に訪問した米沢城についてお伝えする。先ずこの鳥瞰図をご覧頂きたい。天守閣こそないものの絵に書いたような美しい作りが印象的な江戸時代の米沢城(上杉氏支配時)である。美しいのは城だけではない。格子状に縦横に道が交わった城下町も美しい趣を呈している。まさに大藩に相応しい計画的な町造りと言えるものである。米沢城とは?(Wikipediaより引用)築... 続きを読む

息子と行く晩秋の米沢の旅

 晩秋の米沢を訪ねる小旅三連休の中日となった昨日、日曜日のことだった。私は仙台駅東口から高速バスに乗り、大学受験を控えた息子とともに山形県米沢市に出掛けた。盆の墓参りを機に息子との関係が修復しつつある昨今、男親として彼の相談相手になってやりたかったのである。十五分ほどして東北道に乗った。車内はご覧の通り、数名ほどの乗客が居るのみ。息子は真面目な性格ゆえ、冗談や砕けた話はしない。以前はやや反抗的な態... 続きを読む

奥羽越同盟と官軍の三千が激突した旗巻峠を訪ねて

  幕末の旗巻峠で行われた戦い昨日の土曜日は好天に恵まれた。気温も20度近くまで上がり絶好の歴史探索日和である。私は車に乗って国道6号線を南下した後、福島側から再度宮城側に入った。戦国のころ、伊達と相馬は宿敵であった。このあたりは戦国の世に相馬側の騎馬や歩兵が数多く通った道で重要な拠点だったことだろう。そして伊達と相馬が初めて戦った16世紀から約三百年後の新たな戦がこの地で展開されようとしていた。... 続きを読む

私が尊敬を寄せる歴史作家星亮一氏

新撰組サミット(福島)に於ける星亮一氏(6分9秒以降)最近、幕末に関する本を二冊読んだ。左が歴史小説「旗巻峠の密書」、右が奥羽越列藩同盟、筆者はいずれも星亮一氏である。これは星氏の出身校である宮城県丸森町立小斎小学校で行われた「旗巻峠の密使」の上映に関する案内である。小斎は相馬から伊達に寝返った佐藤為信という武将が代々所領として治めてきた土地である。佐藤宮内は為信の子孫で幕末時に於ける小斎の殿様で... 続きを読む

熊耳耕年美人画四態

日本画、浮世絵、大津絵…レパートリーの広い熊耳耕年画伯熊耳耕年(1869~1938)は仙台の生んだ偉大な画家である。今日は一ヶ月ほど前に行った福島美術館(仙台市若林区)で展示されていた美人画四態を紹介する。先ず、これは鎌倉時代の尼僧、千代能の見立てと見られる賛美歌美人である。手に持っているのは聖書、日本女性の奥ゆかしさがよく現れた作品である。「冬つらら」、そろそろつららの季節も近い。耕年は浮世絵の... 続きを読む

島崎藤村ゆかりの地初恋通りを訪ねて

 朗読 島崎藤村 若菜集「初恋」島崎藤村の初恋はなんとも甘酸っぱいような香りがする詩である。今日の仙台は終日このような曇天であった。仙台駅東口を行く某。日曜日の朝8時とあって人通りはまばらである。1分ほどできょうの目的地である初恋通りに着いた。初恋通りとは何ともいい名前である。初恋通りを経て目と鼻の先の藤村広場に到着。実は118年前の明治29年、この場所に島崎藤村が下宿していた三浦屋があった。こ... 続きを読む

失踪した名馬の謎「銀星号事件」

1892ストランド誌発表、シャーロック・ホームズ銀星号事件銀星号事件(原作SilverBlaze1892年12月ストランド誌発表)粗筋ロス大佐の所有する銀星号という名馬が失踪した。ホームズはワトスンを連れてキングス・パイランドへと出向くことになった。グレゴリー警部からの依頼だった。彼はホームズが一目を置く敏腕な警部であったが搜索に四方八方手を尽くしたのだが、不思議なことに一週間経っても銀星号は見つからなかった。※... 続きを読む

