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  本格的な家系図の作成へ
三連休初日となった昨日、私は朝早い列車に乗り、郷里石巻へと向かった。
目的は①祖母の命日への弔い②家系図を作成するのに大きな鍵を握る親戚A氏と逢うためである。

JR仙石線陸前山下駅で下車した私はこのような真っ直ぐな道をひたすら南東へと向かった。花壇のカラフルな花を見て歩くのはなんとも心地よい。ところでここは石巻育ちの私も生まれて初めて歩く道である。

歩ってきた道を振り返った。住宅地の中には大手設備会社の石巻営業所がある。この道から左側(西側)が大街道と言って私の父方祖父が生まれた地である。

石巻市大街道は仙台藩、細谷十太夫(1845~1907、幕末に於いて福島の白河城を拠点とし遊撃隊「からす組」を組織して官軍と戦い武勇を馳せる。)なる人物が1880年から開梱した農地である。彼は明治維新で職を失いかけていた伊達藩の下級武士をここに連れてきて農業に従事させたとのことである。

私の祖父は1891年生まれ、曽祖父は1863年生まれゆえ、恐らく一族は細谷十太夫と何らかの関わりがあった人物と考えるのが妥当と受け止めている。

菩提寺のある門脇へと向った。ふと右手に石巻日々新聞社を発見。同社は過去の記事で紹介したが、三年半前の大震災で大津波の被害に見舞われながらも翌日壁新聞を書いたジャーナリズム魂溢れるマスメディアである。

同社のT常務とは既に名刺交換し石巻の様々なことで会話を交わしている。きょうは時間がないが、T氏とは近いうちに遭いたい所存である。

「東京屋食堂」はこの造りから見て震災後に作られた食堂とお見受けした。
この辺りは復興の工事に携わる人間が多いので、これらのかたがたを始めとした食の確保は非常に心強いと思った次第である。

20分ほどで菩提寺のある門ノ脇地区に到着。正面に見える丘がかつて葛西氏の居城があったとされる日和山である。

祖母への墓参りを済ませた私はA氏のご厚意で車に乗って彼の自宅へと向った。
A氏は70台半ばである。祖父の家系直結の人物ゆえ、家系図の作成は彼なくして考えられない。ここが今現在の大街道の本通である。細谷十太夫が開墾した往時の農地の面影はほとんどない。

昭和初期と見られる石巻地図を御覧頂きたい。このころの大街道は間違いなく農地であった。従って曽祖父一族は1880年の開墾に携わった可能性が非常に高い。
A氏によると曽祖父は地頭(大地主)とのことであった。地頭は武士階級で言えば平士(下級武士での最高位)で騎乗が認められる階級(中田正光「伊達政宗の戦闘部隊」より)であるとされる。

A氏からは戸籍謄本を基に同家の様々な親類の名前を聞き及び、メモしてきた。
これで家系図作成は時間の問題となった。A氏には厚く御礼申し上げるとともに、近いうちの再会を約束した。

家系図作成の法則を転載する。夫婦を表す時は男が右、女が左、子を書くときは生まれた順に右から左へと書くのが基本とのことであった。また養子を現す際はご覧の通り、縦線を二重線にするのが法則ということであった。

A氏と別れた後で友人のS氏と遭った。S氏は歴史好きであり、殊勝な物言いができる人物ゆえ、一目も二目も置く男である。彼とは昼酒に及び、先祖談義、歴史談義で大いに盛り上がった。

知らぬ間に夜は更けていた。JR仙石線の乗り継ぎバスで松島海岸に着いたころ、時計は22時を廻っていた。後二日休みゆえ、たまには羽目を外すのもいいだろう。

家に着くころには日付が変わっていた。帰路の電車はほとんど寝ていたような気がする。私は一族先祖へ感謝の念を抱きつつ、三連休初日の大きな収穫に感謝しながら帰途に着いた。
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