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私に影響を与えた三人の歴史作家
歴史の探求は、その断片に触れたきっかけにより、多くの方面への興味へと波及することが往々にしてある。昨今の私の歴史への興味は先祖への畏敬、並びに郷土愛に端を発しているものであるが、いつのまにかこれが転じて幕末を舞台にした東北や新潟(賊軍全体)に及ぼうとしている。こうした傾注を更に加速させたのが歴史小説である。今日は私がこうした影響を受ける元となり、且つ尊敬して止まない三人の歴史作家を紹介したい。

先ずは歴史小説の大御所とも言える山本周五郎、彼の作品は反骨精神に富んだものが多く、庶民の目線で書かれたものが多いのが特徴と言える。彼の作品で印象に残ったのは伊達騒動を描いた「樅ノ木は残った」と「松の花」である。彼は強靭な自我ゆえに、評論家を主に多くの論敵があったとされる。弟子の早乙女貢によると時には口論に留まらず、殴り合いの喧嘩に及んだこともあったとされる。彼は敵も多かったが死後47年を経て、今だに熱烈なファンも多い。私もファンの一人であるが、この狷介さ(頑固で人に妥協しない様)こそが彼の持ち味であり、大きなアドバンテージと受け止めている。

然るに、彼の作家人生を語るとき、惜しむらくは酒に依存しすぎた執筆姿勢が挙げられる。その話をする前に、作家として脂の乗り切ったころの彼の日課を紹介したい。これは私がつい先日読み終えたばかりの早乙女貢著「わが師山本周五郎」からの抜粋である。

午前3時に起床~午前10時頃まで執筆活動

午前10時~外出(散歩や映画鑑賞など。昼食は外食

午後4時から晩酌

午後8時頃には就寝

このあたりには作家に必要とされるゾーンを感じるし、一方で恐れ多くも、私の休日に於ける行動パターンと酷似している。但し彼は365日酒を浴びるように飲んだゆえ、この酒びたりの生活が後になって命取りになる。愛弟子である早乙女貢によると、晩年のほうになってくると自分の新作からの強迫観念から逃れようと朝からストレートでウイスキーを飲むことが多かったという。そして五十代後半からは今までのアルコール依存症のつけが一気に回ってきて体を壊すに至った。肝臓を患った彼は六十代になるともはや体が思うようにならなかったようだ。享年63歳、作家としてはまだまだこれからといったところだが、執筆への葛藤のはけ口を酒に求めたライフスタイルが彼の死期を早めたようだ。

山本周五郎(1903~1967)小説家。山梨県生まれ。本名清水三十六(さとむ)。名は生まれ年からつけられ、筆名は東京で徒弟として住み込んだ質屋「山本周五郎商店」にちなんだものである。20代前半に作家活動を始め、39歳の時『日本婦道記』が直木賞に推されたが受賞辞退。その後も多くの賞を固辞し、文芸評論家から曲軒(きょくけん:へそ曲がり)と称される。江戸の庶民を描いた人情ものから歴史長編まで作品は数多い。代表作に「青べか物語」「よじょう」「松の花」「樅ノ木は残った」など。

次に紹介するのは山本周五郎を師と仰いだ早乙女貢である。早乙女貢は司馬遼太郎、池波正太郎とともに歴史作家御三家と言われた小説家である。

早乙女貢(1926~2008)小説家。満州の生まれ。本名、鐘ヶ江秀吉。山本周五郎のもとで研鑽を積み、反骨精神あふれる歴史・時代小説を発表。史実に基づいた本格歴史小説の他、娯楽に徹した大衆的な作品まで作風は幅広い。「僑人(きょうじん)の檻(おり)」で直木賞受賞。他に「おけい」「会津士魂」「からす組」など。

※談笑する早乙女貢(左)と星亮一(右)、二人の年恰好から80年前後の撮影か?


これは生前に於ける早乙女の書斎である。歴史作家はその性質上、史実との整合を常に留意しながら執筆に及ぶ必要がある。ゆえに仕事場は必然的にこのようなたくさんの著物に囲まれたものとなる。そういう彼も今となっては故人となってしまった。

次に星亮一を紹介する。(写真は2014年10月30日(金)、私が受講した「奥羽越列藩同盟政権樹立と挫折 そして今」より)


星亮一(1935~)小説家。宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了、専攻は日本近現代史。福島民報記者時代、最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加。1970年福島中央テレビへ移籍。同局でプロデューサー、制作部長、報道制作局長を歴任。2004年、NHK東北ふるさと賞を受賞。2005年、戊辰戦争研究会を発足、主宰。

彼の父親は宮城県丸森町出身であり、彼の先祖はこの地区を統治した佐藤という伊達家重臣に関係した家系とのことである。それゆえ彼も早乙女貢と同様に会津藩や仙台藩、或いは新選組から見た幕末を描いた作品が多いのが特徴である。中央の帽子を被った人物が星である。

星は伊達政宗のことも多く書いている。最新の著書は「伊達政宗 秀吉・家康が一番恐れた男」である。この題名に異論を唱えるムキもあるだろうが、私は先祖が伊達に関与した者として彼の意向を概ね支持する所存である。

   まとめ
世の多くの歴史小説は偏った方向から書かれている。この偏りが史実と合致しているのか否かはわからない。それは歴史学の範囲を離れるものに於いては、むろん神のみぞ知るものとなるものである。一部に歴史小説に書かれたものと史実の整合性を追いかけ、その過ちを正そうとする動きがあるが、これはさほど意味のないものと受け止めている。

何故なら、歴史小説は元来史実を基にしつつも、不明なところには作者の推論や脚色が入るものだからである。その偏る方向はその作家の地元ひいきとなるのは止むを得ないし、郷土を愛する者であれば当然とも言えるものである。

私は郷土仙台を深く愛している。それゆえ、「樅ノ木は残った」で伊達騒動を広く世間に知らしめた山本周五郎を尊敬している。彼の文学は時として権力への批判であったり、剣豪(宮本武蔵)への批判だったりする。頑なとも言える彼の反骨精神がこうした作品に及ぶと、一方で多くの論敵が名乗りを挙げる。彼はそれを百も承知でペンを握ったに違いない。ここに彼の独自性を感じるとともに歴史作家としてのあるべき方向性(歴史小説の分野に於ける思い込みは必ずしも悪に非ず)を強く感じる。

早乙女貢は「からす組」を読み、つい最近知った作家であるが、先祖が会津藩士ゆえに戊辰戦争時は奥羽越列藩側からの見地で作品を書いている。従って私にとって敷居は思いのほか低かった。どんな御仁に於いても己の郷土は可愛いものである。私は早乙女貢も星亮一も先祖への敬い、郷土愛が高じてこうした作品の執筆に至ったものと解釈する。

然るに、明治維新に関して言うならば、彼らは薩長を主とした尊王派と対立する立場にあるが、私は勝者には勝者の美学が存在するように敗者には敗者の美学があると考える。私は彼らの熱烈なファンとして、歴史という名の壮大極まるキャンバスに描かれた彼らの美学をより深く、且つ長きに渡ってじっくりと味わっていきたいものと捉えている。
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