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エッセイ「竹の節に上下はあれど優位性は存在しない」
組織に仕える多くの御仁は己のプライドと引き換えに上意(上位の者の意向)を優先する傾向にあるのではないだろうか?何を隠そう数年前まで私もそのような考えをもった一人であった。だが今は違う。私はどんな御仁を目の前にしても臆する(気後れ)ことは一切ないと断言するものである。即ち、禅の教えに竹の節に上下はあれど優位性はないというものがある。私はこれを己の信念とし従来までの宮仕えのスタンス(諂いを伴ったスタンス)とはまったく異質なものを構築しているからである。

組織に於いての出世云々は多くの御仁の関心とする処である。但しこれは時の運であり、深く案ずる筋合いのものではない。私は与えられた己の人生に一生懸命取り組む姿勢こそが肝要であり、出世したか否かは単なる結果と受け止めている。確かに若かりしころの私は出世という野望を抱いたことがあった。だが夢敗れた今でも後悔は一切ない。

竹の節の如く人間同士に上下の立場はあれど、優位性は一切ない。人生於いて出世という狭義な物事は取るに足らないことである。先ずは人として世に生まれたことを尊び、その思いを己のみでなく、人様にも向けることが肝要である。自己愛は己の範囲に留まらず、高じて人様に向けられることによって、初めて救われるものとなると捉えるものである。

正直に話そう。私はゆえあって出世を逃した人間である。私は過去に於いて出世した御仁に対し劣等感を感じたこともあった。だがそれは一生懸命物事に対した結果である。よって劣等感は一切持っていない。出世敗れた今はこうした価値観が開き直りとなり己の肩の力を抜くものとなり、延いては新たな意欲を漲らせる根源となるからである。
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