fc2ブログ
 平井堅 大きな古時計
本日12月12日は父方祖父の命日である。祖父が亡くなってからもうすぐ半世紀になる。
然るに私の性格、人格の多くは尊敬する祖父から受け継いだものである。私は迷うことなく有給休暇を取って高速バスを使って郷里石巻へと向かった。

菩提寺のある門ノ脇に向かう途中、北上川河口を歩いた。向こう岸の造船所のドックにはご覧のように船が入っていた。
震災の津波で壊滅的な被害を受けた石巻市であるが、ようやくその象徴である造船所に本来の機能が戻ってきた。

軍人あがりの祖父はいつも背筋がピンと伸びていた。そして何よりも曲がったことが大嫌いであった。私は祖父の情に厚く己に厳しい倫理観は曽祖父から賜ったものに違いないと踏んでいる。その倫理観は私の父や叔父に受け継がれている。そして私にもちろん引き継がれている。

それに対して祖母は大和撫子の典型とも言えるお淑やかな女性であった。何事も出しゃばらず、祖父の一歩後を歩む姿が私の脳裏に焼きついている。

花を添えた後、祖父の好物であった日本酒を供えた。私は祖父の命日に臨んで、無性に祖父と盃を交わしたかったのである。
ワンカップの片割れは持ち帰ってきょうの晩酌にすることにした。

墓参りを終えた後、石巻を見渡せる日和山に登った。晩秋の快晴に恵まれた日和山から見下ろした石巻は復興の二文字を感じさせるのに十分なものであった。天国の祖父もさぞかし喜んでいてくれるものと感じた。

祖父が亡くなったあの日、叔父はあの内海橋の渋滞のため、臨終に間に合わなかったと祖父の甥であるA氏から聞き及んだ。心の奥底で人の世の喜怒哀楽は普遍的なものと捉えているが、いざ自分がそうした立場に立たされたらどうなるのか?そう思うと今は亡き叔父の胸中を察して止まない。

私はそんな取り留めのないことを胸に抱きながら、復興を果たそうとしている我が石巻の自然治癒力に畏敬の念を抱いていた。

本日は尊敬する祖父の命日である。それゆえ寄り道は無用である。私はまだ陽のあるうちに帰宅に及んだ。何を隠そう祖父との晩酌を果たすためである。

祖父は晩酌を365日嗜んだ。但し、人に迷惑をかけたことは一度もなかった。私の知っている限りでは祖父はいくら飲んでも酒に飲まれることはなく、背筋はピンと張ったままであり、軍人らしく、そして男らしくどんな時に及んでも取り乱すことはなかった。そのような祖父の律儀な姿勢は今でも私の瞼にしっかりと焼き付いている。

祖父は満75歳で突然の心筋梗塞に見舞われほとんど苦しむことなく死んだ。そして私に多くの教訓を残した。

私はそんな祖父を尊敬している。いつでも私の心の中には祖父が居る。そして祖父はこの写真の如く、今も私に優しく微笑みかけるのである。

今の私があるのはもちろん祖父の加護があるからである。私は偉大な祖父を辱めることなく、これからも与えられた己の人生を一途に歩むことだろう。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)