fc2ブログ

エッセイ「誘いの隙」

 Carmen  Toreador  Song エッセイ「誘いの隙」人様のことはあまり知らないがこの世は闘牛場である。私は今まで闘牛士のような覚悟で人生を歩んできた。己が勝ち残る保証はどこにもない。倒すか倒されるか、例え倒しても明日は我が身。私と牛のどちらかが闘牛場の土に体を横たえる運命にあるのだ。油断は即命取りになるが隙がないと牛は突っ込んで来ない。ムレータ(棒のついた幕)を己の体と思って突っ込ん... 続きを読む

支倉常長、スペイン国王謁見四百周年を祝う小旅!

2004Royal Wedding Prince Felipeand princess Letizia of Spain伊達政宗が派遣した遣欧使節団を率いた支倉常長がスペイン国王フェリペⅢ世と謁見を果たしてから今日で400年が経つ。私はこれを心から祝し友人とともに宮城県石巻市にあるサンファン館を訪ねた。※レプリカ船を前に感慨を新たにする某シュミレーションシアターが故障のため、いつも観る映画はホールで上映された。撮影禁止でないのを確認したゆえ、「夢の果てまで... 続きを読む

榎本武揚に学ぶ負けても生き残る術

榎本武揚に見る負けても生き残るテクニック一昨日NHK Eテレ「知恵泉」でこのような番組が放映された。「だから、生きる」榎本武揚 敗北からの復活劇である。私は中世史が好きで様々な戦国武将から現代社会で生き残る術を模索してきた。例えば伊達家の家臣となった大内定綱などは数度に渡る寝返りを行ったにも関わらず、伊達政宗に抱えられ、晩年は伊達藩の参謀として君臨した武将である。但し、今回の舞台は幕末である。今回の主... 続きを読む

仙台藩志会講座「伊達家墓所発掘調査」

伊達家三代の墓発掘からわかったこと去る1月25日(日)、私は仙台市青葉区の戦災復興記念館で開催された仙台藩志会主催の講座を受講した。この日のテーマは「伊達家墓所発掘にみる三代(政宗、忠宗、綱宗)の個性」、講師は仙台市教育委員会の長島栄一氏である。長島氏は駆け出しの頃1974年に行われた伊達政宗公墓所の調査に携われた他、三代目綱宗公の墓所発掘にも関わった経緯がある。但し、これらの伊達家三代に渡る墓所... 続きを読む

支倉常長子孫との対面

二つの海を渡った侍フランシスコ・ハセクラ私の窮地を救った侍の末裔との出会い本日の昼過ぎ、私は仙台藩志会主催の「伊達学塾」へと向かった。目的は或る人物と逢うことである。会場は青葉区広瀬通にある仙台市戦災復興記念館である。私は5階の会議室の扉を開いた。私は飛び入りでの参加である。受講料は¥700。会場には既に仙台藩志会の面々が来て居られた。そしてそのかたらしき方が会場に来られた。私は初対面ゆえ、顔見知... 続きを読む

還暦を前にした私のSaturday Night Fever♪

Bee Gees Stayin Alive晩年の伊達政宗公の言葉に「馬上少年過ぐ云々」というものがある。即ち、血気盛んな紅顔の少年もあっという間に白髪の老人になってしまったという意味である。これをもっと掘り下げれば「若い頃は天下に志を持ち戦いに明け暮れたが、やがて世は天下泰平になり我が身もすっかり老いてしまった。全ては過去のことである。かつての老雄は桃李のもとで酒を嗜み、穏やかに春風を愛でている。」というものになる。... 続きを読む

「帰って来た木枯し紋次郎」を読んで

帰って来た木枯し紋次郎笹沢左保原作「帰って来た木枯し紋次郎」あらすじ或る事件に関わり、瀕死となった紋次郎は己の命を救った豪商花菱屋友七の手厚い看護を受けて回復に至る。渡世人ゆえ隠まれての生活だった。堅気との関わりを避けてきた紋次郎も命の恩人である友七には特別な恩義を感じたのである。そうこうしているうちに彼は事件に巻き込まれて行く。利害によって生き方を左右される堅気と義理と人情に生きる渡世人は一部に... 続きを読む

