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 Carmen  Toreador  Song 
エッセイ「誘いの隙」
人様のことはあまり知らないがこの世は闘牛場である。私は今まで闘牛士のような覚悟で人生を歩んできた。己が勝ち残る保証はどこにもない。倒すか倒されるか、例え倒しても明日は我が身。私と牛のどちらかが闘牛場の土に体を横たえる運命にあるのだ。油断は即命取りになるが隙がないと牛は突っ込んで来ない。ムレータ(棒のついた幕)を己の体と思って突っ込んできた牛に隙が出来たところに己のサーベルを突き刺すのだ。武術に「後の先」なる奥義があるように闘牛に於いても「誘いの隙」は肝となる。それゆえ、私はどんな隙を作れば牛を挑発できるのかをずっと考えてきた。敢えて後ろを向き油断を誘うこともあるのだ。

隙を作るには牛がどんな動きに反応するのかをよく見極めねばならない。一見無意味な動きをしているようだが、無駄な動きは一つとてない。誘いの極意は己を弱小に見せることである。さすれば牛は己を舐めてかかる。そこが私の狙い目なのだ。己を弱く見せて牛の油断を誘うのだ。奴がどんな巨体だろうが剛力だろうが急所を刺されたらひとたまりもない。但し急所を突き損じれば奴は必死で反撃に転ずる。己のサーベルが如何に奴の急所を一撃で突くかが勝負の分かれ目となる。

己を弱く見せるのはさほど難しくはない。赤いムレータを翻しふらふらとした足取りで弱々しく歩めばいいのだ。ピエロのようにおどけて見せ、奴の本能である固定概念を上手く誘発するのだ。但し、サーベルの正確性は己の命を左右する要素となる。それには日頃の修練とシュミレーションが欠かせない。奴を倒さねば逆に己が倒されるからだ。生と死の挾間の緊張感、その危機感が私を奮い立たせ新たな闘志を沸き立たせるのだ。こうして私は今日も大観衆の視線を己の身に浴び闘牛場に立ち、隙を作って奴が突っ込んでくるのを息を殺して待つのだ。
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