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  煩悩を捨て、怪力乱神は語らない
昨今、論語の中で心底感化した言葉がある。それは『子、怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず』である。この言葉は思想家孔子を囲んだ弟子たちが師匠のスタンスについて語った言葉である。何故この言葉に私は感化されたのか?きょうはこれを実例を挙げながら具体的に説明したい。

一、先ず「怪」という言葉の意味であるが出処の定かでなく、また確証もないことを如何にも真実のように断定口調で語らないということである。あくまでも憶測は憶測と一言断ってから告げるのが人としての道であり、人様からの信用を失わないように心がけている。

二、二番目の「力」という言葉であるが力が強いという意味合いの中には相対的な比較で自分のほうが優位になるようなこと(転じてスピードが速いor偉大であるor喧嘩が強いor長大であることetc)はけして述べないということである。これによって自我を抑え、人様に不快感を与えないように努め、良好な人間関係構築の礎とするものである。

三、三番目の「乱」という言葉であるが社会秩序にそぐわないこと(人様への中傷、暴言、愚痴)をけして口にしないということである。これを口にすれば自分だけでなく相手も乱れ、延いてはお互いの理性を失わせて争いごとに発展しかねないからである。これも力を語らないのと同様に良好な人間関係構築には不可欠である。

四、最後の「神」という言葉であるが、神仏はともかく得体の知れない呪術、占いは自分の心に迷いをもたらすので敢えて近づかないようにしているということである。但しこれはけしてそれらを頭ごなしに否定するという意味ではなく、自分から近づかないようにしているということである。これによって揺るがぬ自己の構築を目指すものである。


  まとめ
私は煩悩に満ちた俗物である。私はけして孔子のような聖人ではないし足元にも及ばない。但し私は心から彼を尊敬している。それゆえ彼の境地に少しでも近づくのを己の本分として、怪力乱神を語らぬよう今日も精進するのである。
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