エッセイ「大寒のころの晩酌」

エッセイ「大寒のころの晩酌」大寒を過ぎ、節分、立春に至るまでの間は一年のうちで、一番気温の低い頃で寒さが身に滲みる時期である。暑さ寒さも彼岸までという言葉があるが体感としての寒さはまだまだ続く。しかし節分(今年は2月3日)、立春(同じく2月4日)を過ぎれば精神的に違う。暦の上での春の到来は落ち込みがちな気分を高揚させるものである。とは言え、節分まではあと二週間ほどある。読者諸氏に於かれてもこの厳寒... 続きを読む

仙台好日♪

 William Tell Overture Final 信念の長脇差を持ち、強かに残り僅かとなったサラリーマン生活を生き残る明日1月20日は大寒である。きょうは有給休暇を取った。そろそろ年度末が迫ってきた。有給休暇を予定通りに消化するのも仕事のうちである。有給休暇を取るに当たって一切の遠慮もなければ気負いもない。但し私がこの境地に達するまでは多くの右往曲折があった。出世を目指すもサラリーマン、法の下に労働者の権利... 続きを読む

出入りのカフェで平穏な週末を迎える至福のひと時

Ben Webster-Solitube早いもので1月もあっという間に半ばを過ぎた。雪の少ない今冬の仙台とは言え、この季節は気温も低く出て歩くのが億劫になる。昨年末から三週間にも渡る靴擦れに悩まされ、悪戦苦闘の末ようやく解放されるに至った。こうしたいきさつを経て、今週の週明けから朝の出勤時で一駅前で下車してのウォーキングを再開した。何気ないことであるが、これが私の健康法である。こうして再び一日に1時間20分ほど歩くこ... 続きを読む

JRへの忘れ物は2勝1敗

再び帰ってきた「帰って来た木枯し紋次郎」或るブロ友様の記事で列車に忘れ物をされ、結局戻ってこなかったというお話を承った。そんな某も昨年愛用していた透明傘を列車(下車後に回送列車となった)の網棚に置き忘れ、後日JRの忘れ物コーナーに行ったが見つからなかったという苦い経験がある。安価な傘であるが、オリジナルな小改造を施しており、物の価値は値段でないと踏まえたゆえの捜索であったが、その結果は紛失に至った... 続きを読む
[タグ] JRへの忘れ物

ブログで知識を得るのに捨て去るべきもの

有用性のあるサイトで「複合検索」を使って得られるもの今日の我が国は言論の自由が保証されている国家ゆえ、ブログに於いての表現は法やモラルに触れない限り自由である。時に己に思い当たる節として、ブログというキャンバスに何を描くかはを考える時、つまらぬ固定概念がじゃまをすることがある。私は現在多くのかたとブログでコミニュケーションに及んでいるが、それだけがブログの利点ではないはずである。様々なブログの中に... 続きを読む

エッセイ「健康の有り難みは失ってからわかる」

エッセイ「健康の有り難みは失ってからわかる」たかが足にできたマメ、たかが靴擦れと思うことなかれ。これは今の私の偽らざる心状である。事の起こりは昨年の年末休みに入った時のことだった。昨夜から降った雪が路面に軽く積もり、朝から史跡散策に及ぼうとした私の出鼻を挫いたのである。更に悪いことに、三年ほど前から愛用していた防寒靴の底が磨り減り、凍結した路面ではやや心もとないものと化していたのである。靴底が摺り... 続きを読む

