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 独眼竜政宗オープニングソング 
私が何故侍言葉使うのだろう?と疑問に思っているかたも居られることだろう。本日はそれについてお答えしたい。

あれは一ヶ月半前の7月26日、相馬野馬追出陣式に際した時だった。間もなく赤を基調とした甲冑姿の相馬武士が本陣である相馬中村神社(旧中村城)を出陣しようとする時、上役と見られる武士と従者の下級武士と見られる侍の間にこのような会話が交わされた。

「○○○左衛門は本陣を出て雲雀ケ原に参られよ」「承知!」
「承知しました。」ではない「承知!」である。武士は戦場では「○○しました」などという流暢な言葉は使わない。武士は戦場に於いてなるべく迅速に自分の意志を伝えなければならないのだ。

だから「承知!」でいいのだ。そしてこの言葉が発せられる相手が例え仕える主君であっても許されるのだ。武士は名誉とともに生き、その使命に己の命を賭ける。その名誉は何を於いても重んじられるのである。このことが私に大きな衝撃を与えた。

この人物は伊達政宗の片腕と言われた片倉小十郎景綱である。彼は政宗の幼少時は単なる守り役(育て役)であったが抜擢に継ぐ抜擢で参謀まで上り詰めた英傑である。福島県中通りを次々に攻め落とした政宗は家臣に恩賞(獲得した領地)を分け与えることも忘れなかった。

かくして小十郎には白石城と一万八千石が与えられることとなった。彼は姉であり政宗の正室愛姫の侍女である喜多にこう語った。「それがしの帰りを家来一同待ちわびております。」

それがしとは「某」であり、どこの誰かわからないという謙譲を示す武士の一人称である。但し「それがし」は「拙者」(拙い者)と同義でありながらニュアンスが異なる。口語辞典によると「拙者」のほうがへりくだりの意味合いが強いということである。

「それがし」は謙譲語でありながら武士としての誇りを漂わせる一人称である。ちなみにインターネットで「それがし」を調べると対象は下級武士から中級武士程度の使う一人称となっているが、この片倉小十郎は城持ちの大将(上級武士)である。

昨今私はブログに於ける一人称を「それがし」にしている。但し一部のかたからは違和感があるのを承知で使わせて頂いている。但しこの一人称を使うにはそれなりの内容が伴わねばなるまい。

私はそのことを胸の内に秘めブログを運営させて頂いている。「それがし」という言葉が己に似合わねばいつでもブログを止める覚悟である。武士の名誉はいつでも死ねる覚悟があっての物種と心得る。

私は今までブログにハイテンション極まる記事をいろいろと書いてきた。そして一部からはひんしゅくと反感を買ってきた。その多くは飲酒の及んでのことである。但し一切後悔はしていない。いつでも己の進退は自分で決める覚悟が出来ているからである。
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