fc2ブログ
Nini Rosso 夜空のトランペット
エッセイ「皆既月食の晩に浮かんだ忘れ難きこと」
会社からの帰り道、ふと東の空を見た。私は自分の目を疑った。半月でもない。三日月でもない生まれて初めて見る下弦の月であった。私はきょう皆既月食があるという朝のニュースを思い出しながら月を横目に早歩きで帰宅した。家に帰ると着替えもほどほどに急ぎ足で2階に駆け上がり、バルコニーから月を見た。下弦の下の部分には明らかに地球の影らしきものが見え、その影は時間の経過とともに増し、やがて日食のダイヤモンドリングのような形になった。秋の世に相応しい満月のワンマンショー。これだけでも何も言うことのないくらい感動するに価するものであった。

ふと私は周囲が今までよりかなり暗くなったことに気付いた。闇夜に消えゆかんとする月のことばかり気を取られて周囲のことまで目が行かなかったのである。月が明るい時はけして気づかなかった星空を見て私ははっと思った。そこには大小様々な星々が万華鏡の中の小片のごとく数限りなく散らばっていた。今まで60年近く人生を生き、様々な人と死に別れてきた。私は無意識のうちにこの夜空の様々な星々に生前縁あった人の面影を重ねた。

夜空の星の一つであるM氏は私が31歳から49歳まで18年間に渡るお付き合いさせて頂いた。M氏は私が東京転勤になって一年後、私の知らないうちにガンに侵され68歳の生涯を閉じた。彼はけして世渡りが上手くなかった。4人兄弟の末っ子で姉が3人という家庭環境ゆえ、甘やかされて育った。彼は我が強い反面、不服があってもこれを胸の内に秘め、人に面と向かってものを言える人間でなかった。そのため生涯に於いて会社を十数社渡り歩くハメになった。一刀両断にするなら負け犬の人生こそ彼の人生であった。

だがそんな彼でも私に残してくれた財産がある。それは文芸雑誌への趣向である。酒好き、煙草好き、ギャンブル好きだった彼は文藝春秋が手放せないほど活字を人生の友としていた。彼は或る意味でエリートである。しかしエリートが実社会の生存競争を勝ち抜き、競争力を発揮するとは限らない。多くのエリートは坊ちゃん育ちゆえ、ストレスに弱いという傾向がある。残念ながら彼もその類だった。そんな彼からは活字に親しみ、人として視野を広げることの重要性を骨の髄まで御教授頂いた経緯があった。晩年の彼は天涯孤独であったが彼は伊達家臣の末裔ゆえ、私とは心の奥底で繋がっていた気がする。

月食の夜空に輝くもう一つの星は私が43歳から48歳までお付き合いさせて頂いたB氏である。彼の先祖は伊達藩の鉄砲職人を代々務めた家柄であった。彼は私より年上であったがOA技術に優れていた。このころの私はOA初心者あったゆえ、いろいろと面倒を見て頂いた。私生活でも接点があった。しかしながらその頃の私は彼と趣味が合わなかった。それゆえ、彼とはちょっとしたことで食い違いを生じた。今なら笑って過ごせることが当時は出来なかった。これも私の人間的未熟、未完成とする部分である。

彼に対して生前最後に交わした言葉はとても人様に申し上げられない。その言葉を思い出す度に私は深い懺悔の念に捉われ、泣けてくるのである。彼には大変申し訳ないことをしたと思っている。彼と遭うタイミングが5年ずれていたら二人は固い絆で結ばれていたことだろう。だがそうは行かないのが人生である。「後悔先に立たず」とは私が亡き彼に告げるべきことであり、詫びるべき筋合いのものであり、かつ人類が古来から繰り返してきた普遍的な生業と受け止めている。

今宵はあの日の死に装束を着た彼の表情を瞼に焼付け、彼に心から懺悔する仕儀である。私が彼のところに行く日もそう遠くないだろう。その節は重ね重ね私の現世での無礼を詫び、お許しを願う所存である。

皆既月食が終わってもこうして彼らは私に語りかけ、秋の夜は深々と更けていった。彼らとは袖摺り合う関係に過ぎなかったのかも知れないが、得たものは極めて大きかった。それは二人が居なければきょうの私がないことに気づいたからである。私はこの壮大な天体ショーが終わる頃、今は亡き二人に感謝の念を感じるとともに畏敬の念も感じていた。

そして私はこうも感じた。『後に死にゆく者は先に死んだ者に対してけしておごり高ぶってはいけない。死期は違えどその結果に於いては全て同等であり、一人の人物の一生など、広大な天空の中では単なる小さな星屑の存在に過ぎないものである』ことを。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)