通りがかりのバーで嗜む昼酒のひと時

Tenderly Ben Webster  新たな出会いは或る日突然やってくる昨日の昼近い頃だった。私は或る知人の見舞いに小雪の舞う仙台市北部の雨宮町を急いだ。松の内を過ぎればすっかり正月気分も抜ける。三連休の初日というシチュエーションが私の足取りを思いのほか軽くしていた。急ぎ足で裏通りから表通りに出ると街は年末ほどではないにしろ、適度な喧騒を私に投げかけ、いつものように気楽で物見遊山な情感をいざなうのであった。... 続きを読む

連休前の同志との歴史談義

 池波正太郎インタビュー私は若いときには仕方なく付き合いで酒を飲んだことがあった。また時には仲間と深酒に及び、羽目を外す飲み方をしたこともあった。だが、今は違う。年齢を刻むにつれ飲み方のスタンスが全く異なってきたのだ。昨今の私の飲み方は気のあった者同志、年齢や仕事に一切関係なく好きなものについてとことん語り合い、有意義な盃を交わしたいと感じている。昨日仕事を終えた私が向ったのは仙台駅東口のこのビル... 続きを読む

エッセイ「燗酒に及んで想う祖父への追憶」

 エッセイ「燗酒に及んで想う祖父への追憶」凍てつくような今頃の時節、電車通勤の私にとって唯一の楽しみは一日の仕事を終えた後で燗酒で晩酌することである。但しこの習慣が根付いたのはつい二年前であり、けして昔からの習慣ではない。夏場ならビールや冷酒もいいが今の季節は身も心も芯から温まりたいのである。氷点下の中、駅から夜道を歩き家にたどり着く頃には手足が凍え、マフラーを巻いた背筋もぞくぞくする。頭の中にあ... 続きを読む

エッセイ「大航海時代とチリ」

 Himno Nacional de Chile エッセイ「大航海時代とチリ」もし世界史の中でどの年代に一番興味があるか?と聞かれたら迷わずに「大航海時代です。」と答えることだろう。折しも、最近横井祐介著「大航海時代大全」なる本を購入したばかりである。世界史に接して再認識するのはこれまで地球上には様々な小民族が現れては消え、その多くが短期間の間に滅んでいったことである。その数を挙げるならば数え切れない数になる。... 続きを読む
[タグ] 大航海時代大全

伊達政宗の野望とともに尼寺に散った男

関ヶ原合戦後、尼寺で切腹した和賀忠親昨年の12月29日のことだった。私は年末の休暇を利用して仙台市東部にある或る尼寺を訪ねた。寺の名前は国分尼寺である。比較的新しい山門である。国分尼寺の位置を航空写真で確認して頂きたい。住所:宮城県仙台市若林区白萩町33-26社殿もこのように新しいものとなっているがその歴史は非常に古い。※仙台 国分尼寺近くにある国分寺と同様、741年の聖武天皇の勅命によって建立された国... 続きを読む

エッセイ「裸の王様と呼ばれて」

エッセイ「裸の王様と呼ばれて」ここ数年前から挨拶の仕方や年賀状の出し方への考えが変わった。これを有り体に言えば、義理や利害に関わる年賀状を出さなくなったということになる。以前は義理に捉われたり、機嫌を取るような年賀状を出したことがあったのだが、このスタイルを続けていくと、これから先もずっと人の顔色を覗うようなスタンスになると考えたからである。日常の挨拶も考え方を変えた。儒教でいう礼節を重んじる日本... 続きを読む
[タグ] 裸の王様

名将、伊達成実を偲ぶ元日の小旅

亘理地方を治めた名将、伊達成実を偲ぶ私は昔から大晦日や元日に出て歩くことが多かった。無類のへそ曲がりということもあって、日本人特有の年越しとか年の瀬や年始めにけじめをつけるという慣習が全くピンと来ないのだ。但し、罰当たりと称され初詣にも行かない私が元日に出て歩き、何も気にならないと言ったら嘘になる。日頃から他人の好奇な視線にさらされ、心臓に毛が生えているのを自覚している私であるが、元日早々家族から... 続きを読む