fc2ブログ
 複数の名君と関わった米沢城
今回のブログ更新では、去る11月23日に訪問した米沢城についてお伝えする。
先ずこの鳥瞰図をご覧頂きたい。天守閣こそないものの絵に書いたような美しい作りが印象的な江戸時代の米沢城(上杉氏支配時)である。美しいのは城だけではない。格子状に縦横に道が交わった城下町も美しい趣を呈している。まさに大藩に相応しい計画的な町造りと言えるものである。

米沢城とは?(Wikipediaより引用)
築城は1238年ごろ。鎌倉時代から江戸時代にかけての360年の間に長井氏伊達氏蒲生氏→上杉氏と目まぐるしく城主を変える。戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。輪郭式に本丸から外側へ二ノ丸、三ノ丸を構え、10基の櫓と17棟の門が開かれた。

上杉氏築城当時30万石の大名の居城であって、石垣や天守は構えられず、土塁を築き本丸に基の三階櫓を建てて天守の代用としていた。現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、また、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)がある。廃城は1871年。

この城に関わった三人の武将を紹介する。右から伊達政宗、直江兼続、上杉景勝である。三人の武将はNHK大河ドラマにも登場し何れ劣らぬ東西きっての智将、英傑の誉れが高い人物である。

これは上杉謙信の遺骸を安置した祠堂が建っていた場所に立てられた石碑である。

満48歳で亡くなった謙信は甲冑を着せられ、漆で密閉した甕に納められたと言われる。その後歴代藩主の位牌が置かれるなど、ここは上杉家にとって神聖な場所であった。

これは松魂碑(招魂碑)と言って戊辰戦争や西南戦争で落命した米沢藩士の霊を鎮めるための碑である。

武士道に於ける最大の名誉は藩のため、主君のために殉じることである。石碑は地表から6メートル近くもあり、米沢藩士の誇りとともに圧倒的な存在感を感じさせるものである。

これは名君の誉の高い上杉鷹山の坐像である。彼は藩主にも関わらず質素倹約を自ら身をもって実践した武将である。

この日、一番感銘を受けた上杉鷹山の言葉を紹介する。「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」

意味:『人が物事を為し遂げようという際は先ずは強い意思を持つことである。物事の成就は行動が伴ってこそ、初めて成し遂げられる。結果が得られないのは、意思を持って行動しないからだ。』

「まずは大学に入りたいという強い意志を持つべし。」息子にはこの言葉を引用し、大学進学へのアドバイスとした。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)