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相馬市初音旅館で五十数年前の父を偲ぶ小旅
去る3月19日掲載した記事で父が五十数年前に出張先の福島県相馬市から仙台の自宅で留守をする母と私に宛てた葉書を紹介した。折しも4月から相馬勤務となった私は休日を利用し、その差し出し先と思われる初音旅館を訪ねることにした。

尚、今回の訪問の大きな動機となったのがブロ友様であるスミチカさんから寄せられた情報「現在営業しているかまでは分かりませんが、葉書の内容にある相馬市中村袋町57に初音旅館はありました。市役所の近くです。」であった。スミチカさんには改めて厚く御礼申し上げる次第である。

相馬市コミュニティセンターで市の職員に聞き、ゼンリンの地図を開いて詳しく教えて頂いた。初音旅館はスミチカさんの情報通り相馬市袋町に存在したことになる。但し、存在したというのは残念なことに今は建物が解体されて残っていないということである。ボールペンの先の空き地が初音旅館のあったところである。

このあたりが袋町である。名前からすると藩政時代は袋小路だったのかも知れない。
「初音旅館のあったところを探しているのですが…」庭仕事をしていた年配の女性に思い切って聞いてみた。

奇遇にも私が聞いたかたは旅館のすぐそばのかたであった。訪問の趣旨を女性に伝えると、初対面にも関わらず、家に通されお茶を勧められた。私はそのご厚意に甘えて同旅館についての様々な情報を聞くことが出来た。

ここが初音旅館の跡地である。ちなみに、今の土地の所有者は初音旅館とはまったく関係のないかたとのことであった。この界隈は藩政時代は侍屋敷が立ち並び、明治に入ると花街の顔を持つ歓楽街とお聞きした。三十分ほど、話し込んでいるうちに花見から帰ったご主人とお会いした。私は名刺を渡し自己紹介に及び、執筆活動の一環で自分の先祖のことをいろいろと書いていることをご主人に伝えた。

「なかなか気の強い女将さんでねえ、うちの親父と間が合わず、よく喧嘩したものでした…」この場所は現相馬市役所と目と鼻の先ゆえ、ご主人からは同旅館は役人が打ち合わせや宴会などでよく利用した社交場的な旅館である旨を承った。

赤で囲んだところが初音旅館跡地である。相馬市役所とは百メートルほどしか離れていない。

私は、旅館の跡地を見ながら「旅館で一人でノウノウと風呂を浴びて早寝出来ている」という当時の親父の心境を想像してみた。文中には気楽な反面、母と私を労わる気持ちが滲み出ている気がする。

私は袋町に咲く一本の姥桜に目を奪われた。この桜なら往時の親父を見ていたのかも知れない。かつては花街で芸者置屋や銭湯があり、三味線の音が聞こえたこの街も時勢とともに閑静な住宅地に変わった。興隆と衰退を繰り返すのは人類の持つ宿命であるが、この街の様々な移り変わりようも、普遍的に繰り返される「時代の波」と言えるのかも知れない。

三十代後半だった親父は国の役人(農業土木技士)ゆえ、地方の役人から接待を受けたのかも知れない。だが真相は闇の中である。役人とは何か?当時の役人の倫理観は今とはかなり違ったものがあったはずである。五十数年という長い年月を経て、私はこの時の親父の心境がよくわかった気がした。

私は陽光降り注ぐ姥桜に往時の親父の面影を重ね、春爛漫たる相馬中村に別れを告げた。
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