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 恕の人 孔子伝プロモーショントレーラー

 論語の意図するものを正しく理解する
孔子の生前のイメージはよく絵で見られるような厳つい表情の人物と捉えられがちであるが、実像はこの俳優のような徳がにじみ出るような人物であったのではないだろうか?
    2011年映画「恕の人 孔子伝」より

数年前から、ずっとあることが私を悩ませていた。それは自らの煩悩がもたらすものである。私はこれから逃れたい、否自ら動いてその根底を断ち切りたいと必死になった。人の悩みなどは外見からわからないし知る由もないものである。

武士道を尊ぶならその悩みは己の内面に留めるべきなのかも知れない。但し正道を貫くには世論がどんなものであるのか知らなければならないし、時としてアピールも必要となろう。法律などのコンプライアンスをしっかりと理解しなければならないのはもちろんだが、これだけでは不足である。常識ある人間として現世を生きるには正しい倫理感も身につけねばならない。

こうした経緯を経て、私は日本人の道徳の礎となる儒教の心を理解すべきと思うようになった。儒教の修得は武士道を理解するには不可欠である。己の姿が映った鏡をなるべく歪みのないものにしたい。歪みのない鏡を手に入れるのには儒教の基となった論語を学ぶほかあるまい。このような気持ちが行きつけの図書館でのNHK論語ビデオの鑑賞へとつながった。昨日私が向ったのは仙台市東部にある宮城野区図書館である。

NHK人間講座「論語紀行」は全六巻で一巻につき2話収録されているのでトータルすれば12話となる。所要時間は1話につき30分なので6時間となる。これを6月ころから続けてきた。昨日は第11話「天命を知る」と第12話「ひとりひとりの論語」である。

改めて講師を紹介したい。坂田新氏である。残念ながら同氏は5年前に亡くなられている。
       坂田 新(1949~2009)
以下Wikipediaより引用
古典中国文学者。 早稲田大学文学部中国文学科卒、愛知県立大学助教授、教授、愛知文教大学教授、学長就任後、在職中に亡くな。 著書に「白雲悠々 天 、「漢詩作法講話」、「理想への意志 松浦友久編」、「江戸漢詩選 第巻 志士 藤田東湖佐久間象山吉田松陰橋本左内西郷隆盛」、「漢詩で詠む中国歴史物語 春秋戦国時代~漢時代」、「故事ことわざで読む論語」、「中国歴史紀行 遥かなる歴史、勇躍する英傑、広大な風土をたどる第1巻(編)」、「論語紀行」など。

第11話のテーマは論語のメインとも言える天命とはなにか、鬼神にはどう対応したらいいのかという内容である。

 怪力乱神を語らず
以下故事ことわざ辞典より引用
「怪」は怪奇で不思議なこと
「力」は怪力を意味し力が強いこと
「乱」は道理に背き世を乱すこと
「神」は鬼神のこと
孔子は理性では説明がつかないようなこの四つの言葉をけして口にしなかったという姿勢を弟子が語ったものである。

鬼神とは呪術、占い、或いはたたりや迷信的な意味も含まれる。孔子はこれらの説明のつかないものは敬いつつも近寄るべきでないとしている。これらを信ずることは否定しないが迷いをもたらすものは触れないこととするという意味である。これは私も同感するところである。

さて、五十にして天命を知るとは有名な言葉であるがその真意は如何なるものなのだろうか?

実は天命には二つの意味が存在する。一つは使命であり、天から自分に与えられた仕事や人生に於いて成すべきことをいう。もう一つは宿命(運命)であり自分の努力ではどうすることも出来ないことがらをいう。

坂田氏によると孔子はこの二つを良く理解するのが肝要であると述べているという。

実は孔子は必ずしも順調な生涯を送ったわけではない。彼は仁愛、礼節を理想とし、法律や武力によらない君子の人徳による政治を理想としたが祖国の魯の保守的な家臣たちと不和になり、魯を出国せざるをえなくなる。この後、孔子は弟子たちとともに中国全土を13年間(56歳~69歳)に渡り放浪したのである。

概ね順調な人生を歩んだ人間に悟りというものは開き得ないものである。政治家としての志に破れ、放浪時代の辛い経験が彼に「天命」というものへの悟りを開かせたのである。

天を怨まず、人を咎めず(論語憲問第十四)
自分が不遇であるからといって、天を怨んだり人のせいにしてとがめたりしない。自分自身を反省して修養すべきである。 

自分はあることで人を怨むことがあった。この言葉は今の自分にとって最も必要な言葉なのかも知れない。
これは第12話(最終回)での結びの場面(於:黄河河畔)である。坂田氏によると2500年前の論語は様々な解釈ができるという。

人の生き様はよく大河に例えられるが、論語に於いても同じだという。大河は時として流れる量が変わったり、にごったり、澄んだりするが、その根底の流れは数百年、数千年を経ても変わらない。

論語はその人その人に生き様に於いて様々に解釈され、啓発に使われるものであるという。今回この6時間に達する鑑賞を経て私が掴んだのは人間として成すべきことはいつの世になっても変わらないということである。自分の天命を正しく理解し、啓発に努め、少しでも煩悩がもたらす心の中の暗雲を取り払いたいと感じた次第である。


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