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 mozart le nozze de figaro; overture berliner phil ¬claudio abbado 
リンク曲について
今週も無事に大した出来事もなく無事に過ぎていった。現役時代は戦いに明け暮れ、平凡こそが尊いという価値観を持つに至った私だが、今でもその信念は少しも変わっていない。これは毎日の出退勤にも言える。無事にその日の勤務が終われば、何も考えることなくその日を愛でる。その繰り返しが一週間となり、一箇月となり、一年となるのは今更言うまでもない。

この曲に登場するフィガロは異端児である。自分も異端児ゆえ、心持何か通うものがあるのかも知れない。自分はけして平凡な人生を送ったとは言えない人物だが、五十を前にして遭遇した試練が自分を別人に作り変えた。それまでの自分はさして目立たない。ごく大人しい人物だった。ブロ友様の中には人間の性格などそう変わるものでないとお思いのかたも居られることだろう。

これは概ね当たっている。但し自分は欝を経て躁鬱病を患った身ゆえ、以前とは全く異なる性格を有するに至ったのである。躁鬱病特有の成り切りというと眉を顰める御仁も多いが、これを包み隠すことなく、在りのままの自分としてはっきりとお伝えしたい。但しこれは逆を言えば祖父方ルーツの持ち味である「雑草のようなたくましさ」が紆余曲折を経た自分にもたらされた単なる一つの結果なのかも知れない。ここに偶然性があったのか、必然的なことだったのかは知る由もない。神のみぞ知る領域である。

それはさておき、昨今の自分は些事に捉われることがなくなった。人生は常に見据えるべきところを見据えねばならない。人間些事(枝葉)に捉われるのは広角的な視点がないからであり、王道を目指すならば木の幹から目を離してはならないのである。今宵自分は週末の美酒に酔い、そんな取りとめもないことを考えながら名曲に心を委ねている。これ以上何が必要なのだろう。今の自分には一日(一週間)の業を無事に成し遂げたという満足感が最高の酒の合わせである。

己の中でカタルシスを実感し、新たな境地が開け、昨今過去に自分を疎んじた人物が小人となって見えてきた。ゆえに自分は過去のネガティブなことを振り返るのを止めたのである。自分は今宵思うことあって、李白の漢詩の一節を紹介したい。
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世に処ること 大夢の若し
胡爲ぞ 其の生を労する
所以に終日醉い
頽然として 前楹に臥す
李白(701~762)


意味
世に生きるのは長い夢を見るようなものだ
然らば、何も苦労して人生を生きることなどない
そう思ったなら終日酒に酔い
日当たりのいい場所に寝転んで気楽に過ごせばいいのだ
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横町挨拶
世に処ること大夢の若し」は如何にも世捨て人・李白らしい言葉と受け止めております。自分も過去に於いて、東京での単身赴任を経験した際に精神的不調に陥り、鬱々として暮らしたことがありました。

この詩はそんな時に聞きたいフレーズでした。どんなに分厚い雨雲が漂っていても、その上にはお日様が煌々と照っています。そのような鷹揚に構え、ゆったりとした気持ちでセカンドライフを謳歌したい考えています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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