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     エッセイ「川の逆流」
久しぶりに梅田川の河畔道路を散歩した。JR仙石線福田町駅で下車し国道45号線下のトンネルをくぐり住宅地を通って出来て一年ほどしか経っていない河畔道路に出た。ここから本流である七北田川の合流地点まで1キロ、海まで4キロ近くはある。ほぼ無風であるが半袖から出した二の腕が心地よい。鈴虫やコオロギなどの虫の音が秋の到来を感じさせる。私は川面に目をやった。無風のせいかさざ波はまったくない。鏡のような川面である。

いつもなら河原の雑草が生い茂る深みの辺りで流れが淀むのだが、この日は川全体が澱んでいるような気がした。遠くに4羽の鴨が浮かんでいた。人影もないので安心しきって流れに身を委ねている。ふと私は奇妙なことに気付いた。動かない4羽の鴨が下流から上流へと向って流されていたのである。ここで初めて川の流れがいつもと逆であるのに気づいた。ここは海が近いせいだろうか?どうやら満ち潮とこのところの日照り続きで川の水量が減ったことが原因らしい。

恐らく満ち潮と川の水量が少ないという二つの要因が重なってこのような逆流となったのだろう。このことは川が上流から下流に流れるのが当たり前と考えていた自分に衝撃を与えた。

人間は多くのものを自分の主観だけで見てそれが正しいと思い込んでいる。しかしそれは自分だけの思い込みであって客観的に見れば違う。理屈では主観に走り過ぎてはいけないとわかっていても、いざその場に瀕してみると己の主観こそが正しいと思ってしまう。

これはどんな人間でも陥りやすいことなのだろうが個人差も大きい。悟りを開き客観が進んだ人は思い込みが少ない。逆を言えば己の心を固く閉ざせば閉ざすほど世の流れが見えなくなり大局を失う。このことに気づかずに一生を終える人もいることだろう。しかるに人はなるべく早くこの普遍性に気づき自己を啓発しなければならないと思った。

「ピーヒョロロ、ピーヒョロロ」川べりを行くとトンビが鳴いていた。カラスが隣で群れている。よくトンビはカラスに追いかけられるというが、体が一回り大きく猛禽であるトンビがなぜカラスに追いかけられるのか。これには以前から不思議な気がしていた。たぶんトンビがカラスの縄張りを荒らすから追いかけられるのだろうと思った。この日もトンビはカラスの邪魔にされていた。

トンビは隼ほど速くは飛べないしオオワシのように猛々しくもない。猛禽の中では凡庸なのだ。それでも猛禽は猛禽である。カラスはトンビを追い払うことはあっても捕らえて倒すことは出来ない。その微妙な関係を両者はわかりきっているのではないだろうか?但し私は鳥類学者でもなんでもない。素人である私の主観がそう捉えたのである。

だがまったく別な人がカラスに追いかけられているトンビを見たら、きっと弱い鳥、臆病な鳥にも見えることだろう。見る人間によってトンビに対する印象が異なる。元来、人間の主観などあてにならないのだと思った。しかし己の考えこそが正しいと思う唯我独尊も捨てたものではない。唯我独尊は盲目に陥る代償として自信を与え、人にのびのび、生き生きと生きる術を授けているのではないだろうか?要は世の多くの物事や事象には多面性があるのだ。長所もあれば短所もあるのだ。

その多面性の存在を認めることがより悟りの境地に近づくことなのではないだろうか?そう思うと気分も幾分軽くなってきた。付近の民家の主人と思しきかたが庭の草むしりをしている。犬を散歩させている人と挨拶を交わす。そのうちに本流との合流が近づいてきた。橋の向こうにはコンビニがある。さあ虫の音でも聞きながらモーニングコーヒーでも飲もう。私は週末の心地よいコーヒータイムを堪能し、初秋の川べりの居心地の良さに後ろ髪を引かれつつ帰途についた。
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