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 連休中日の相馬散策
あっという間に過ぎたゴールデンウイークの5連休だったが、今振り返るならば歴史三昧の休日であった。その内訳は歴史資料館訪問が二箇所(①相馬市歴史資料収蔵館、②山元町歴史民族資料館)と伊達、相馬合戦跡一箇所、伊達藩古城跡二箇所と言ったところである。また相馬市図書館と亘理町図書館からは新たな歴史に関する文献資料も何冊か借りている。

これらについては後に回し、今日は中日の5月4日に行った相馬市内の散策についてお伝えしたい。ここは相馬市街でも北西部に位置する場所で1611年から相馬藩の拠点となった中村城から数百メートルの場所である。このようなビジネスホテルもあるが、なにせ人口が3万6千の地方都市ゆえ中心部と言っても長閑でローカルなものを感じる。

私は個人主義を自覚しており、これを人から指摘されても否定しない。昨今はこうした未知の場所を歩くとき、元来の性分とも言える好奇心のアンテナが四方八方に広がるのを実感している。興味を引かれるものを発見すると時には行ったり来たりもし、ジグザグ状に不規則に歩いたりする。とにかく好奇心に任せたままの気まぐれな歩き方なので、まず相棒は連れてこられない。必然的に目的地が決まった企画もの(JR小さな旅など)を除いては個人プレーとなるのである。

城下から見て川を隔てた北側に向かう旧道らしき道がある。旧道の根拠として①道端に位置を変えてないと思われる祠や地蔵がある。②道の太さが一定でなく曲がりくねっている。③藩政時代の名残とも思える職種(職人町、老舗商家)の民家がある。④寺社仏閣に近接している。などが挙げられる。

この道は中村城のすぐそばを通っているので、城下から北部に向かう旧道と思われる。

『楽しまざれば是如何』(楽しまなくてどうしよう)、私は町歩きが好きで興味の対象はけして歴史のみではない。何気ない建物や庭木、草花、車、ペット…、更にはそこに住む住民の暮らしぶりに至るまで、全てが興味の対象である。祠と地蔵の前を通過する某、散策の目的を歴史探訪としていないものの、昨今の散策の傾向を客観するならば、自ずとそうした方向性に寄ってくるのである。

中村城の外堀の延長沿いにこのような古い建物が建っていた。「相馬味噌」の看板を掲げた建物は大正か昭和初期ころ建てられたようである。どんな時代風景を舞台に、どんな人が、どんな人間模様を演じたのか?それを想像するだけでわくわくするものを感じる。

店の正面に回ってみた。「山形屋」は一見旅籠風にも見えるが、或いは大正時代を遡るものなのかも知れない。

正面に見える寺は妙見歓喜寺である。相馬の寺と言えば特徴として「妙見信仰」(北斗七星を神と仰ぐ星辰信仰)が特徴である。これは北にある北斗七星を信仰することで、北側に隣接する宿敵、伊達藩への対抗意識の表れと言われている。

当然のことながら、これはけして隣国の伊達領(福島県新地町以北)にはないものである。

google航空写真で位置関係を確認して頂きたい。
紫:JR相馬駅、赤:更新記事に掲載した地蔵と祠の位置、
黄色:妙見歓喜寺、橙:前回更新した記事で紹介した相馬市歴史資料収蔵館
※約1.7倍に拡大可能

これは幕末から明治にかけて相馬藩の二宮仕法(二宮尊徳の行った改革)に貢献のあった或る人物の墓である。

彼の名は荒至重(あら むねしげ)である。今で言えば理数系でありながら平町長(現いわき市平)を勤めるなど地域の振興発展に大きく寄与した人物である。

相馬市歴史資料収蔵館にも彼のプロフィールが展示されていたので転載する。

この後で相馬市歴史資料収蔵館に訪れた。気楽に楽しみながら、相馬の歴史に触れられた連休の中日であった。
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