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  伊達政宗公の灰塚とは?
去る9月20日のことであった。JR東日本の企画する「小さな旅」に参加した私は二十名ほどの参加者とともに、伊達政宗公の灰塚があるとされる青葉区三条町の大願寺を訪ねた。それにしても立派な山門である。

大願寺山門(以下仙台市HPより引用)

宝永年(1709)に造営された仙台藩四代藩主伊達綱村夫人仙姫(万寿院)の墓所の門を,明治時代初期に墓所のあった小田原高松から現在地に移築したものである。門の前後に唐破風のある妻入の一間一戸の向唐門で屋根はこけら葺である。観音開きの桟唐戸には夫人の実家稲葉氏の家紋「隅切角に三の字」が入る。

細部の造りや文様には禅宗建築の特徴が表われ江戸時代中期の伊達家霊廟建築を知ることができる数少ない門である。左右袖塀は移築後に造られたものと考えられる。老朽化により1998年に解体復原工事がおこなわれ。 

大願寺の位置を航空写真でご確認頂きたい。仙台市中心部からは北西部にあたる。

後で理由を説明するが、この山門と門前の新坂通りとは微妙にずれているとガイドさんから説明があった。

拡大した航空写真をご覧頂きたい。ややわかり難いが左側の伊達政宗灰塚に至る通路(堀に架かった橋を含む)と東西に伸びる新坂通りは一直線に通っているが山門だけはずれている。その理由は山門が後から移設されたことによるとのことであった。

これは境内に建つ観音堂である。ガイドのかたによると修復はされているものの江戸時代に建立された当時の趣を残した建物とのことであった。

灰塚のの周りにはこのような堀が巡らされている。まさにお城の縮小版といった印象である。

この橋を通って灰塚に至るわけであるがこの橋と門前の新坂通りは一直線になっているということであった。

この竹垣の先にあるのが伊達政宗公の灰塚である。(写真はgoogle mapから拝借)

灰塚とは?(時の散歩/仙台寺社巡りHPより引用)

伊達家には藩主や夫人の遺骸を死後すぐに埋葬し49日の間に原野で空棺による葬礼を行うという独特の風習があり政宗や母保春院の葬礼もこの辺りで行われた。葬礼用具一式は当地で焼かれ灰は多量の土で饅頭状に覆って周囲に土塁を巡らせた。これを灰塚という。

この灯篭の場所を発掘したところ、遺骨はおろか埋葬品は一切出土しなかったという。従ってこの灰塚自体が彼の権勢を如実に示すものだったと受け取れるものである。

このような灰塚は全国的にも例を見ないとのことであった。灰塚なるもの、天下を狙い伊達者の語源となった政宗公に相応しい演出と解釈した次第である。

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