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 四百年前の支倉常長の足跡を偲んで※日時指定投稿
去る12月5日(金)のことだった。私は東北学院大学で開かれる作家佐伯一麦氏の講座に出席するまで時間があったので出入りの図書館へ行き、本を数冊借りた。
そして図書館を去ろうとしたとき、小会議室の前でこのような立て札を見つけた。
「支倉の旅を語る会」である。

私はまったくの飛び入りながら、支倉常長の慶長遣欧使節団に関する小説を書いた旨を説明して皆さんの御厚意でこのサークルに入れて頂くことになった。
左端のかたは地元の新聞社でこの慶長遣欧使節団に関して最も密度の濃い記事を掲載している河北新報社のかたである。

支倉常長の足跡をたどる会は去る11月12日ヵら10日間で会費は約40万円、地元宮城を中心に40名近くのかたが参加されたとのことであった。

中世都市の面影を現代に色濃く残すのはトレドである。支倉が400年前に訪れた教会が今でもこうして残っている。彼が見た当時のトレドはこんなに拓けていなかっただろうが、ここはマドリードの隣町ゆえにフェリペ国王との謁見に期する彼の身上はよく理解できる。

スペインに於ける支倉一行のルートを地図でご覧頂きたい。(河北新報社記事より引用)青で囲んだところがトレドである。参考までに各都市の到着日(一部推定)をここに記す。
1、スペイン艦隊の船にて1614年10月5日サンルーカル・デ・バラメダ入港
2、同10月10日頃、川路を経てコリア・デル・リオ着
3、同10月17日頃、陸路にてセビリア着(ルイス・ソテロ出身地)
4、同11月初旬、陸路にてコルドバ着
5、同12月初旬、陸路にてトレド着
6、同12月20日、陸路にてマドリード着


この集合写真はこの会が果たした両国親善を如実に語るものである。
スペインのハポンさんは往時の支倉の家臣であった侍の子孫と言われているが、老若男女を問わず、多くのハポンさんとの交流は非常に感動に価するものであったとのことであった。

これは支倉が謁見を果たしたフェリペⅢ世だろうか?大国の君主に相応しい威厳に満ちた絵である。

隣の絵はフェリペⅢ世の后?と思われる。

支倉の銅像を前にした記念写真である。支倉への献花も成されたとのことであった。

会長を始め、出席者のかたには名刺を頂戴し、後日私の小説「金色の九曜紋とともに」を送る約束をして、皆さんに厚く御礼を申し上げて別れた。
四百年という区切りに際し、有意義な会の開催と参加を非常に羨ましく感じた先週の金曜の午後のひと時であった。
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