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  土佐武将末裔との酒の席
言うまでもなく歴史は奥深いものである。しかるに、一つの史実への興味が多方面に波及するのはけして珍しいことでない。昨日は改めてそれを彷彿させる日となった。何を隠そう、土佐武将の血を引く或る御仁と初の宴の席と相成ったのである。

宴の場所は仙台駅前居酒屋「楽蔵」青葉通店である。歴史談義に及ぶには落ち着いた個室しかあるまい。昨日はそのような拘りでこの店の予約に及んだ。(同店HPより借用、実際に利用した部屋は扉のついた個室である)

時代劇チャンネルで放映される池波散歩では生前の池波正太郎が足を運んだ料亭も紹介されるが、時代劇には日本酒がよく似合う。それゆえ、昨日は二人とも日本酒で乾杯するに至った。右は私の頂いた宮城清酒「一ノ蔵」、左が彼の選んだ土佐清酒「土佐錦」である。

彼の先祖はれっきとした士族で、1570年頃、四国土佐を支配した大名、長宗我部氏の流れを組む家臣である。このころの長宗我部氏の勢力範囲をご覧頂きたい。ほぼ、今の高知県全域にあたる部分を支配していたことになる。

それに対して伊達氏はまだ政宗が生まれたばかりで、彼の父である伊達輝宗の時代。大名とは言え、このころは米沢を居城とする一豪族に過ぎなかった。

        長宗我部元親(1539~1599)

以下ニコニコ大百科を基にミックが編集
長宗我部氏第20代当主長宗我部国親の長男として土佐に生まれる。
20歳を過ぎても初陣せず、おとなしい気性もあって『姫若子』と家臣に侮られていたが、初陣で槍を振るっての大活躍を見せてからは、『鬼若子』と恐れられるようにな

22歳のときに父・国親が急死し若くして家督を継ぐと、一領具足という半農半兵の仕組みを有効的に使い勢力を拡大。1585年、念願の四国統一を果たすも、同年豊臣秀吉による四国征伐を受け降伏、土佐を除く領地を没収され。その後は秀吉の九州征伐に従軍したが、戸次川の戦いで最愛の嫡子信親が戦死。遺体を見た元親は泣き崩れたといわれている。

将来を期待された信親の死は、元親から覇気を奪ってしまうことにな。嫡子の戦死により家督継承問題が起き、元親は四男の盛親を無理やり後継ぎに据える。(このとき二男、三男も生きていた。)1599日、京都伏見屋敷で病にて満60歳の生涯を閉じる
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彼は私より十歳ほど年下であるが、武士の末裔らしく礼節を重んじ、殊勝な物言いができる人物である。こういう場では時に話上手もさることながら、聞き上手であることが求められる。こうした聞いたり話したりの絶妙な間合いが二人の信頼関係を築く礎になるのである。

伊達巻、エビの唐揚げ、イカの一夜漬け…、日本酒に相応しい肴が運ばれてきた。彼は土佐男児らしく酒豪である。この日は六合近くは飲んだが顔色一つ変えない。まさに豪傑、威丈夫の類であるがそれは外見の話である。その内面には先祖から受け継いだ土佐武士の血が脈々と流れており、何事に於いて律儀であり気骨に溢れている。まさに由緒ある武士の末裔に相応しい御仁である。

彼の先祖は長宗我部元親の弟である香宗我部 親泰(こうそかべ ちかやす)に使えた重臣とのことであった。

        香宗我部 親泰の墓(インターネットより)

香宗我部 親泰(1543~1593)以下Wikipediaを基にミックが編集

長宗我部国親の三男として生まれる。長宗我部元親は兄にあたる。幼名は弥七郎。1558年父の命によって香宗我部親秀の養子となるが1569年に安芸国虎が滅亡したため、安芸城主となる。その後は兄元親に従って各地を転戦する。親泰は阿波平定に尽力し、阿波海部城を拠点にして各地を転戦し、1579年に新開道善の富岡城を奪取する。親泰は外交にも秀でており、1575年に長宗我部信親の烏帽子親を織田信長が務め、1580年には渡海して安土城で織田信長と拝謁し、三好康長らとの和睦を求める。

1582年の本能寺の変後、中富川の戦いで十河存保を破り、翌年には阿波木津城を攻略するなど、兄の四国統一に尽力する信長の死後も柴田勝家や徳川家康と通じて四国平定を有利に進めたことは、全て親泰の手腕によるものと言われる彼は織田氏徳川氏など諸大名の窓口となり、親泰宛に書状が送られている。

天正1585年の豊臣秀吉の四国征伐では阿波牛岐城を守備したが、木津城が豊臣軍に落とされたため、城を放棄して土佐に帰国する。しかし1592年、文禄の役に赴く途上にあった嫡男の親氏が急死、自身も朝鮮半島に赴く途上の1593年に長門で兄に先立って急死。享年満50歳。
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彼の一族の墓は山一つにも及んでいる。そして一人一墓の埋葬でつい二十数年前までは土葬とのことであった。「頂上のほうにあるご先祖様の墓についてはまったくわからないほど昔に遡るのです」という。

この後、仙台藩に関係したであろう私の先祖の話にも及び盛り上がった。歴史談義、先祖談義に於いて彼とは何よりも話が上手く噛み合うのである。彼は予想した通り、情に厚く器の大きい人物であった。時刻はそろそろ21時である。坂本竜馬を敬愛する土佐男児の彼とは近いうちの再会を約束し別れるに至った。
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