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今年の夏に私のもとに或る仕事が舞い込んだ。それは或るところから依頼された歴史エッセイの執筆である。何を題材にするかの選択肢は私に与えられることとなったが、私は迷うことなく寛文事件(伊達騒動)を選んだ。その中で私は「樅ノ木は残った」のストーリーの如く、原田甲斐が忠臣の可能性があり、伊達兵部は逆臣であり、伊達安芸は甲斐と心の通じ合った仲であると書いた。

そのエッセイが活字となって一ヶ月も経たないうちに私宛に或る読者から匿名で辛口の投稿が寄せられた。筆者は一体どんな人物なのか?云々。それは私が目を覆いたくなるような、嫌悪に満ちた文章であった。(投稿の仔細は略)

この手紙をもらってから数日、私はこの人物と同じように眠れない夜を過ごした。その人物は伊達兵部を忠臣、伊達安芸を逆臣、原田甲斐を両者の間を行ったり来たりする蝙蝠のような人物と主張してきたのである。私も数冊の文献を読んでから執筆したゆえ、自信はあったが感情に走り、猪武者に成ってはならないことを踏まえつつ、敢えてここはすぐに反論せず、一旦は一歩下がることとした。

多くの物事ではこうしたインターバルが双方への冷却をもたらし、新たな活路を見出すものに変わり得るのである。私はそのようなことを考えながら秋晴れの好日となった土曜日、通いなれた仙台市博物館へと向った。

博物館で学芸員のかたと遭った。遭った理由は中立的な考えが聞きたかったからである。歴史考察は独りよがりであってはいけないし、忌憚のない人様の意見に耳を傾けるものでなくてはならない。

これは歴史考察のみでなく、実社会全てに言えることである。主観に走らず、こうしたステップを踏まえて初めて、やっと自分の発言するシチュエーションが揃うというものである。

彼には今の私に於かれた事情を話し、一年半ほど前に行われた「寛文事件」のパンフレットを頂いた。

複雑極まる寛文事件の真相。こうして見るとこの事件ほど複雑怪奇な事件はないという気がしてくる。要は仙台市博物館としてはこの事件で忠臣と逆臣を決めることはしていない(山本周五郎の小説も否定できないしかと言って従来までの説も否定できす、結論は出せない)とのことであった。

この後、ミニシアターで慶長遣欧使節団「支倉常長光と陰」を観た。

20分ほどの上映時間であったが非常に中味の濃い映画である。しばらく観ていなかったゆえ、新鮮な思いを感じた。

侍たる者、一生脚光を浴びることなく、例え地味な存在であっても彼のような一筋な生き方を志し、武士道を貫きたいと思った次第である。

私はこの学芸員のかたに厚く礼を述べ、少し早い帰途に着いた。
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