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相馬流山by小山みつな
先日の私の相馬初出勤の記事で、読者の皆様にお伝えしなかったことがあった。それは私の出勤がバス通勤のみでないことである。JR相馬駅で常磐線に乗り換え、或る駅で降り、そこから自転車で会社に出勤するのである。自転車を漕ぐのは約15分間であるが多少のアップダウンもあるので足腰の鍛錬にはうってつけである。TOTALで通勤に要する時間は二時間であるがこれは通勤時の時間を読書や創作に有効に使おうというものであり、けして負担となるものではない。否、負担どころが意図的なアドバンテージ獲得(自己ゾーンの積極的構築)の意味合いが強いものである。

列車の車窓からの眺めをご覧頂きたい。シュシュシュシュ シュシュシュシュ…列車はイグネの点在する広大な田園地帯をまるでSLのような音を立てて疾走する。この疾走振り、街場の在来線のスピードになれた私にはかなり速く感じられるのだが、体感的にはおよそ90キロは出ているのではないだろうか?この日はあいにくの小雨だったが、それも春らしい興であり、風流を感じるべきものなのかもしれない。阿武隈山地をバックに快走する列車はとにかく気分爽快である。

東は太平洋、西は阿武隈山地。黒潮の恩恵のもたらす温暖な風土は東北の中では恵まれたものを感じる。相馬人の志は極めて気高い。その志は毎年7月下旬に行われる相馬野馬追いに見出すことが出来る。

広大な平野にはこのような「イグネ」が無数に存在する。このイグネは「屋敷林」とも呼ばれ、先祖代々から受け継いだ屋敷を冬の季節風から守り、住環境をよりよいものとする志向のもので、子孫への慈しみに溢れた美しいものである。

私は相馬人の志は極めて気高いと述べたが、その論拠をここに著したい。これは私が昨年撮影した相馬野馬追い出陣式後の相馬総大将相馬陽胤公の勇姿である。

相馬は平家(平将門)の血筋を引く名門中の名門である。石高こそ六万石であるが、大藩である隣国の伊達藩の支配に下ることはけしてなかった。我が国の戦国時代、小国の多くは大国の圧力に屈し、滅ぼされるか或いは止むを得ず服従を選択しその存続を図ってきた。

しかしながら、誇り高き相馬藩はその二者の何れも選ぶことなく、今日まで強かに生き残ってきた。私はここに相馬の尋常ならぬプライドを感ずるのである。その起源を平将門の頃と言われる相馬野馬追いが千年以上も続いたのは一体何なのか?それはひとえに「民族の誇り」がもたらした文化であり、尊重すべき古き良き伝統と受け止めている。

ブログでお伝えしてきたが、私の先祖は伊達藩の下級武士であったと思われる。相馬武士で言えばこのような甲冑を身にまとい第一線に出陣したと考えている。だから私は旗本級の武士よりも、このような一端の騎馬武者に目を奪われるのである。

相馬地方の桜の開花は五分先と言ったところである。今から週末は桜が楽しみである。実は昨日の会社帰宅時、或る民家からこの「相馬流山」のメロディーが耳に入った。
今から私は「相馬野馬追い祭り」の観戦が楽しみである。
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