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伊達の大群、篭城する相馬軍を押し出す
間もなく福島県相馬市に転勤となるので、私は休みを利用して新たな居住となる宮城県の亘理町のアパートに足を運び、ガス開栓の立会いを行った。

その足で宮城県南部の丸森町に向かった。それは或るところから頼まれた歴史エッセイ執筆に伴う取材である。このあたりは伊達政宗が15歳(満14歳)で初陣を飾った土地柄とされるスポットで、宿敵相馬と烈しい抗争が繰り返されたところである。

ここから中央に見える小高い丘が本日の目的地の丸山城(丸森城)跡である。この城跡は以前、ブログで紹介したことがあるが、写真が不十分だったゆえ、今回新たな取材をすることにした。このアングルはほぼ真東からのものである。一見するとただの低い丘にしか見えない。

ここが丸山城の入り口である。城へ向かう坂道の脇には一軒の農家が建っている。

丸山城についての概要をお目通し頂きたい。城としての機能はたった53年間であったことがわかる。伊達稙宗とは伊達政宗の曽祖父にあたる人物である。
稙宗の17年間(1548~1565)の隠居生活は嫡男である伊達晴宗と起こした骨肉の争い「天文の乱」に敗れたゆえの処遇であった。

天文の乱
天文11年(1542)から同17年(1548)までの年間伊達氏当主伊達稙宗と嫡男晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱

前回も紹介したが丸山城の周囲も城跡そのものも鬱蒼とした竹林に覆われている。今年で稙宗が没して450年になるが、この竹林は彼が居住したころと比しても大して相違ない趣ではなかろうか?

google航空写真(拡大可能)をご覧頂きたい。ほぼ中央の渕ノ上と記されたところが丸山城跡である。紫桃正隆氏著「みやぎの戦国時代、合戦と群雄」によると天正10年(1582)初夏に始まった両者の小競り合いに決着がついたのは翌天正11年(1583)春とされる。

ここで私は「17」という数字に因果を感じるのである。即ち、稙宗が隠居したのが17年間なれば、その17年後に伊達が丸山城奪還に及んだことである。

これは本丸のあったところである。紫桃氏によると、伊達勢の大群に圧倒された相馬軍には多くの討ち死にがあったという。このとき相馬軍を率いた大河内外記は伊達政宗の片腕と言われた片倉小十郎影綱に討ち止められたとされる。但し伊達勢にも名のある武将に多くの死者が出たと言われる。

今は趣ある竹林となった城址でこのような熾烈な合戦が繰り広げられたことはけして忘れてならないものである。

本丸と稙宗の墓標の間には谷が存在する。然るに、本丸の奥には更なるものがあったとも考えられる。

丸山城は伊達と相馬の争いの拠点となった城であるが、1601年以降は無人化された。私はこれも歴史という濁流に流されつつある現象と受け止めた次第である。

ここで伊達、相馬の相克を私なりにおさらいしてみたい。
・1542~1548天文の乱起こる。
・1549~1576相馬軍の攻勢により現宮城県南部の多く(伊具、亘理、岩沼、名取)が相馬の手中に収められる。(1565伊達晴宗に幽閉された父稙宗が死去する)
・1577~1581伊達晴宗病床につき、両者の間に一時的な和解が成立。
・1581~1584佐藤宮内為信謀反に伴い、伊達が奪われた所領を奪い返す。
・1584~1586田村清顕、岩城常隆、佐竹義重らの仲介で和睦が成立する。
・1586田村清顕死去に伴い再び両者が対立。
・1586~1590伊達政宗台頭により伊達側の大攻勢が始まる。

これは稙宗の墓標である。墓となっているがこれは形状から言っても墓でなく墓標と思われる。紫桃氏はこれを稙宗の墓と著しているが、私はとても墓に見えないゆえ、彼の遺骸は福島県小田字位作山山中の陽林寺に葬られたとされる説を採用したい。

墓標の裏側には彼の戒名と没年が刻まれている。この墓碑は伊達家17代藩主によって明治23年に立てられたようである。

石割の大木。樹種は何だろうか?稙宗の墓標を守るようにこの大木が枝を八方に広げて立っていた。

丸山城址を南東側から見てみた。お世辞にも難攻不落とはいい難い城構えである。たかが数百だった相馬軍は十倍近い数の伊達軍に取り囲まれ、蹴散らされ、多くの武将の首が取られたと思われる。

紫桃氏によるとこの合戦で命かながら相馬本陣(北東に2~3キロほど行った冥加山か?)に陣を張る相馬藩総大将の相馬義胤のもとに駆け込んだ小野寺若狭なる武将が義胤に伊達との和睦を進言したとされるが、逆に「この臆病者、さっさと陣所に戻れ」と罵られ、伊達側に寝返ったとされる。

最後に南側から見てみた。433年前、このあたりの原に伊達の大群が押し寄せたに違いない。

伊達輝宗はこの戦の6年前、同じ丸森の矢野目館で大敗を喫している。
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