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私は2016年1月30日に「ブログに於ける三つの山とは?」と題して論文を書いたことがあった。あれから2年10箇月近く過ぎたが、本日はその補足をしたい。下図は本日私が作図した「コンプライアンス、マナー、モラル概念図」である。コンプライアンスとは法規や規則のことである。

マナーはコンプライアンスよりも縛りの弱いもので社会的ルール(ほぼ世界共通)と解釈して良い。モラルはその下に位置するものとなる。前回はモラルを倫理や道徳と一緒に考えたが、この二つは微妙に定義が異なるという。即ち、倫理観は善悪の判断基準が公に委ねられ、道徳観は個人に委ねられる観念とされる。

ここで混同してならないのはアスペルガー症候群(自閉症、発達性障害の一つ、言語の発達や知的発達に遅れがないものの、コミュニケーション能力などに偏りが見られ、自己を客観的に見れない特性をもつ先天性の障害)等である。本日はこのことを十分に踏まえた上で己の見解を述べたい。

ここで重要なのは、モラルはマナーとは異なり、個々人による若干の差異を生ずるもの(民族性、宗教、生活環境などで微妙に異なる)ゆえ、強要してはならないものであるという点である。このへんをわきまえないと、思想の押し着せに発展しかねないので注意が必要である。

ここからはブログに於けるマナーとモラルについて、自分の考えを述べたい。

今まで自分の更新した記事に、面と向かって自分の意見(主義主張)を否定する主旨が書き込まれたことが何度かあるが、これはマナーに反することゆえ、気をつけて頂きたい部分である。こういう書き込みをされるかたに限って、ログインしていないかたやブログを開設していないかたが多いのが特徴である。どうしても反論をしたいなら、ブログを開設して所在を明らかにした上で堂々と述べてもらいたい。

それと、ブログを開設されているかたが異論を述べる場合は内緒投稿すれば更新者の面子を潰さなくて済むので、こちらのほうが誠意のある姿勢であると自分は考える。コメント欄に堂々と反論を書かれると大衆の面前で面子を潰されたのと同じことになるからである。

また更新した記事の主旨にはほとんど触れず(全体への感想などを述べずに)、自分の都合や主観だけを延々と並べるのも、あまり有難くない。この指向が高じると、記事の内容には一切関係なく、自分の書きたいことをただ並べるに過ぎない(記事を良く読んでもらえてない)と解釈するからである。

それと細部に拘ること(歴史を扱った記事に特に多いが、史実と違うという部分的な事実整合の違いのみを取り上げてコメントする)も、あまりありがたくないことと捉えている。仮に間違いを正す文章を書くにしても、その中に礼節や仁のかけらも見られなければ、単なる揚げ足取りに過ぎないと解釈するからである。何れにしても更新者のモチベーションを損ねるようなコメントだけはくれぐれも遠慮願いたいと考えている。コメントの場は交友を深める場であって揚げ足取りの場ではない。記事を書くのは難し、批判や批評は易しと自分は考える。

次に私が人様の記事に訪問してコメントをする際のスタンスについて述べたい。私は人様の更新した記事では常に己を抑え、良きパートナーとなるように聞き役に徹している。過去に於いて、或るかたはそれを突っ込み不足と勘違いして、もっとはっきりとした主張のコメントをしたほうが良いと促され、他のかたのコメントと比較されたこともあった。(そのかたとは残念ながら決別に至った。)実際の会話ならフォローも十分可能ゆえ、別れるまでに至らない些細なことであったが、ブログだとお互いの顔や表情が見えないので和解に至らなくなることが多いと私は考えている。

過去に書いた論文の『ブログ総論』の中で私はブログを大河の流れのような概念(それまで縁のなかった一滴の水同士が触れ合い、時には添い続け、時には決別に至る)としているが、その理由として川の流れは岸の形状や川底の堆積物などによって年月とともに大きく変化し続けるものということも上げられる。従ってブログに於ける自他の環境は時間の経過とともに、大きく変わって当たり前と捉えている。

周囲を見渡すと
❶執拗な付きまとい行為やスパム行為を受け嫌気が差してやむを得ずブログを離れたかた。
❷心境や体調の変化でブログを離れざるを得なかったかた。周囲の環境変化で必然的にブログを離れたかた。
➌性格や価値観の不一致で止むを得ず別れたかた。
がおられる。ブログで自分と関わるかたは僅かな期間で大きく変化している。人為的に別れる際に気をつけねばならないのは離れて行くかたにけしてダメを押さないことである。それは「ご縁の復活」に繋がるからである。どうせ別れるなら後腐れなく、数年後の復活を期しクールに別れたいものである。
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横町挨拶
ブログライフを楽しむためには時として妥協も必要になります。あまり硬いことばかりを言っていると人心は離れて参ります。即ち「水清ければ魚棲まず」(出典:孔子家語、東方朔伝等)ということです。同義語として「官には針を入れず、私に車馬を通ず」(禅の教え:表向きは針も通さないほどの小さな穴と思っていたら、実は車でも馬でも通ってしまうほどの大きな穴であった。…転じて、表面上は針をも通さないほど厳格に見えながらも、裏では車や馬も通すほどの寛容さがないと取り巻く人の心は徐々に離れてゆくものである)が挙げられます。

人に優しく自分に厳しくは今の自分が目指すべき道にございます。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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