エッセイ「名誉を損じない生き方を貫く」

 Scotland The Brave  エッセイ「名誉を損じない生き方を貫く」あれは今から9年前に遡る。私の心の弱さに心の病が巣を作ろうとしていた。往時の私は己を客観視するということがまったく出来ていなかった。次第に私は大きな渦の中に巻き込まれていった。気づいた時には脱出するのはもはや不可能であった。もがけばもがくほど身動きが出来なくなった。あの時の私は蟻地獄の巣に落ちた一匹の蟻に過ぎなかったのだ。仕事の遂行能力... 続きを読む

Blog開設6周年を迎えて

Big Country Peace In Our Time Blog開設6周年を迎えて昨日でブログ開設6周年となった。この6年間のブログスタンスを振り返ると、1年目~4年目くらいまでは自己マイペース型(人様との対話というよりも自己主張を中心にした運営方針)、4年目から現在までは対話重視型ブログ(自分の記事の更新と人様のへの書込みのバランスを考慮した運営方針)ということになる。言うまでもなく今後も対話型ブログを貫き、新規のかたとは... 続きを読む

秋の大空の下での郊外ウォーク

行進曲大空昨日の土曜日は非常にいい天気であった。晩秋とは言えまだまだ秋、某(それがし)の年齢は既に熟年なれど気持ちだけは若くありたい。枯れるにはまだまだ早い。このような気持ちがこの日の某の好奇心を一層高めていた。何を隠そうつい先日、ここ数年某の頭を悩ましていた或る出来事がオールクリアとなった。従って以前のような反骨精神むき出しの記事(無頼の渡世人、一匹狼、ファイター、孤高なガンマン)とは無縁になっ... 続きを読む

エッセイ「郷里石巻の今昔」

 郷里石巻の栄華に思いを馳せる  エッセイ「郷里石巻の今昔」つい最近、司馬遼太郎の『街道をゆく』嵯峨散歩 仙台・石巻編を読んだ。同氏は様々な場所で取材に及び、その地の歴史を考察し、ゆかりの先人に想いを馳せつつ、香り高い上質なエッセイを書いているゆえ、私の郷里である石巻についてどう語っているかが気になった。郷土愛と彼への畏敬の念が結びつき、同著への興味が一層増し、読書欲に追い風をもたらしてくれたので... 続きを読む

昨夜ブログを更新しました(焦)

皆様、ご存知でしょうか?ヤフーの不手際?で一部の更新者の情報がファンの皆様に伝わっていないようです。実は昨夜の21時10分に記事を更新したのですが新着として皆様に届いてないようです。これは、某のブログ仲間のかたのサイトに訪問して初めてわかったことです。ヤフーには二度とこうした不手際が起きないことを望みます。※本記事に関してはコメント欄を閉じさせて頂きます。... 続きを読む

震災前の石巻の栄華を後世に伝える

 石巻の栄華を後世に伝える画家先ずはこのインターネットから取り出した写真をご覧頂きたい。昭和三十年代と見られる宮城県石巻市の趣である。遠洋漁業で賑わう港には大型漁船が所狭しと繋留されている。私も小学生のころは図工の時間スケッチでこの繋留された船を描いたものであった。400年前、伊達政宗の先見による大土木事業が大河、北上川を石巻に注がせ、以前はただの湿地帯だった付近の平野を豊かな稲作地帯へと一変させ... 続きを読む

ミック流文化の日の過ごし方

 文化の日に相応しい過ごし方とは?11月の最初の三連休も今日で最後になった。今日は文化の日ゆえにそれに相応しい過ごし方をしたかった。そんな折、私は朝7時過ぎには仙台駅に来ていた。左の画像は今日の私。右の画像は1970年の映画作品「シャーロックホームズの冒険」に於けるホームズ(配役:ロバート・スチーブンス)とワトソン(配役:コリン・ブレークリー)である。私は自他ともに奇人であることを認めているが、こ... 続きを読む

伊達家重臣茂庭家墓所を訪ねる松山の旅

伊達家に仕えた名門「茂庭家」を偲んで三連休初日となった今日私は友人とともに、JR東日本小牛田駅企画のJR小さな旅「茂庭家歴史探訪」に参加した。集合時間の定刻9時45分より一時間以上前に到着した私は物見遊山で松山駅周辺の散策に及んだ。その後友人と落ち合い、取り留めのない雑談を交わした。それにしてもローカルな雰囲気である。定刻となってJRの担当者とガイドさんの挨拶があり、スタートと相成った。18名の参加者の... 続きを読む