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息子の潔白を死ぬまで信じた母
桜もそろそろ見納めとなってきた感のある昨日、私は寛文事件(伊達騒動)の或る中心人物の実母の墓を探す小旅に出た。小旅と言っても地元亘理町に彼女の墓があるゆえ、けしてたいそうなものでない。

国道6号線越しに見えるのは阿武隈山地である。江戸から遥かに離れた阿武隈の山深い峰に墓があればけして人の目に触れることはない。彼女の墓は或る事情により、けして表沙汰には出来ないものであった。

私は国道を渡って、彼女が眠っている場所の最寄の駐車場に自転車を止めた。彼女の墓は前方の山の鬱蒼とした木々の中にある。

その中心人物の名を明かそう。彼の名は原田甲斐、実母の名は慶月院(諱は不明)である。1970年放送のNHK大河ドラマでは慶月院の諱を津多とし、その役柄は田中絹代が演じていた。私は「樅ノは残った」の総集編ビデオを一昨年から三度繰り返して観ているが彼女は一言で言えば鉄の女であり、息子甲斐の身の潔白を最後まで信じた人物であった。

※赤○が彼女の墓のある地点である。

慶月院の墓に行くにはこのような獣道を行くしかない。登山用の杖があったほうが良かったと思ったが、後の祭である;私は覚悟を決めて先を急ぐことにした。

更に30メートルほど進むと道は鬱蒼とした林の中に消えていた。私は覚悟を決めて山中に入った。

途中に陽林庵跡地はあったものの本記事に関係がないゆえ割愛(後日紹介)する。
ここが慶月院の墓である。鬱蒼とした山中にひっそりとたたずむ彼女の墓所は幕府関係の人物はおろか、地元の人間ですら、情報がなければこの墓所を突き止めることは叶わなかったことだろう。

寛文事件が起こった後、原田家はお家断絶となり、男子はすべて切腹か斬罪。女子は他家預かりの身となった。彼女は亘理伊達家に預けられ舌を噛んで自殺を図ったものの、歯がなかったゆえ死にきれず、五十余日の絶食後に及び亡くなったと伝えられる。

罪人の実母ゆえ、彼女の墓は名前さえ記すことが出来なかった。やはり原田甲斐は己の命のみならず原田家の断絶を百も承知で、仙台藩存続を成し遂げようと考え、行動に及んだのではないだろうか?彼女の粗末な墓(墓標としての目印)を見るにつけ、代々仙台藩の重臣であった名門原田家の最たる悲劇を感ずるものである。

山道を通って帰路に着いた。林から出ると海(太平洋)が一望出来る。彼女を葬った人物はせめて海が見えるところに葬りたいという由縁があったのだろう。罪人の実母の墓ならこうした弔いをする理由は一切なかったはずである。私は改めて原田甲斐なる侍の身の潔白を己の胸に刻み、人里離れた慶月院墓所を後にした。
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