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エルガー「威風堂々」
エッセイ「三月のもたらす幻」
きょうから三月に入った。雪のない三月を迎えられたことに感謝しなければならない。若かりしころから毎年、この時節になると言葉に尽くせないほどの心の高揚を感じてきた。気候のいい五月も魅力的だが、三月という月の創りだす深い陰影に心底感銘するのである。このような陰影は平坦な面にはけして造形されない。険しさと優しさが同居するゆえ、造形されるのである。今夕は格調高いエルガーの曲を聴きながら三月の持つ二面性を改めて噛み締めたいと思った。

英国の古いことわざに「三月はライオンの如くやってくる」という言葉がある。荒々しい風が止んだと思えばみぞれや雨がちらつく。かと言えば時として詩的で春らしい青空も望める。今の頃は気難しく、気ままな気候ゆえにそう呼ばれるのではないだろうか?険しいだけがライオンの素顔でない。彼らは無用な狩りはしない。空腹が満たされれば、サバンナの木陰で家族でゆったりと寛ぐ。彼らは根本的に平和主義者なのである。
Scotoland the btave
人としてこの世に生を受けたならライオンのように誇り高く堂々と生きたいと思うことがある。但しこれは理想である。世の中はそんなに安易なものでない。叶え事の多くはたやすく実らない。ほとんどの場合、主観は客観に比して甘いものとなる。願っても一生実らないことがほとんどである。自我は人が生きる上で必要なものであるが、時にそれが仇となることもある。人の世には運、不運がつきものゆえ、行く末などは誰にもわからないのだ。果たして、己の前に控える坂が登りなのか下りなのか平坦なのかは神のみぞ知る領域なのである。

但し、三月となった今の気候はこれと明らかに違う。日々の浮き沈みはあれどその坂が登り坂であることに違いはない。こうした確信が私に大いなるモチベーションをもたらす。確かに冬の間は耐え忍ぶだけだったが、今は立春という名の分水嶺を一月近く過ぎたのである。二月半ばまでは日の入りが延びたことのみを実感していたが、昨今は早朝の窓に曙の陽を感じるようになってきた。

三寒四温が二寒三温に変わるとともに草木が一斉に芽吹き始め、小鳥が一斉に囀る。そうして私に世の多くの物事が好転したような錯覚をもたらす。仏教にはこの世で見たものは全て幻と説く教えがあるが、三月のもたらす錯覚も一種の幻なのかも知れない。私は宗教に信仰を求めない無神論者だが万物に感謝する気持ちだけは失っていない。それゆえ今年もつつがなく三月を迎え、今まで六十年近く幻を見せられたことに深く感謝するのである。
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