fc2ブログ
 初めて大西洋を渡った日本人 
秋晴れに恵まれた今日、私はJR東日本北仙台駅の企画である「小さな旅、伊達政宗・支倉常長ゆかりの寺院を訪ねる」に参加した。全部で六箇所の寺院を訪ねたが今日はその中で肝と言える支倉常長の菩提寺と言われる光明寺についてお伝えする。

北仙台駅駅長の司会で始まったこの企画だが、JR東日本の数あるイベントの中でも最高ランクの注目度とも言えるもの(昨年に於ける慶長遣欧使節派遣400周年記念&支倉常長が持ち帰った物3品のユネスコ遺産登録)である。

光明寺前に登る石段はこの旧奥州街道から始まる。しかるに、今までこの道路を様々な人物が行き交ったに違いない。そう思うと鼓動が高鳴るのを感じて止まない一こまであった。

光明寺の本堂に着いた。先ずは仙台藩士、支倉常長に敬意を表し彼の墓に向った。

北仙台駅から光明寺に至るまでのルートを航空写真で確認して頂きたい。距離にして約500メートルである。

支倉常長の墓(数箇所の異説あり)に着いた。右下の石碑は使節の副使であるスペイン人宣教師ルイス・ソテロの石碑である。彼は390年前の1624年8月、長崎の大村にて火刑に処せられ殉教している。

同寺の常長の墓はこれまで数度訪れている。右側花入れの右にあるのは常長の孫である支倉常信の墓石とのことであった。

これは明治時代に描かれた絵図(伊達政宗とルイス・ソテロと支倉常長の三者が描かれたもの)である。恐らくこれと寸分違わぬ情景が仙台城の座敷で成されていたに違いない。

光明寺本堂に入った。ひと目で向こうの壁面に慶長遣欧使節団関係と思われる絵図が掲示されているのがわかった。

画伯、浜哲郎氏が描いた油絵慶長使節団の絵図は極めて興味深く、且つタイムマシンの如く往時の情景を現世に伝えるものである。

これは別な絵図のものであるが、恐らく帆を張ればこのような感じになるのではないだろうか?

これはレプリカ船の航海の画像である。これは401年前のものとほとんど違わぬものと踏んでいる。

光明寺絵図「慶長使節団」より。昭和時代に描かれた絵図であるが、往時のスペイン人と日本人がどのような格好をしていたかを示す貴重な資料である。

ローマのサンピエトロ寺院の前で、ローマ法王パウロⅤ世と謁見に及ぶ支倉常長。
ガイドさんによると、建物に関する表現は往時のものと寸分の違いもないとのことであった。

ローマ法王の前で跪く支倉常長。これは史実と異なる。実際はシスト宮殿3階の枢機卿会議室での謁見であった。

 スペイン国歌
この絵図の作者は浜哲郎氏であるが、この絵が掲示されたのは仙台市内のシティホテル内レストラン「ローマ」とのことであった。

左からローマ法王パウロⅤ世、ルイス・ソテロ、スペイン国王フェリペⅢ世である。

この作品は千葉勇作氏による「常長コルトバを行く」である。
この絵は哲学的な絵である。即ち中央上部は灼熱の太陽。上部に見える建物は大手門、二の丸を有した仙台城、中央の雄牛は使節に冷たく関わったフェリペⅢ世とのことであった。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)