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伊達家三代の墓発掘からわかったこと
去る1月25日(日)、私は仙台市青葉区の戦災復興記念館で開催された仙台藩志会主催の講座を受講した。この日のテーマは「伊達家墓所発掘にみる三代(政宗、忠宗、綱宗)の個性」、講師は仙台市教育委員会の長島栄一氏である。

長島氏は駆け出しの頃1974年に行われた伊達政宗公墓所の調査に携われた他、三代目綱宗公の墓所発掘にも関わった経緯がある。但し、これらの伊達家三代に渡る墓所調査が既に40年前後も経過し、今ではそれに携わった多くの方が現役を退かれたゆえ、現役では同氏を含めてたった三名となってしまったとのことであった。

発掘経験者による貴重な情報開示という視点で捉えるならば、今回の講座は絶妙なタイミングと言えるものであると受け止めている。



ちなみに、仙台藩志会は藩士会ではない。志ある者は誰でも入会できるというところに広く門戸を開いた格式ばらないスタンスを感じる。昔は仙台藩士という家柄にこだわっていたということだが、今ではものの見事に、時勢にマッチしたものに生まれ変わっていると感じた。



講座の内容は非常に多岐に渡っていたのだが、本記事では紙面の関係で政宗公を中心にお伝えしたい。
この鎧兜は政宗公の廟所の石室から御遺体とともに発掘されたものであるが、現在仙台市博物館に飾っている鎧兜とほぼ同じものとのことであった。



これはレプリカだが、兜はほぼこのような形となる。



これは政宗公の左足のレントゲン写真である。矢印は骨折の跡とのことである。これは伊達治家記録の23歳時の落馬、負傷との合致を見るもので、この遺骨が政宗公のものであるという決定的証拠となったとのことであった。



政宗公は生涯に渡って4000通もの手紙を書いたとされるが、副葬品には筆箱なども見られる。まさに文武に秀でた一面を覗わせるものである。



これも政宗公の副葬品である。右側の黄金のブローチは形状からして西洋のものと考えられ、支倉常長が欧州から持ち帰ったとされるものである。
ヨーロッパに賭けた夢、恐らく政宗公は生涯に渡ってこのブローチに只ならぬほどの思い入れを抱いていたのではないだろうか?伊達者を先祖とする私としては心が熱くなるシチュエーションである。



午後二時に始まった講座は二時間後の四時に終了した。私は同席した支倉常隆様(支倉常長ご子孫)に改めて厚く御礼申し上げ帰途に着いた。

何の因果だろうか。外に出て上空を見上げると三日月が出ていた。政宗公の兜に飾られた三日月の模様は、古来から魔よけであり、不思議な力をもたらすシンボルとして崇められてきた。薄暮の三日月の下、私は支倉常隆様との出会いの余韻に酔い、大いなる心の高揚を感じて会場を後にした。

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