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BigCoutry Where the Rose
 is Sown
昨日、所用があって半日有給休暇を取った。14時には無事に用を済ませ、私はその足で東京建物仙台ビルからの眺望を楽しむことにした。

これは20階建ての同ビルの13階からのシティービューである。ビルからの眺望は高ければいいというものではない。超高層ビルからの視界は下界を見下ろす感覚にはなっても一体感が感じられないからである。

名君と謳われる人物は世間を見下ろしてはいけない。自ら社会の底辺を成す人々の目線に立って広い視野を持ち合わせていることこそがその器と言えるのである。某は名君に程遠いただの輩に過ぎないが、このくらいの高さからのビューがちょうどいい?という気がした。

これは20階からの仙台駅のビューである。生まれて初めて見る仙台駅のアングルだが、改めて周辺のビルの高層化が進んでいることに気づいた。四百年数十年前に今日の仙台の骨格を作った伊達政宗公は果たしてどう思われているのだろうか?名君として誉れ高い政宗公のことだからこれも想定内ということなのかも知れない。

この写真も最上階の20階からである。最初の写真とほぼ同じ角度から仙台市街地を眺めた。ほとんどのビルは眼下に捉えられるが超高層のビルが視界の一部を遮る。即ち、20階建てのビルは今の仙台にはさほど目立たない存在となってきたのである。昔は仙台駅前の丸光デパートが十三、四階で一番高かったのだが、今では二十階のビルでさえ目立たない。

昔は高いと言われた建物が今ではちっとも高くない。孔子の弟子によると師である孔子は「怪力乱神」を語らなかったとされる。私は恐れ多くも孔子の気持ちがほんの少しわかるような気がしてきた。

力が強い、高い、大きい、速い、そして感情の浮き沈みによる心の乱れ、己が説明のできない呪いや祟りの類は真理の追求に於いて、さほど意味のあることではあるまい。然るに、孔子はこれらのもの対し、拒否しないまでもけして近寄ろうとはしなかった。私は時の経つのも忘れそんな想いにふけり、陽光降り注ぐ三月の仙台市街地を見つめていた。

瞑想に浸った後、2階に下りた。ここでCafeを発見した。ほてった心と体を冷やすにはうってつけと思い、アイスコーヒーを頂くことにした。

※正面のスペースに着目

私は一瞬自分の目を疑った。それは仙台都心にこのような竹林があり、人々の心を癒す空間となっていたからである。

この場に於いての滞在はたった5分間あった。但し、この5分間は私にとって1時間にも価するものとなった。カップはコカコーラだが中味はアイスコーヒーである。

春は近い。否、気の持ちようによっては既に来ているのかも知れない。人生高望みは無用、然るにそれを知っただけで十分である。
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